お神楽のルーツは豊後大野市にあり!

『ウエツフミ』には、初代・ウガヤフキアエズの命が開催した「天つ祭りの礼事(いやごと)」に関する記述があります。

 

それは八百万の神々をもてなすための特別なお神楽であり、「国つ祭り」や「家の祖先の祭り」とは異なる、格式の高いイベントでした。

 

そして、この神事が開催された場所こそ、「高千穂のオオヌガハラ(大野之原)」であり、現在の豊後大野市だったのです。

 

従って、豊後大野市はいわば“お神楽のメッカ”であり、現在でも様々な流派のお神楽が伝わっているのです。

 

私は、この“お神楽”を、豊後大野市の町おこしの材料として、もっと見直すべきだと考えるのですが、いかがでしょうか?

 


弥生時代のお神楽とは?

現在では、お神楽は庶民が楽しむための芸能のような位置づけとなっていますが、弥生時代はそうではありませんでした。

 

ズバリ、それは“神々が楽しむためのイベントだったのです。
だから、「神が楽しむ」と書いて「神楽」なのです。

 

昔から、お神楽には、神様のための御馳走(お供えとお神酒)と、楽器演奏と歌、そして踊りとが、必ずセットで用意されました。

例えば、初代・ウガヤフキアエズの命が開催した「天つ祭りの礼事(いやごと)」においては、

 

(1)お供え
穀物、芋や豆や根菜類、海魚、川魚、海藻類、野菜類などが小山のように盛大に盛られ、これを「神の御幣物」と呼んでいました。

つまり、神様のための御馳走ということです。

 

(2)神楽器
4種類の鈴(さく鈴、五十鈴、手な鈴、さか鈴)と8種類の鼓(手鼓、轟鼓、転鼓、木巻き鼓、諸鼓、板鼓、黄金鼓、白金鼓)で、音楽を奏でます。
このとき、「あう音=大声」と「いを音=素声」と「えわ音=小声」の三つの調子がベースとなりました。

 

(3)歌と踊り
楽器のリズムに人の声を重ねます。
このとき「あう音、えわ音、いを音」の三つの調子に全員が大声で合わせて、大野之原に轟かせたとあります。
残念ながらどんな踊りが踊られたのかは書かれていません。

 

(4)出席者の服装
立派な冠を着けて、絹・麻・木綿で作った禮衣(いやけし)を着て、手に持った和幣(にぎて)・剣・扇・貴玉にいたるまで正確に記録されています。

 

【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=18&sno=1

 


八百万の神々による観覧

このお神楽の様子を、八百万の神々は、オレンジ色の雲に跨って上空から見ていました。
そこには、天つ神、国つ神、その他大勢の八百万の神々にいたるまで、全ての神様が参加していたのです。

 

そして、神々も感極まって「ゆゆしとぞ笑わしたまいき」とあります。

 

さらに、夜になると庭火を焚いて、大野之原を照らして、八百万の神々が「神あそびに遊んだ」とあり、深夜まで賑わっていた様子が伝わります。

神武天皇の時代には、お神輿が暴走し始め、「7日8晩止まらなかった」と書かれています。

 

つまり、神様が遊んで喜ぶことによって全宇宙にその感動が共鳴すること、それが土地を浄化してその地域を繁栄へと導くのであり、それこそがお神楽の本当の目的だったのです。

 


なぜ豊後大野市が選ばれたのか?

私は、下記の3つの理由があると考えます。

 

(1)ここがウガヤフキアエズ王朝の中心地だったので、周辺の町や村からも集まりやすい地理的条件にあった。
つまり経済の中心地である「大分(おおきた)の宮=大分市」や、神事祭儀の中心地である「二上(ふたのぼり)の大宮=竹田市」からも集まりやすい中間地点にあったということです。
そして、その交通手段として使われたのが、大野川水系の水上交通でした。

 

(2)八百万の神々が上空から観覧するため、広い野原のような開けた地形が必要だった。

下記のイラストを見ていただけると分かりますが、豊後大野市は、南を祖母・傾山系に、北を神角寺~霊山山系に、西を阿蘇の裾野に囲まれた巨大な盆地のような地形になっています。
その中心にあった大きい野原なので「大野之原」と呼ばれたのです。
つまり、豊後大野市は“巨大な天然スタジアム”のような地形になっているということです。

 

(3)神々に捧げるための農作物が豊富に採れた
ここは、いわば“大野川デルタ地帯”であり、日本でも有数の穀倉地帯です。
つまり文明の発祥に欠かせない農作物が豊富に採れたということ。
さらに、臼杵や佐伯の海からは、新鮮な海産物が河川交通を使って船で届けられました。
つまり、山の幸と海の幸が両方とも揃う最高の土地だったのです。

現在も伝わるお神楽の伝統

現在でも豊後大野市には、狭い地域に数多くのお神楽が乱立して残っています。
例えば、浅草流神楽、深山流神楽、御嶽流神楽、湯立て神楽、獅子舞などなど、数え上げたらきりがありません。


つまり、お神楽こそ、この地域の伝統芸能なのであり、それはウガヤフキアエズ王朝の流れをくむ、格式高い神事だったのです。

 

現在、高齢化の問題や人口減少、後継者不足などの理由で、この大切な神事が絶滅の危機にあります。

 

まず、神様に喜んでいただくこと、それがひいてはその地域の繁栄につながるのだということを、我々日本人は決して忘れてはなりません。

 

そんなに大上段に構えなくても、お神楽の独特のリズム・ビートを聞いただけで、魂が震えあがるのは、日本人のDNAのなかに組み込まれた遺伝子のなせる業なのかもしれません。

 

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コメント: 7
  • #1

    みなみどうせつ (火曜日, 13 12月 2016 15:43)

    豊後大野市清川町には全国でも珍しい神楽会館があります。
    毎月一回は、有名な神楽が上演されます。
    平成28年12月18日(日) 午後1時~午後4時
    出演団体
    ・浅草流黒松神楽
     演目 「平国」「本手花」
    ・緒方三社神楽保存会
     演目 「五穀舞」「柴引」チケット発売日 平成28年10月18日(火)
    ローソンLコード 86099
    入場料 一般1,000円学生以中下500円(当日はともに500円増)

    1月公演(第91回)【新年特別公演】
    平成29年1月15日(日) 午後0時30分~午後4時
    出演団体
    ・津軽三味線
      演目 「六段じょんがら節」「夜半の嵐」など
    ・柴山八幡社付属柴山俚楽
     演目 「神剣」「八雲」
    ・横堀岩戸神楽保存会
     演目 「天降」「貴見城」
    チケット発売日 平成28年11月15日(火)
    ローソンLコード 86110
    入場料 一般1,000円 中学生以下500円(当日はともに500円増)
    2月公演(第92回)【立春特別公演】
    平成29年2月19日(日) 正午~午後4時
    出演団体
    ・御嶽神楽
     演目 「綱武」「天孫降臨」「平国」「心化」「岩戸開」「大神」
    チケット発売日 平成28年12月19日(月)
    ローソンLコード 86111
    入場料 一般1,500円 中学生以下1,000円(当日はともに500円増)
    3月公演(第93回)【一般公演】
    平成29年3月12日(日) 午後1時~午後4時
    出演団体
    ・板井迫神明社神楽座
     演目 未定
    ・浅草流大木神楽
     演目 未定
    チケット発売日 平成29年1月12日(木)
    ローソンLコード 86113
    入場料 一般1,000円 学生以中下500円(当日はともに500円増)

  • #2

    siraki (火曜日, 13 12月 2016 20:08)

    今の日本人たちは 神道の意味を全部忘れた。
    神楽が何のためのことかも忘れた
    神道と言う(のは)元々 新羅王教です

    豊後大野は昔の新羅の主要 官家 の中に一つだった
    皆さんはなぜ? 赤衣と 黄衣 白髪を見ながらも
    その意味が分からないことだろう? 何が難しいか?

    なぜ? 彼が誰なのか分からないことだろう?
    皆さんはその 物語を憶え出さなければなりません。
    その有名な新羅の 辰旦王の一代記を

    阿華都怒我!
    新羅王万歳!

  • #3

    日向小次郎 (土曜日, 17 12月 2016 16:59)

    元々日本には縄文神道から派生した神楽のような祭は各地にあったようですね。
    集落にちゃんと舞台を作り形式をなしていったのは人の解釈が入ったずっと後の事。
    紀元前5000年という朝鮮半島に人がいない時代に既に生活は豊かで祭具を作る余裕もあり
    古代からの神様への感謝を脈々と受け継がれているのが改めて判明して感慨深いです。
    世界から神の国ニッポンと言われる由縁がここにあり、ですね。

    最近は特亜人による日本の神仏破壊工作が目立っていますが神様に対して罰当たりな事です。
    これも我々人間とは違う欠陥遺伝のために前頭葉の自制組織が縮小しているのが原因でしょう。
    これからの時代は信用たるDNAを持っているのか?がポイントになってくるでしょうね。

  • #4

    出雲小社 (木曜日, 29 12月 2016 18:26)

    阿華都怒我!・・・はどんな意味でしょうか?
    新羅王万歳!・・・この頃賛美されていますね!
    新羅王について(こちらのブログには関係がないコメントで申し訳ありません)は文献などで倭種、倭人が王であったと伝えられています。これを聞くと朝鮮系の方は激怒するからいわないのが無難だともいわれています。いやいや先刻ご承知だから大丈夫だともいわれました。siraki 氏のご見解はどうでしょう。

  • #5

    siraki (金曜日, 30 12月 2016 05:50)

    出雲小社氏

    彼らが隠したがったことは
    百済の太子王 昔尼脱解支 いや
    新羅王 天津 竹内(建吉支)の存在

    すなわち新羅は 倭人が王であった(x)
    新羅は百済 太子王が王であった(o)
    そんな時期があった。

    韓国でも日本でも誰もそれに対して
    言及するのを恐れるから秘密に付けられている。

    それが分かるようになれば
    皆さんはいわゆる 竹内文書の言う内容が何なのか。.
    悟るようになりますね。.

    風速の韓国万歳

  • #6

    出雲小社 (金曜日, 30 12月 2016 15:47)

    siraki 氏、ありがとうございます。謎の多い、隠し事の多い歴史。もう少し竹内文書のことが分かりたいですね。そうするとこちらの上記も分かりやすくなりますね。

  • #7

    日向小次郎 (月曜日, 02 1月 2017 20:55)

    年表で見ると明らかですね。

    前108年 中国皇帝の武帝が衛氏を滅ぼし楽浪郡を設置、植民地とする。
    前37年 東胡を祖とするコリョ族(高麗族)が中国東北部に高句麗(前高麗)を建国。
    2世紀  遼東太守、公孫度が扶余(古代ヘブライ)族(穢族からコリョ族と分岐)の王、尉仇台に嫁を与え馬韓(後の百済) の王とする。
         先から三韓の王族は全て扶余族。 新羅三王家のふたつに「倭出自伝説」が残されている。
    3世紀初 公孫康 、曹操の許可を得て楽浪郡南部を帯方郡(後の百済)として設置。
    4世紀  晋の八王の乱の混乱に乗じて、高句麗が楽浪郡を不当占拠。百済、新羅が建国。日本を大国と崇め、人質を送る。
         任那も併せ三韓は日本の勢力下にあった。
    7世紀  任那、百済と順に滅亡、遣隋使と合わせて日本は半島から手を引く。新羅、高句麗を征伐。統一新羅は中国の属国となり、
         独自の名前と年号を捨て、中国式の名前と年号を使い出す。
    918年  新羅滅亡、高麗(後高麗)建国。新羅内に雌伏していたコリョ族が国を乗っ取った。

    ここまでは、朝鮮人の歴史ではなく"下記から「朝鮮、属国史」の始まり"

    918年 高麗建国
    10世紀 宋に朝貢、契丹(東胡の末)に朝貢。
    12世紀 金(女真族、東胡の末)に朝貢。
    13世紀 高麗はモンゴルの属国となる。劣等感から、一然という僧が檀君神話を捏造し、忠烈王がモンゴルに日本侵略を唆す。
    14世紀 高麗滅亡、李朝建国。李朝は最初から明の冊封国で、国名も中国に決めてもらう。
    17世紀 清(女真満州族)に服属、三跪九叩頭の礼に甘んじる。
    19世紀 日本が日清戦争で中国を破り、属国の李朝は独立させてもらう。(日本の保護国)
    1910年 李完用の要請により日本に併合してもらう。李氏朝鮮(大韓帝国)滅亡。
    1948年 戦後アメリカ軍政庁の統治下にあったが、アメリカの後押しで大韓民国が成立。

    日本人と朝鮮人のDNAも神楽などの文化も言語・発音も違うのは、この歴史があるからです。