九州王朝が再び封印された痕跡を目にした旅
先日、明日香村にある石舞台古墳を、この目で見て来ました。
そして、ますます確信しました。
これを造ったのは大分県出身の真名野長者の子孫たちであると。
そして、無惨に破壊された石舞台古墳は、蘇我一族が封印されている証拠であると。
蘇我氏と真名野長者との関係
まず、蘇我氏と真名野長者との関係を説明します。
すでにご存じの方は、ここは読み飛ばしてください。
そもそも真名野長者は、大分県豊後大野市三重町に生まれた孤児でした。
炭焼きで生計を立てながら細々と暮らしているところに、奈良の都からお姫様が訪ねて来ます。
この姫君こそ蘇我氏の娘であり、三輪明神のお告げにより、わざわざ大分県まで嫁いできたのです。
その後めでたく夫婦となった二人は、金鉱脈を発見して大金持ちとなり、のちに仏教導入の基礎を築きます。
つまり、真名野長者こそ蘇我稲目であり、蘇我家に入り婿として入った謎の孤児であるということです。
のちに、この真名野長者は欽明天皇に重用されて、大分県の国司となります。
さらに、その娘は用明天皇に見初められて奥方となります。
そして生まれたのが聖徳太子です。
⇒詳しくは、こちら。
用明天皇・その奥方・聖徳太子の親子三人は、奈良の都に帰って「飛鳥の宮」を築きます。
現在の明日香村です。
一方、大分の真名野長者には後継ぎが居なくなったので、欽明天皇の紹介で尹利金政という者を養子として迎えます。
この人物こそ、蘇我馬子なのでした。
つまり、二代続いて蘇我家は入り婿を入れたということであり、逆に言えば、姫君こそが蘇我家の血筋を守ってきたということです。
尹利金政は、壱岐に攻めてきた外国人を成敗して大将軍に抜擢されます。
そして「百合若大臣」として民衆の尊敬を一手に集めるようになります。
その後、奈良に移住して、蘇我馬子として絶大な権力をふるうようになるのです。
もう一度書きます。
用明天皇・その奥方(のちに般若姫と呼ばれる)・蘇我稲目(真名野長者)・蘇我馬子(尹利金政)そして聖徳太子、全ての人物は大分県を本拠地としていたということです。
もっと正確に言えば、大分県を経済の拠点とし、明日香村を政治の拠点としながら、日本全国を統治した超リッチなファミリーだったのです。
蘇我一族の宝・聖徳太子
このセレブ一族に生まれた聖徳太子ですが、明日香村で驚異の全方位外交を展開します。
つまり、そのころ動乱が続いていた朝鮮半島、すなわち百済・新羅・高句麗・任那、すべての勢力を明日香村に迎え入れ、今でいう大使館(外国人居住区)を造ることを許可したのです。
だから、このあたりには複数の文化が入り混じって、多様な古墳群が形成されているのです。
そして、それを補助したのが蘇我馬子こと尹利金政であり、その出自はよく分かっていませんが、高麗人であったと伝承は伝えています。
一方、経済の拠点である大分には、百済国が深く入り込んで、軍事と仏教の両面からこのセレブ一族を支えていました。
この図式をひとことで説明すると、
大分から突然成り上がってきた大金持ちの蘇我一族。
それを助けるふりをしながら、刻々とチャンスをねらう百済・新羅・高句麗。
つまり、一発触発の危険地帯が明日香村に誕生したということになります。
ここからは仮説ですが、のちに藤原氏を名乗ることになる百済国の王族・余豊璋は、宮崎に上陸して、大分の真名野長者こと蘇我稲目に近づき、数々の仏像を献上して、一族の保護と永住許可を求めます。
ところが、のちに奈良の都にまで進出したこの渡来人一族は、中大兄皇子をかついで、蘇我一族の転覆を画策します。
つまり、ここでやっと馬脚を顕したこということです。
中臣鎌足こと余豊璋と中大兄皇子は、飛鳥寺で蹴鞠を行っていた蘇我入鹿を急襲し、その首をはねます。
もうここまで来ると、あとはバトル・ロワイヤル状態です。
おとなしくしていた新羅や高句麗の勢力も、それぞれ様々な思惑で動き始めて、「大化の改新」へとつながってゆくのです。
馬子の墓は暴かれた
さてさて、石舞台古墳を見学した私は、それが徹底的に破壊され、盛り土が取り除かれて基石が露出しており、石棺も粉々に破壊されていたことに、いたく心を傷つけられます。
そんなことはどこにも書いていなかったし、誰も教えてくれませんでした。
やはり、「百聞は一見にしかず」ということですかね。
大分からやって来た田舎成金の蘇我馬子を妬んで、徹底的に憎む勢力が、二度と復活しないように、古墳を破壊して封印したのでしょう。
まるで黒魔術の世界を見るようで、ここまでやるのは間違いなく日本人ではありません。
でも、ご安心ください。
蘇我一族は、もうひとつの馬子のお墓を大分市内に造っていました。
それが、「大臣塚古墳」なのですが、あまり詳しく教えたくはありません。
また彼らがやって来て破壊するでしょうから。
明日香村ののどかな景色は、間違いなく大分の眺めにそっくりです。
ぼーっと遠くの山々を見渡していた私に、奇妙な雲が近づいてきました。
どこからか「しっかりとこのことを伝えよ」というメッセージが下りてきたような気がしました。
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