大物主の正体?

前回の『瀬織津姫の正体?』から、『祝詞(のりと)』に興味を持ち始め、読み進むと今度は『オオモノヌシ』についての説明がありました。
やはり、オオモノヌシとはオオクニヌシの分身だったのです。


『出雲の国の造の神賀詞 (いずものくにのみやっこのかむよごと)』

----筆者による現代語訳----

 

ある日、出雲の国の「国の造」が、スサノオやオオクニヌシなど、186社に祀られた出雲の神々を忌ひ静めるための祝詞を奏上しました。

※なお、スサノオとオオクニヌシは下記のように説明されている。
【スサノオ】・・・・出雲の国の青垣山に鎮座するイザナギの可愛い子どもで、尊い「熊野の大神」、別名「クシミケノの命」
【オオクニヌシ】・・・・国を作った「オオナモチの命」

 

(むかし)高天原のタカミムスビが、皇孫ニニギへの「国譲り」を命令されたとき、
出雲族の私どもの遠祖・アメノホヒをお遣わしになると「日本国には恐ろしい神々がはびこっておりますので、まず平定させましょう」と報告し、ご自身の御子・アメノヒナドリ(建比良鳥命)にフツヌシ(フツの御霊という剣)を副へて天降りさせて、荒れ狂う神々をことごとく平定しました。
さらに、国土を開拓されました大神(スサノオ)も説得して、日本国の統治の大権を返上させました。

 

そこで、オオクニヌシが
◆「ニニギが統治するこの国を大ヤマトの国」と名付けて、
◆ご自身の和魂(にぎたま)を八咫鏡に御霊代とより憑かせて、これを「ヤマトの大物主であるクシミカタマ」と称えさせて、「大神(おおみわ)の社」に鎮座して、
◆ご自身の御子、アジスキタカヒコネの御魂を「葛木の鴨の社」に鎮座させ、
◆コトシロヌシの御魂を「宇奈提」に鎮座させ、
◆カヤナルミの御魂を「飛鳥の社」に鎮座させ、
◆これらを皇孫に近い守り神と奉り置いて、
(つまり以上が、近畿にある出雲の神の社である)
◆ご自身は「八百丹杵築宮」に御鎮座せられました。

 

ここにカムロギ・カムロミの神が、「汝アメノホヒは、天皇家の長久の御世をいつまでも変わること無くご守護申し上げ、繁栄させよ」と命令されましたので、(その子孫である出雲族は)その通りにこのようにお祀りしております。

 


この記述から分かること

さてさて、以上の記述から分かることをメモしておきます。
もちろん異説もありますので、これは私の解釈です。


◆大物主とはオオクニヌシの別名であり、その分身(和魂)が大神山に祀られて「オオモノヌシ」と呼ばれた。
◆しかし、渡来人である第10代・崇神天皇や、その側近のオオタタネコが、大物主=大国主のご由緒をあいまいにして、自分たちが信仰する「蛇神」と入れ替えてしまった。さらに、天照大神を宮中から持ち出して伊勢に祀った。だから『日本書紀』を書いた藤原氏はこの天皇を「小オロチである」と、痛烈に批判している。
◆出雲族、特に千家家の祖先はアメノホヒであり、その子孫を自称している菅原道真や毛利氏も出雲族である。


古代史とは異民族同士の統合の過程である!

さてさて、この記述から「天孫族」と「出雲族」という2つの違う民族が、統合されて調和してゆく過程が見えてきませんか?
さらに、九州王朝「日向族」や、「ニギハヤヒ」を信奉する一族までも含めると、「古代史」とは、多くの部族がひとつにまとまってゆく「途中経過」であることが分かります。
つまり、もともと日本民族は一枚岩ではなく、いくつかの部族に分かれていたものが、神道の教えをよりどころとして、連合国家を形成して行ったのであり、そこに渡来人たちも関与しながら紆余曲折があった!と解釈するのが、一番真実に近いような気がします。