神武天皇の海防体制

『神皇記』による神武天皇の海軍配置

※『神皇記』とは、徐福が記録した日本の古代史(富士古文書)であり、大正時代に三輪義熈が復刻した。

【原典】http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965674

 

神武天皇により、下記の3ヵ所に「海軍大本営」が置かれます。

 

◆摂津の水門(港)・・・・「住吉の宮」・・・・大本営大本陣

大元帥に武勇男命が任命される。

武勇男命とは、ヒルコのひ孫である豊玉彦の子孫であり、海軍の要職はすべてヒルコ⇒豊玉彦⇒シイネツ彦の子孫である「海部族」が独占していた。

 

◆四国の土佐の水門(港)・・・・「高加茂の宮」・・・・中本営中本陣

中元帥に高照武命が任命される。

 

◆筑紫・豊野の宇佐の水門(港)・・・・「八つ幡の宮」・・・・大本営大本陣

大元帥に武田建命が任命される。

ここ宇佐の地は、その昔ウガヤフキアエズの命の海軍基地があったところで、これを復活させたので「底津八つ幡の宮」という。

 

以上の3ヵ所を、「海守三大本営大本陣」と呼ぶ。

この3ヵ所に「住吉三神」を祀って守護鎮守神とした。

すなわち、摂津に上筒之男を祀り、土佐に中筒之男を祀り、宇佐に底筒之男を祀った。

さらに、日本の全国12ヶ所に「副本営」を置く。

 

 


以上の記述から、もともと「宇佐神宮」には住吉三神のうち底筒之男が祀られていたことが分かります。

そして、摂津、高知と合わせた「住吉三神」が、日本の海の守りを担っていたのです。

このことは、「八幡愚童訓」(石清水八幡に伝わる神代文)の記述からも確認できます。

つまり、八幡神とは、もともと「八つ幡の神」であり「住吉神」であったということです。

 

さてさて、私がなぜ神功皇后と応神天皇を攻撃しているのか?もうお分かりだと思います。

もともと古来からわが国にあった「住吉信仰」に背のりして、「自分たちこそ八幡神である」と言い始めたのは、この親子にほかなりません。

そして、この親子が深く信仰していた徐副とは、彼らのご先祖様だったのかもしれません。