明治政府の神社政策

八百万の神々を消そうとした者たちの正体

明治政府が『神仏分離令』という悪法により、全国の【お寺】をブッ潰そうとしたことは有名ですよねえ。

あなたも“廃仏毀釈”という言葉はどこかで耳にしたことがあるでしょう?

 

では、【神社】に関してはどうだってのでしょうか?

このことは、ほとんど語られていません。

 

なぜ、明治政府の「寺院弾圧」だけにスポットが当てられ、「神社弾圧」は表沙汰にされて来なかったのでしょうか?

おそらくそれは、想像を絶するほどひどいものだったからです。

その内容を聞かされて大反対を唱えたのは、博物学者として有名な南方熊楠だけではありませんでした。

 

彼らの行おうとした宗教改革の内容と、その首謀者の正体を調べれば、明治政府とは一体何者だったのか?が鮮明に見えてきます。

 

これは、万を持して世間に発表する“暴露記事”となりますので、もしも私の身に何かが起こったら、この記事が原因だとお考えください。

 


明治政府は神社も潰そうとしていた!

寺社の統廃合に関する閣議決定書ならびに勅令案

【別紙】内務大臣請議『社寺合併跡地無代下付ノ件』

<寺社の統廃合に関する閣議決定>

明治39年、ときの西園寺公望内閣は、神社仏閣に関する大変重要な方針を閣議決定します。

私が「国立国会図書館オンライン」で入手した、その閣議決定の原文を画像添付しますが、それを要約すると、こんなことが書かれていました。

 

現在、わが国には神社やお寺が多すぎる!

これではどの神社仏閣も廃れてしまい、正しい教えが伝わらないではないか。

だから神社仏閣を統廃合してその数を減らし、より完全なものにすることが得策である。

合併により廃止された寺社の資産は、残された寺社に譲渡してより強固にするとともに、これにより寺社整理の目的を達成すべきであるので、ここに閣議決定する。

 

なんとも稚拙な要約文ですが、あえて分かりにくく書かれた原文を、正確に再現するとこうなります。

ここには、大変重要な問題点がいくつかあります!!!

 

問題点(1) ◆お寺に対する「神仏分離政策」は、既に幕末から始まっており、明治10年ごろにはほぼ成果を上げ始めていました。

だから鹿児島で弾圧された仏教徒たち(特に浄土真宗徒)が中心になって引き起こした反乱が「西南戦争」だという説もあります。

要するに、この閣議決定(明治39年)は、「お寺の統廃合」に引き続き、いよいよ「神社の整理統合」に着手することを宣言したものであり、明治政府にとっては、お寺も神社もどちらも再編対象だったということが分かります。

 

問題点(2) ◆さらに、こんな重要な政策が「閣議決定」のみで行われたことは大問題です。

帝国議会の承認を得ていないということは、民意を全く無視して内閣の独断で行われたということになります。

この7年前にようやく産声をあげた「帝国議会」は、まだ充分に機能しておらず、実際は内閣が好き勝手に政策を実行していたという重要な証拠です。

 

問題点(3) ◆もうひとつは、ご丁寧にも明治天皇が発すべき「勅令」の草案までここに書かれていることで、後日この草案どおりに勅命が発せられます。

つまり明治天皇の意向も全く無視されていたということです。

もしかしたら明治天皇はただの“お飾り”であり、実際は明治政府とその背後にいる謎の勢力が全てを采配していたのかもしれません。

 

実際に明治天皇はどう考えていたのでしょうか?

京都を視察されたときの有名な逸話が残されています。

 

この廃仏毀釈により五条大橋の欄干に取り付けてあった擬宝珠(ぎぼうしゅ、ネギ坊主のような形をした飾り)が、全て取り外されていたのをご覧になった明治天皇は、驚きとともに「不快感」を表明されます。

ご案内役を務めていた京都府知事はただちに“忖度”して、擬宝珠はもとの場所に戻されました。

 

つまり、明治天皇自身もこの政策には反対だったことが伺えます。

 


保護すべき神社「稲八金天」とは?

さてさて、いよいよ神社の統廃合に着手した明治政府ですが、それはもっと具体的な方法で実行さてゆきます。

一体、どんな神社が「残すべき価値のある立派な神社」であり、どんな神社が「廃止されてもおかしくないダメな神社」だったのでしょうか?

そこには、ある明確な選別基準がありました。

 

最終的に選ばれたのが、「稲八金天」と呼ばれた下記の4つの神社だったのです。

◆稲荷神社

◆八幡宮

◆金刀比羅神社

◆天満宮

 

この4つの神社の頭文字を取って稲八金天(いなはちこんてん)といいます。

【参考】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E5%85%AB%E9%87%91%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 

現在、多くの神社で「合祀」された痕跡が残っており、もともとのご祀神が「地神」などと書かれた石碑になっていることが多いのも、これが理由だったのです。

 


稲八金天に対する反発

これに対して猛反発したのが、博物学者として有名な南方熊楠らでした。

彼の行った反対活動は、『神社合祀に関する意見』に詳細に記録されています。

⇒【青空文庫に掲載された原文】

https://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/525_47860.html

 

その結果、熊楠自身も刑務所に投獄されます。

つまり、明治政府は本気で「神社をブッ潰す!」つもりであり、反対する者は徹底的に弾圧しました!

⇒南方熊楠自身は、明治天皇が戦艦三笠で和歌山を行幸された際に直接面会しており、ここに明治天皇の真意が拝察される。(反逆者ならば会わないのが常識)

 

例えば、下記のサイトにもその経緯が詳しく書かれています。

その作者・真鍋厚氏の指摘はほぼ当たっています。

このショッキングな現実をよく見ておいてください。

「八百万の神」を潰そうとした明治政府に立ち向かった男

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53571

 


明治政府はどこへ行こうとしていたのか?

一体、明治政府はどんな宗教体系を構築しようとしていたのでしょうか?

一般には、「天皇陛下を中心として日本国をひとつにまとめあげるため、天照大御神を頂点とする絶対唯一神道にしたかった」と、考えられていますが、事実はそうではありませんでした。

 

このことが良くわかる資料が見つかりました。

それは明治4年5月14日(1871年7月1日)に太政官布告「官社以下定額・神官職制等規則」により制定された【官幣社】の一覧表です。

こちらのサイトにある【官幣社】のリストをご覧ください。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%A4%BE%E6%A0%BC%E5%88%B6%E5%BA%A6#%E5%AE%98%E5%9B%BD%E5%B9%A3%E7%A4%BE%E4%B8%80%E8%A6%A7

 

官幣社とは、分かりやすく言えば「皇室がお金を払って運営する神社」であり、そこに祀られているのは、天皇家や皇族など、皇室に所縁のある神様だと(表向きには)説明されていますが、実際にそうなのでしょうか?

 

この一覧表を詳細に眺めてみると、驚愕の事実が浮かび上がってきます。

それは、「渡来系の神様を祀る神社が、あまりにも多すぎる」ということです。

 

実際にどんな神様がリストアアップされているのかを見れば、明治政府の正体が露呈します。

 

いいですか、そこにある私が注目した神社と、そのご祀神を並べてみますよ。

 

◆日前神宮・國懸神宮・・・・日前大神 (ご神体は日像鏡)と國懸大神 (ご神体は日矛鏡)は、いずれも新羅の王・アメノヒボコに由来する。崇神天皇も信奉した渡来人一族のご先祖様。

◆気比神社・・・・新羅の王・アメノヒボコ(別名イザサワケ)を祀る。

◆宇佐神宮・・・・新羅から追放された神功皇后と応神天皇の母子を祀る。

◆三嶋神社・・・・フェニキアから渡来した海人族(ニセ海部族)のコトシロヌシを祀る。

日本古来のオオヤマツミを祀る三島神社ではありませんよ!

◆上賀茂神社・下賀茂神社・・・・秦氏の一派である賀茂氏の総本山。

◆松尾大社・・・・秦の始皇帝の末裔・秦氏が信仰する酒造りの神様・オオヤマグイを祀る。創建は秦忌寸都理

◆平野神社・・・・百済系の4柱を祀る。

百済系渡来人の和氏⇒武寧王⇒高野新笠(光仁天皇の側室で桓武天皇の母)

◆伏見稲荷大社・・・・秦氏の祖先・イナリを祀る。

伊奈利⇒秦中家忌寸⇒秦伊侶具⇒秦大津父⇒秦氏

 

もしも表向きの説明通りだとすれば、【秦氏】【賀茂氏】【紀氏】【尾張氏】などが、天皇家の親戚であることが分かります。

 

もちろんそこには、【伊勢神宮】の名前はありません。

だから、昭和天皇は一度も伊勢神宮を参拝していないのですね。

つまり、当時の天皇家は天照大御神の子孫ではなかったことになります。

 

もし私の推測が正しいとすると、明治維新とは渡来人たちによるクーデターであり、このときに政権を握った渡来人勢力が、自分たちの祖先神を復活させて、日本古来の神々を追い出そうとしたということです。

 

ついでにもうひとつ解説しておきますが、百済人と新羅人の違いにこだわる方が非常に多いのですが、「統治される奴隷階級が何人であるか?」に着目する必要は全くありません。

重要なのは、「統治する王族たちはすべてつながっている」ということであり、そこに【百済人】【新羅人】【日本人】【中国人】というレッテルを貼るのは無意味です。

それがワンワールドの根本理念だからです。

 


この政策の首謀者・西園寺公望とは?

さてさて、ときの西園寺内閣はなぜこんな無謀なことを実行したのでしょうか?

それは正式な記録には一切残されていないので、彼らの本当の目的を私が勝手に推測してみると・・・・

 

まず、西園寺公望は明治政府では数少ないお公家様出身の元老だということです。

しかも癇癪持ちで、やっかいな頑固じじいだったと多くの人が証言しています。

つまり、無視すると怖い影の大物ということです。

 

明治の元老・伊藤博文は、実は田布施部落出身の半島人だという説もありますが、彼のお気に入りの“一の子分”として、西園寺公望は忠実に伊藤博文の考え方を実行してゆきます。

具体的には伊藤博文の設立した「立憲政友会」の後継者として党首を任され、その相棒・桂太郎とともに「桂園時代」という黄金時代を築きました。

 

なぜ黄金時代だったのかというと、次々とライバルの元老たちが失脚したり、暗殺されたりしてゆくなか、最後まで生き抜いて、昭和15年に90歳で臨終するまでその影響力を維持し続けたからです。(つまり謀略家でもあったので生き残れたということです)

「明治維新最後の超大物」、それが西園寺公望でした。

 

この間、日本は着々と「軍国主義」の暗闇に突入してゆきます。

ヨーロッパを訪問して「世界統一思想」に共鳴した西園寺公望は、米英協調路線を重視し、日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦と、日本を世界的な戦火に巻き込んで行った張本人だということもできます。

 

つまり、落合莞爾先生の説くところの「英国ワンワールド」の一員だったんでしょうね。

⇒私の解釈では、東京皇室とそれを支えた薩長藩が「英国ワンワールド」であり、京都皇統(もしも本当にあるとすればですが)と紀州藩が、「モンゴルワンワールド」ということになります。

彼らは、一見お互いに争っているように見せかけていますが、目指すところは一緒です。

 

そして、彼らを支持した軍産複合体とともに、「帝国主義」の時代へと突き進んでゆきます。

つまり、世界の列強諸国のあいだで始まった“植民地獲得合戦”という椅子取りゲームに、日本も参戦していったのです。

もちろん、お金儲けのためであり、戦争にはそれ以外の理由はありません。

 


まとめ・・・・戦争と宗教

「戦争と宗教」それは密接不可分な関係にあります。

イスラム教徒もキリスト教徒も、みんな宗教的良心のためにその身を捧げて、「人殺し」という嫌な大役を宗教で自己浄化してきたのです。

 

日本も例外ではありませんでした。

「天皇陛下万歳」と「靖国神社で会おう」を合言葉に、多くの善良な国民たちが、なんだかよく分からない戦争にその身を捧げてゆきました。

 

つまり、明治政府の本当の狙いは、日本にそれまで無かった「戦時宗教体系」を構築する必要があったということです。

従来の生ぬるい仏教や神道の教えでは、とてうてい軍人が持つべき“強い信念”、つまり“熱狂的愛国心”を提供することは出来ないとでも考えたのでしょうか?

「神である天皇が指示した絶対的正義、そこに向かって一心不乱に突撃せよ!」

そう教えてくれる強い宗教が必要でした。

 

その結果登場したのが『八紘一宇の精神』というキャッチフレーズ!

・・・・日本国は神国であり正義の味方である。西欧列強により奪われようとしているアジアを奪回し、日本を中心とした理想の統一世界を造るのだ!・・・・という(ある意味素晴らしい)コンセプト。

 

私の伯父は、陸軍士官学校まで出た立派な軍人でしたが、私のこのような論調を聞いたら、「貴様、非国民か!」と、顔を真っ赤にして怒ったに違いありません。

ある意味、私の大好きだった伯父も純粋無垢なお方であり、当時の洗脳教育の優等生、逆にいえば被害者だったのかもしれません。

 

以上は、私の勝手な解釈なのでご批判も多いかと思いますが、彼らの行ったこのような政策内容をみれば、それがまんざら的外れでは無いことが分かります。

 

最後に、最も大切なことを書いておきます。

それは「私たち日本国民は、二度とここに戻ってはならない!」ということ。

その意味で、明治政府の行った神社政策は、反面教師であり、貴重な歴史的教訓である!

ということです。

 


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コメント: 4
  • #1

    髙坂孟承 (土曜日, 31 7月 2021 10:19)

    非戦の思想いいですね。
    私は、敗戦時小学2年で僅かに戦争を体験した世代ですが、はるかに若く戦争のせの字ものご存知ない方が、過去の悲惨な戦争を想像し非戦を主張されるのを嬉しく思います。
    神様の話しは、多少幻想気味ではありますが、とやかく申しません。

  • #2

    松尾 剛 (月曜日, 02 8月 2021 21:45)

    戦争反対ですが、現実に侵略勢力に占領されて属国化されようとしている時にノーガードで打たれまくって自分たちだけではなく子や孫までも奴隷にさせられることを望みません。日本の伝統と文化を破壊して、世界を牛耳ようとする勢力に対抗して独立をしなくてはならないです。そのために侵略勢力の手先となっている政治家や官僚財界に対して、国民が目覚めて声をあげるべきだと思います。尖閣には160日以上中国船が領海侵犯をし続けています。北海道の土地の10分の1は中国に買われていて、アイヌが先住民だとして分断して香港のように支配させようとしています。中小企業を潰して、外資が入りやすい環境を作っています。国民の所得を下げて従順なストない労働者としようとしています。

  • #3

    イタガキ (日曜日, 26 12月 2021 20:44)

    故鬼塚英昭氏の動画で知った「まさか!」がこの理由で少し解ってきました。昭和天皇にまで引き継がれてきているであろう朝鮮半島優先の考え方が一本の線でつながってきました。ありがとうございました。

  • #4

    MIX (水曜日, 30 11月 2022 12:13)

    明治の廃仏毀釈に神社も同様に統廃合されようとしていたということを初めて知りました。又、南方熊楠氏がそれに反対し投獄されたという話も初めて知りました。明治政府とはそういうことをする団体だったのですね。
    現在の平成の日本政府も日本の独立発展とは正反対のことをやり続け、外国勢力の浸食を許し、国を衰退させることしかやっていないと思われます。労働者にストのできない組合を押し付け、望まない確定拠出年金などで金融機関にもうけさせ、そのあたりから怪しいと思っていましたが、コロナ禍ではっきりしました。真の日本を取り戻したいものです。