神代文字と言霊

古代日本人は3種類のアクセントを使い分けていた

奈良時代まで全国各地で使われていた『神代文字』ですが、その文字のなかに【言霊】を込める方法が、かすかながら見えてきました。

 

「言霊(ことだま)」とは、文字通り「言葉の持つ霊的なパワー」のことですが、なんと古代の日本人は、3種類のアクセントを使い分けており、さらにその違いを文字に表記する方法まで共有していたのです。


3種類のアクセントとは?

実は私、学生時代に第二外国語で「中国語」を選択したのですが、中国人は4種類のアクセントを使い分けていることに驚愕しました。

それは「四声」と呼ばれ、ひとつの表音文字に対して、4種類の発声ができるということです。

⇒「四声」とは? https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A3%B0

 

ところが、古代日本人も3種類のアクセントを使いこなしていたのです。

それは、『ウエツフミ』を執筆した朝倉入道信舜や、それを研究して世に広めた幸松葉枝尺が残した手記の記述から明らかになりました。

 

ややこしいので、分かりやすく説明しますと・・・・

 

例えば「ハシ」という文字があるとします。

(1)その頭を強調して発音すると「箸」という意味になります。

(2)どこも強調しないで均等に読み上げれば「橋」であり、

(3)語尾を強調すると「端」という意味になります。

つまり、文字だけでは本当の意味は伝わらないということ。

 


アクセントの表記方法

このややこしいアクセントの違いをどうやって伝えたのでしょうか?

 

中国人は漢字自体が複雑なので、それとは別に「ピンイン」というアクセント記号を使うことにしました。

でも、もっと複雑になって覚えられなくなったことはご想像通りです。

 

そこで、日本人が考え出した方法が「変体文字」を使うことなのです。

神代文字の一種「豊国文字」では、微妙な書き方の違いで、アクセントの違いを伝えることにしました。

 

例えば、豊国文字の「キ」という文字はカタカナと全く同じですが、この真ん中の|をまっすぐ垂直に書くと「キ」と読み、カタカナのように少し斜めに倒すと「ギ」と読みます。

 

残念ながら、3種類のアクセントを豊国文字の中でどう表記して使い分けていたのかは全く研究が進んでおらず、体系化されていません。

 

もちろんこれは、毛筆で書いていたからこそ出来る技であって、現在のように活字で表記したのでは、この微妙なアクセントの違いは伝わらないことになります。

ましてや、テキスト・データでは言霊が全く伝わらないのです。

 


奈良時代に起きた大事件

このことで、最初に悩んだのが太安万侶というお方です。

そう、みなさんもご存知の『古事記』の執筆者ですよね。

彼は、稗田阿礼が暗唱した話し言葉を、漢字で書き留めようとしていたのです。

 

その『序文』のなかで、彼はこう嘆いています。

『上古の時代は、文字と発音と意味が一体だったので、文章に起こして、句を構えることを、漢字で行うのは難しい。つまり、漢字のもつ意味だけで記述してゆくと(=漢文方式)言霊が心に届かない。かといって全て漢字の発音だけを連ねてゆくと(=万葉仮名方式)意味を伝えるのにとても長くなる。』(筆者による意訳)

 

えーっ、だったら『豊国文字で書き記せば良かったのに!』と、私は思うのですが、天武天皇が「神代文字を廃止して、漢字を標準文字とする」と定めたので、逆らえなかったのでしょうね。

 

そもそもこの太安万侶というお方、百済人ではなかったのか?という疑惑が浮上しています。

 

【証拠その1】太安万侶の父は多品治(おおのほんじ)とする説があり(『阿蘇家略系譜』)、もともとは多安万侶と表記していた可能性大。つまり阿蘇氏の祖先である多氏(おおし)の出である。

【証拠その2】多氏の出自については、『日本書紀』の景行天皇記に明確な記述がある。

「先遣多臣祖武諸木。」その意味は、「多(おお)臣の祖である武諸木を、九州上陸の際に先に偵察隊として遣わした」というものである。つまり、多氏は景行天皇の家来として九州を攻めているので、攻められた阿蘇地方の豪族・阿蘇都彦の子孫では無い。

【証拠その3】太安万侶の祖父である多蒋敷(おおのこもしき)は、妹を百済王・豊璋に嫁がせている。豊璋の弟・善光は百済王という苗字を賜ったので、多氏とはもともと百済王氏だったのではないか?

 

つまり、百済王⇒王⇒多⇒太⇒大野という風に段々と表記を変えて、自分が百済人であることを隠して、日本に同化しようとしたのではないでしょうか?

⇒大分県に多い「久多良木(くたらぎ)」という姓は、もともと「百済から来た」という意味で「百済来」と書いていたとする説もあり、こちらは隠さなかった例。

 

さらに重要なのは、『古事記』に使われている漢字の音読みには「呉音」という百済から伝わったとされる特別なものが使われており、『日本書紀』が使っている「漢音」とは対照的なことです。

⇒【呉音とは?】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E9%9F%B3

 


結び

つまり、百済人が百済に向けて発刊した『日本神話解説書』が『古事記』であり、中国人が中国に向けて発刊した『日本神話解説書』が『日本書紀』なのではないでしょうか?

もし、日本人が書いたとしたら、「呉音」と「漢音」の使い分けなんか出来ないですよね。

 

そういえば、私も若いころサウジアラビアへの駐在が決まった時には、『コーラン』を必至で読んだものです。

イスラム教には興味は全くありませんでしたが、少しでもサウジ人の言霊を理解しようとしたことは事実です。

 

奈良時代になって、急激に国際化が進展して、いろんな国の人種が渡来してきた日本という“不思議な神国”に対して、誰もが興味を抱いたに違いありません。

そのため『外国人のための日本神話ガイド』が、必要急務となってきたのでしょうね。

 

そして、太安万侶こそ「日本語と漢字をどう融合させるか?」という難しい命題に、最初にチャレンジされた方ではないでしょうか?

 

しかし、言霊を失ってしまった「ネオ日本語」では、本当の歴史は伝わらないと、わざわざ「豊国文字」を使って『ウエツフミ』をまとめさせた大友能直公は嘆いています。

 

最後に、近ごろ神代文字と言霊に興味を持たれているという方、特に女性がかなり多いことには驚きますが、その書き方がとても重要であるということだけは覚えておいてください。