日本にやってきたトラジャ族たち

インドネシア人に横穴古墳を見せたら意外な事実が判明


私こと、サイドビジネスとして民泊を運営しているのですが、ある日インドネシアからのお客様が長期滞在することになりました。

 

彼は、娘を日本の大学のセミナーに参加させるため、付き添いとしてやってきたのです。

毎日シトシトと雨が降り続いて退屈そうなので、彼を誘って近くの史跡名勝を案内することとなりました。

 

大分県竹田市の市用という場所にある「横穴古墳群」を見せたときのこと、突然彼が驚いて大騒ぎしはじめたのです。


横穴古墳とは?

まず、市用の横穴古墳ですが、写真にもあるとおり、神社の脇にある断崖絶壁にいくつかの横穴が開けられており、正直なところ、これが何に使われた何の遺跡なのか、地元でも一切伝わっていません。

 

いわく、土蜘蛛族が立て籠った戦闘用の壕であるとか、穀物の貯蔵庫であるとか、様々な人たちが勝手な憶測をしているというのが事実です。

 

横穴古墳は、日本全国から発見されていますが、何時代に何人が建造したものか、全く研究が進んでいないという状況なのです。

【参考】http://www.kohmyoh.sakura.ne.jp/yokoana.html

 

大分県内で最も有名なのは「滝尾百穴横穴古墳群」であり、このほか竹田市菅生地区(景行天皇が滅ぼした土蜘蛛伝説が残る)にも大規模なものがあるらしいのですが、私はまだ見ていません。

http://oitahistory.jp/takiohyakketu.html


本当の使用目的とは?

彼によると、「これはインドネシアのスラウェシ島に住むトラジャ族のお墓と全く同じだ!」というのです。

 

そして、スマホを取り出してある動画を見せてくれたました。

その動画を検索してみたのですが、残念ながらまだ日本語では公開されていないようで、全くヒットしません。

 

そこで、彼が口頭で説明してくれた内容をそのままここに再現してみます。

◆スラウェシ島に住む「トラジャ族」という人たちは、独特のお葬式を行うというのです。

◆それは、死体を肩に担いで梯子を登り、横穴にしばらく死体を放置して、生き返るのを待つらしいのです。

◆私が見た動画は、大声で「ケチャック」のような歌を合唱する村人たち、そしてその声に揺さぶられるように、梯子の上で激しく上下する遺体。

◆ときには、その死体が葬儀の最中に生き返って、自分で歩き始めるというのです。

まさか、そんな・・・・!?

 

再び、「トラジャ族 お葬式」で検索してみても、彼の言っているような生々しい事実は出てきません。

ただし、

◆死体に「死に化粧」をしたり、自分の衣服を着せたりする。

【閲覧注意】http://www.imishin.jp/toraja-living-dead/

【閲覧注意】http://karapaia.com/archives/52225382.html

◆このとき水牛が殺されて生贄にされる。

 

という事実だけで、どうやらあまりにもショッキングな内容なので、地元の人たちも秘密にし始めたようで、最近では、本物の死体のかわりに「タウタウ」と呼ばれる人形が置かれているということも分かってきました。

http://ojimakeigo.com/4946/

https://4travel.jp/travelogue/11162700

 

大切なのは、この横穴は「死者を生き返らすための場所である」ということです。

https://tocana.jp/2015/11/post_7921_entry.html

 


続々と判明する意外な事実

もしも彼の言っていることが正しいとすると、スラウェシ島に住む「トラジャ族」が日本にもやってきて、この横穴を掘ったことになります。

 

(1)まず、トラジャ族とは何者か?

トラジャ族は、インドネシアでは優秀な部族で、大物や有名人を何人も排出しているそうです。

しかも、大切なのは「トラジャ族の貴族階級は、上界から降臨した始祖たちの直系子孫だ」と信じられていることです。

つまり日本でいえば「天孫族」のこと?

【出展】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%A3%E6%97%8F

 

(2)高床式切妻屋根はまるで・・・・

そして、貴族階級は一般人とは異なる「トンコナン」という家に住んでいます。

そう、あのディズニーランドにもある独特の湾曲した切妻屋根ですね。

そういえば、日本から発掘される「家形埴輪」は、この「トンコナン」の日本的展開かもしれません。

http://www.wikiwand.com/ja/%E6%8E%98%E7%AB%8B%E6%9F%B1%E5%BB%BA%E7%89%A9

(3)山間部に逃げ込んだ海洋民族

なぜか彼らは、山奥の高地にひっそりと暮らし、棚田を開墾してコメを育てています。

まるで、竹田市の周辺の田舎の景色とそっくりではありませんか。

私の民泊に宿泊したインドネシア人も「このあたりの景色は、私の故郷に似ている」と、感激していました。

しかも、「北の方角から船で逃げてきた」と伝わっているのです。

ということは、日本の天孫族が南下して、スラウェシ島に住みついたのでしょうか?

http://www.kaze-travel.co.jp/sonota_kiji001.html

 

(4)その衣装は縄文人にそっくり

まず、トラジャ族の伝統衣装をご覧ください。

どこか懐かしいといおうか、卑弥呼にそっくりといおうか、その独特の幾何学模様は、なぜか縄文人の美的感覚と共通しています。

これは、単なる偶然なのでしょうか?

(5)日本にも死者復活の儀式は存在した。

これは、最も大切な事実なのですが、『ウエツフミ』には、「いよぶせのまじ」と呼ばれた死者復活の儀式の様子が詳しく書かれているのです。

 

◆死者は、まず「おくつや(く)へ」というお墓とは別の場所に安置された。

◆ここで死体を臼杵の海から汲んできた海水に浸すこと。

◆「いやけし」と呼ばれる死に装束を着せること。

◆ニギハヤヒの伝えた「十種神宝(とくさのかんだから)」を呪文として唱えること。

 

などなど、まるでトラジャ族の葬儀をほうふつとさせる儀式が行われていたのです。

このことは、以前詳しく書いていますので、こちらから。

記紀にも「殯(もがり)」と呼ばれた儀式のことが記録されています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%AF

 

つまり、トラジャ族と(一部の?)日本人は、葬儀に関して同じ風習を共有していたということです。

 

(6)さらに、獅子舞

その起源は、どこにあるのか全く解明されていませんが、中国、沖縄、インドネシアなどにもその痕跡が残っています。

この奥豊後地方には、神話に基づく「高千穂神楽」と、「獅子舞」が全く同列で伝わっているのです。

それは、神様の乗り物である「お神輿」を先導する神聖な動物であり、おそらくシュメールから伝わった「山笠」や「御柱祭」、あるいはエジプトから伝わったスフインクスとは、全く異質なものです。

(7)原始仏教の伝来

実は、日本への仏教の伝来は、大分県から始まっています。

奈良よりも約50年早く、大分の地に仏教が根を下ろし始めたのです。

それは、真名野長者という大金持ちが、インドから中国を経て日本にやってきた「山王神」を信仰していたためだと、伝説は伝えています。

私は、山王神こそ、インドでは「ハヌマーン」、中国では「孫悟空」のことだと書いています。

⇒詳しくは、こちら

つまり、ボルブドゥール遺跡を作った人たちと、日本に仏教を導入しようとした人たちとは同族だと考えられるのです。

だから、竹田市周辺では翼を持った仏像が多く発見されています。

つまり、これはインドネシアの「ガルーダ」のことではないのでしょうか?

⇒真名野長者こそ蘇我稲目であるとする私の説はこちら

(8)DNAから判明した、アマンダン諸島、チベット、縄文人の共通点

このことは、以前にも書いていますが、縄文人のハプロタイプは、日本(特に沖縄とアイヌ)、チベットの山岳民族、アマンダン諸島の海洋民族の3か所にしか存在しないということです。

このことから私は、沈んだとされるレムリア大陸から逃げてきた人たちが、日本に住み着いて縄文人となったのではないか?という仮説を立てていました。

⇒詳しくは、こちら

でも、縄文人と天孫族との関係や、弥生人とは何者か?というテーマは、まだ解決されていません。

果たして、レムリア人たちが逃げてきて、トラジャ族や縄文人となったのでしょうか?

それとも弥生人?

あるいは天孫族?

 

大混乱してきました。


考察---結びにかえて

もし仮に、私の主張しているように、奥豊後地方(大分県の南半分)にウガヤフキアエズ王朝が実在したとすると、以上述べてきたように、この王朝は東南アジア諸国と深い深い関係を持っていました。

 

同じく弥生時代にやってきたとされるシュメール人、落合莞爾氏が主張しているウバイド、あるいは北からやってきたツングース、日ユ同祖論が主張するユダヤの失われた種族や、中国大陸からやってきた徐福などなど、いったい誰が正当な天皇家で、いったい誰が征服された部族なのか?

 

大混乱してきた私は、あるひとつの考え方に至りました。

それは、「どうでも良いじゃないの」という結論です。

 

全ての肌の色、言語も異なる様々な民族を、みんな受け入れてきたのが日本人だったではないのでしょうか?

 

そして、その違いをハッキリと認識したうえで古代日本人たちは「五色人」という概念を持っていました。

それは、幣立神社やお神楽の中にも脈々と受け継がれています。

⇒五色人と猿田彦の関係は、こちら

つまり、世界中にはそれぞれ多少の違った考え方をする「亜種」が存在するだけで、生物学的にみれば、それはひとつの「ホモ・サピエンス」なのです。

 

そして、他民族に対するアレルギー反応がいちばん鈍感なのが日本人であり、だからこそ異民族や異文化の良いところがあれば、積極的にこれを受け入れて、真似していったのではないのでしょうか?

ちなみに、「学ぶ」の語源は「まねぶ」であるとウエツフミは伝えています。

 

ところが、残念なことに異民族や異文化や異教徒を徹底的に排除しなければ、生きてゆけない人たちが、いまだに存在していることも事実です。

だからこそ、世界中で繰り返し引き起こされる戦争、テロ、虐殺、民族虐待の嵐。

こんな人たちが世界を動かしている限り、人類には未来も無ければ、幸福もあり得ません。

 

この日本人の特性をいちばん的確に表現しているのが、聖徳太子のあの言葉です。

そう、「和を以って尊しと為す」ですよね。

 

もしかしたら、人類の未来は日本人に託されているのかもしれません。

 


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コメント: 1
  • #1

    空又 覚造 (土曜日, 04 3月 2023 01:27)

    長文有難うございます。勉強になりました。トラジャ族も死者を掘り返すというのは初めて知りました。実は,死者を掘り返すという映像を『古滇王国』という番組で拝見しております。場所はスマトラ島で雲南大学の先生方が調査に入りました。家屋はトンコナンに似ていますが,出土品とは同じようには見えません。
     トラジャ族の解説はWikiで知ることができます。その中でフランス人人類学者が主張されているように,トラジャ族は中国の南から来ました。『古滇王国』からです。この王国は昆明近くの滇池付近にあった王国です。首都を一度かえたという情報もありますが,石塞山の遺跡からは出土品に船の絵を描いた銅器があります。このYouTube『古滇王国』をご覧ください。

     小生は文様に興味があり,遺跡であれ何であれ,壺や衣服などの文様にまず目が行きます。トンコナンにも三角形や渦巻の文様があります。滇王国人は三角模様の服を着ておりますがトンコナの屋根にも三角文様があります。また共通点としては,巫女が数人いますが,頭の冠がほとんど同じ形です。スマトラ島の方は巫女がいなかったと思います。したがって古滇王国の人は集団でスワウェジ島に向かったと考えます。ただどういう経路かは分かりません。舟を使ったことは間違いないでしょう。遺伝子解析が待たれます。

     以上です。大変失礼しました。