金山彦の命が教えた和式製鉄は、たたら吹きではなかった!

製鉄の起こりは山口県で、「たたら吹き」ではなかった!

金山彦の命が教えた、本当の「和式製鉄」とは?

 

教科書では「稲作と製鉄技術を携えて大陸から渡来した弥生人・・・」と書かれており、現在ではこれが定説となっています。

 

ところが、ウエツフミでは、製鉄技術の発祥について、全く違うストーリーが展開されています。

 

そのポイントとは・・・・?


ウエツフミが伝える製鉄の発祥とは?

◆穴門(あなと)の国、現在の山口県の人民が、「鍛冶屋が多く居なければ、豊かな暮らしができないので、(海外から)八種の鍛冶(やとふりのかぬつ)を連れてきて欲しい」とお願いすると、

 

◆金山彦の命が、「この国には、鉱物資源が豊富に存るではないか。一緒に掘って焼いてみよう!」といいだし、人民もこれに従った。

 

◆その原料は「砂鉄」ではなく、土幸山(つちさきやま)から掘り出した銑土(づくつち)=鉄鉱石だった。

 

◆炉を高温にするための酸素供給方法は、「タタラ」ではなく、「大衝手(つくで)、小衝手」という道具が使われていた。

つまり、足踏み式ではなく、手で動かすポンプのような道具で、江戸時代まで鍛冶屋で実際に使われていた。⇒川崎市に実在する「ふいご祭り」。

 

◆その精錬方法は、炉から流れ出した銑鉄を、あらためて製鋼して「焼利金(やきとがね)」=玉鋼とし、焼刀(やいば)の材料とするもので、現在の「刀鍛冶」に近く、いわゆる直接製鋼法ではない。

炉に残った銅鉄(くくがね)=ケラは、他の道具の材料となった。

 

◆つまり、「たたら吹き=足踏みフイゴ式砂鉄直接製鋼法」とは全く違う方法で鉄が作られていた。

 

以上の記述の原文はこちら。

http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=12&sno=24

日立金属による「たたらの話」はこちら。

http://www.wakou-museum.gr.jp/


ここから導かれる解釈

ここから導かれる正しい解釈とは・・・・?

 

(1) 製鉄技術は海外から渡来したのではない。

八種の鍛冶(やとふりのかぬつ)=外国の製鉄技術者のやり方を参考にしたかもしれないが、日本独自の方法で、日本人により始められた。

ただし、その方法は、製鉄というよりは鍛冶屋に近く、大量生産は難しかったと思われる。

 

(2) 神武天皇の皇后とされている媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと) は、製鉄の「たたら吹き」とは、全く関係がない。

なぜなら、この時代には「たたら吹き」は行なわれていなかったからである。

 

(3) ちなみに、(ウエツフミによると)本当の皇后は「イスケヨリ姫」であり、その母親が「セヤタタラ姫」であるが、いずれも大物主とは無関係で、正統な皇族(親戚)である。⇒詳しくは、こちら

ここに、大物主一族による皇室系図への割り込みと、粉飾があったことが明確である。

 

(4) (1)~(3)をつなげると、のちに「たたら吹き」を導入したことを自慢している大物主一族とは、帰化人であった!という結論になる。

 

(5) さらに、これを裏付けているのが「製塩方法」で、ウエツフミに書かれた弥生時代の製塩方法は「塩田方式」で、奈良時代に行われていた「藻塩焼方式」とは、全く異なる。⇒原文は、こちら

 

以上から、弥生時代と奈良時代の間に、帰化人による政権の奪取があり、このとき以来、大陸から多くの技術が導入されて、それ以前の日本古来の方法と入れ替わった!

そして、天皇家の歴史も塗り替えられてしまった。

 


コメント: 1 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    赤星憲一 (木曜日, 24 12月 2015 14:22)

    帰化人と渡来人は同じですか?

    中国人(から・唐)、インド人(てんじく・天竺)、朝鮮人(くだら・百済)は、遠く飛鳥時代から渡来し、何代も、現在まで日本人と婚姻、混血を繰り返したのだから、現在の国際外交も日本国政府に、仲良く共助して行ってもらいたいと思います。