ウエツフミに書かれた古代人の知恵、それは弥生時代の百科事典だった。

ウエツフミは、神々と歴代天皇の活躍を記録した「歴史書」でもあるのですが、同時に、弥生時代の知恵が綴られた「百科事典」でもあるのです。


これまで、ほとんど語られることが無かった古代人の知恵に関する部分を、今回はパノラマ的にご紹介します。


あらためて、私たちの祖先の偉大な知恵には、驚かされるばかりです。



総 論


『ウエツフミ』には、森羅万象の様々な分野にわたり、膨大なノウハウが収蔵されています。

これらは『古事記』や『日本書紀』が省略した部分であり、その意味でも『ウエツフミ』の秀逸さと、古代史研究資料としての重要さは群を抜いています。


その記述内容を、大きく分類すると、下記のとおりです。


農業漁業・・・・・農業・漁業・商業など、生活の基盤に関すること

食料品・・・・・食品や調味料、調理法と保存法に関すること

衣服・・・・・糸や布の作り方、衣服の縫製やスタイルに関すること

工鉱業・・・・・建築技術や造船技術、金属精錬技術、航海術などの科学技術に関すること

医療・・・・・医療と健康、医薬品や治療法に関すること

地理・・・・・地名の起こりと国の成り立ちに関すること

天文と暦・・・・・カレンダーと天体の運行に関すること

言語・・・・・話し言葉と文字に関すること

スピリチュアル・・・・・占いやお祓いの方法に関すること

行事・・・・・神事や祭事、音楽に関すること


どうですか?


通説によると、この『ウエツフミ』は、悪意に満ちた偽作者が、鎌倉時代から江戸時代にかけてでっち上げた「トンデモ本」であるとされています。

そう主張されている偉い先生方には、まず下記の「各論」を読んでから、原文もひとつひとつ理解したうえで、それが偽作であるかどうか?をあらためて判断して欲しいと思います。


これは、私の直感ですが、「これらの記述を、ひとりの人間が自分の記憶力と想像力だけに頼って創作するのは不可能である!」と断定してもよいと思います。

しかも、その美しい文章表現力と、ミスのほとんど無い正確な記述は、人間の能力の限界をはるかに超えています。


さらに、『ウエツフミ』の作者の目線は、まさに「巨視的=クラウド的」であり、天上界から人民のためを想い、細かい配慮までをも書き綴っているという“思いやりの姿勢”が明確に打ち出されています。

これに対して、『古事記』『日本書紀』の視点は、まるで「天皇のプライベート目線」からの描写であり、どこに行ったとか、何があったとか、ほとんど「天皇家ブログ」の領域を出ていません。

 

「偽書」として封印してしまうには誠にもったいない、貴重なアーカイブ集としての『ウエツフミ』は、まさに「日本遺産」であり、古代の神々から日本人へのプレゼントでもあるのです。


特に、下記の部分は通説とは大きく異なっていますので、ぜひ参考にしてください。

 

◆わが国には、古代から文字が存在していた。

神代文字として、まずカタカナ(またはその原型)が存在した。

それが唐や新羅の間接統治を受けた奈良時代になってから、漢字とひらがなに変えられた。

◆カレンダーや天体の運行に関してもわが国固有の、正確な観測とノウハウがあった。

だからこそ、この書物の書かれた時期が、正確に特定できた。

※五島プラネタリウムの金井三男氏が分析した結果、この「ウエツフミ」の星辰伝承は、「紀元前8百年から同千年頃の間に成立したことは間違いない。」と結論づけている。

◆大陸から伝わったとされる「稲作」や「製鉄技術」、「養蚕」、「お茶と漢方薬」などのノウハウは、わが国から発祥している可能性が高い。

あるいは、大陸から伝わったものとは別物である。⇒下記の「各論」参照。


つまり、この『ウエツフミ』を封印しようとする勢力がもし仮にあるとするならば、彼らは同時に、「日本人の優秀さ」をも封印しようとしていることになります。


もしかしたら、これらの記述のなかには、現代でも通用する“お宝”があるかもしれません。いや、きっとあるハズです。

このささやかなメモが専門家の目にとまり、古代史の通説が大きく変わっていくことを期待しています。

 


各 論


それでは、実際に何が書かれているのかを具体的に見てゆきましょう。

とても全てを紹介しきれないので、タイトルだけでもざっと並べておきます。


なお、文中の記号は出典を示しており、例えば【M3-1】は、宗像本第3綴第1章を指していますので、興味のある方は、下記のサイトから原文でご確認ください。

http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumi/



オオケツ彦オオケツ姫の時代

スサノオより先にこの兄妹神が降臨し、最初に文明を伝えたとあります。

※現在の伊勢神宮外宮に祀られている豊受姫のことと解されているが、オオケツの国とは徳島県のことなので、もしかしたら徳島に古代文明があった?

※オオケツヒメはスサノオに切り殺され、その死体から五穀が誕生しているので、政権交代があったことを比喩しているのでは?

※実際に、霧島に降臨したスサノオは出雲の国に向かい、そこから分かれたアメノコヤネら一行は四国に向かっている(ウエツフミによる)。

 

◆食料にすべき農作物とその分類

水田津物・・・・水田で耕作する作物

畑津物・・・・・畑で耕作する作物

十四種津物・・・・・14種類の雑穀や野菜

M3-1~4


◆食料にすべき魚類とその捕獲方法

大海魚、小海魚、八十の貝魚、川水魚

木の皮の繊維を糸にした網、金属製の大鈎、小鉤などの漁具

M3-5、M3-10


◆牛馬を飼育して農作業の助けとすること

M3-6


◆収穫用農具としての「箕」の製作方法

サンカの特技である上質箕「桜箕」の製作方法が書かれている。

M3-7


◆竈の作り方と、食物の焼き方、煮炊きの方法

M3-8


◆臼と杵で穀物を脱穀する方法

M3-9


◆米と麦から酒と味噌を作る方法

クマクスビが、穴門の国(山口県)に降臨して伝えたとある。

M3-11


◆家の建て方

オオヤマツミが、天之一箇柱(壱岐)から初めて全国に広めたとある。

詳しくは、こちら

M3-12


◆話し言葉の伝授

当時の人民の言葉は聞き取りにくかったので、まずヨロヅコトイブキが、草木根の国(摂津~和歌山)の哮(いがる)の御岳に降臨して高天原の話し言葉を教え、他の神々が全国に広めたとある。

M3-13


◆人民の魂と体を守る神々の指名

M3-14


◆カイコと桑の育て方と布の作り方

養蚕と絹糸の作り方は常陸国(茨城県)から始まり、

麻と楮(こうぞ)の生産は大食津の国(徳島県)から始まり、

綿花の生産は豊日の国(大分県)から始まり、

糸から布にする技術は秋津の国(奈良・京都・大阪)から始まり、

倭文(しとり、縞模様の布)を織る技術は穴門の国(山口県)から始まり、

http://www.e-tsuyama.com/kankou/check/shitori/shidsuori.html

http://www.minamiawaji.ed.jp/shitoori_jhs/fuudoki/01rekishi/01yurai/index.htm

縫製技術は出雲の国(島根県)から始まり、

倭文を切って服を作る技術は草木根の国(摂津~和歌山)から始まり、

これらによって、人民は飢えと寒さから身を守ることを学んだとある。

養蚕技術などが中国から伝わったとする「古事記」や「日本書紀」とは、大きく異なっている点に注目。

※そういえば、「スサノオが切り殺したオオケツ姫の頭から蚕が生まれた」と古事記にも書かれているが、なぜそれが中国に渡って再び逆輸入されたのか?全く矛盾している。

M3-15


◆神に捧げる楽器の種類と名前

M3-18


◆神殿とお供えの作法

M3-19



スサノオと出雲国の時代

◆太占(フトマニ)で吉凶を占う方法

M4-2


◆だんご汁の起源

M4-9


◆餅の名の起こり

M5-9



オオナムヂ、スクナヒコナの時代

出雲の国の時代に、この二人が医療の神として活躍した。


◆お祓いで清めて病を治すおまじないと薬草による治療の方法

M6-20


◆大分の速見の出湯による温泉治療

「速水の国」は別府湾沿岸一帯を指しており、別府温泉の起源が書かれている。

M7-1


◆豊後国速水の八坂から始まった焼き砂子療法

昭和の頃まで存在した「焼き塩」をタオルでくるんで喉に巻いて風邪を治す民間療法の起源が書かれている。

M7-2


◆お祭りの起源とその方法

M7-5、M7-6


◆物々交換による商業の起源

M7-8


◆網による漁業の興り

M7-9


◆魚市の起源

M7-10



ニニギの時代

◆暦の起源

オモイカネ、アメノコヤネ、フトダマの三大臣が協議して、カレンダーの基本を定める。

ニニギの命が天孫降臨した日を、睦月=1月の1日と定め、12カ月の名前を決め、360日を一年として、四季にそれぞれ名前をつける。

M9-2


◆東西南北の方角とそこに鎮座する18神の配置

太陽の出る方角と季節の変化についても解説がある。

M9-3、M9-4


◆一日を18時間に分ける独特の時刻法

朝時・・・・朝開き時、朝な時、朝じ時

昼時・・・・日前時、真昼時、日後時

夕時・・・・夕げ時、夕な時、夕暮れ時

宵時・・・・黄昏時、宵方時、小夜時

真夜時・・・・夜さ時、眞夜時、夜後時

暁時・・・・寝る時、目覚時、東雲時

M9-5


◆太陽・月・主要惑星を司る神々とその運行

M9-6


◆地震や台風などの天変地異の発生と神々との関係

M9-7


◆塩土老翁(シヲツチノオヂ)が、製塩の法を教える

ここに述べられる製塩法はいわゆる「揚げ浜式製塩法=砂の塩田を使う方法」であり、万葉集などに見える「藻塩焼き製塩法=海草を使う」とは異なる。前者が日本古来の方法で、後者は外来製法か?あるいは、瀬戸内海方式と近畿方式の両方が存在した?

M9-15


◆大豆と陸稲と麦から味噌と醤油を作る方法

M9-16


◆海部郡から始まった底引き網漁法の解説

M9-17


◆白飯と麹と水から日本酒を造る方法

こり濁酒(さか)、濁酒、清酒、神酒が区別されている。

M9-18


◆お茶と禊ぎ湯(みそぎゆ)の作り方

ここに紹介されたお茶は、桑、クコ、ウコギ、サキ木、ホキ木の葉っぱを原料に、これを釜で炒って作られるお茶で、栄西が唐から持ち帰ったとされる「お茶の木」とは全く異なる。(『喫茶養生記』参照)

ちなみに、わが国には「昔から椿などの山の葉で作ったお茶が存在した」という民間伝承がある。

また百千木立(モモチコダチ)と百千草(モモチグサ)に咲いた花びらをお湯に入れ冷ましてから体を清める方法や、松の針葉や、杉、檜の葉を粉にして「禊ぎ湯」にする方法も書かれている。

M9-19


◆各種の病名と薬を用いて治療する方法の紹介

M9-20




息切れしてきたので、ここで一旦中断しておきますが、ここまでで、ほぼ半分くらいといったところです。

今後、徐々に書き加えてゆきますので、またこのページを見に来てください。




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