イザナミがインドに渡って薬師如来になった!

三蔵法師玄奘が伝える衝撃の真実

実は、私の住んでいる大分県豊後大野市には「古墳時代の西暦319年に、日本最初の仏教がこの地に伝わった」という伝承が残っています。

このことを詳しく調べてゆくうちに、薬師如来信仰にゆき当たりました。

なぜなら、この地に最初に渡来したのは山王神であり、その役目は薬師如来と祇園精舎を守護することだったからです。

 

ここは思い切って薬師如来信仰に関する原典を読むしかありません。

中国人の三蔵法師玄奘が苦労してインドに渡って著したとされる『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(国立国会図書館がネットで公開中)

その難解な記述を解読してゆくうちに、衝撃の仮説が生まれます。

 

その仮説を、仮に「薬師如来=イザナミ同体説」とでもしておきましょうか?

そのとおり、薬師如来はインド人ではなく、日本人であった可能性が高いということなのです。

 


そもそも『薬師瑠璃光如来本願功徳経』とは?

みなさんは、『孫悟空』の物語をご存知ですよねえ?

猿の孫悟空が三蔵法師を助けて、天竺にまでお経を取りに行くという痛快なストーリーなのですが、これは実話を分かりやすく伝えるために戯曲化されているのです。

ちなみに昭和53年には、ゴダイゴの「Monkey Magic」をテーマ曲にした、日テレ系ドラマ『西遊記』として日本でも大流行しましたよねえ。

 

この物語の元となった実話がありました。

7世紀の中国・唐の時代に実在した玄奘というお坊さん。

このお方がはるばるシルクロードを越えてインドに渡り、現地から貴重なお経の原典や仏像を長安の都に持ち帰ります。

 

そして、その玄奘が正しい薬師如来信仰の解説書として漢文で書きあげたのが『薬師瑠璃光如来本願功徳経』なのです。

 

その内容を読んでみると、それは単なる(唱えるための)念仏ではなく、しっかりとした再現実話であることが分かります。

 

「かくの如く我聞く」で始まるこの文章は、お釈迦様がその弟子である文殊菩薩に対して、薬師如来のありがたさを直接教示するというスタイルで記録されています。

 

つまり、当時はお釈迦さまも文殊菩薩も生きた生身の人間であり、お釈迦様は古来からインドに伝わっていた「薬師如来という遠い異国のありがたい仏様に関する古い言い伝え」を、文殊菩薩を筆頭とするお弟子さん一同(約8千人の信者がいたという)に対して、正確に思い出しながら口頭で伝えているのです。

それを誰かが詳細にメモして、これを漢文に訳したのが玄奘、という流れになります。

 

つまり、薬師如来はお釈迦様よりもさらに古い時代の神様であり、遠い異国(インドからみて東方の国)の神様であり、もちろんお釈迦様自身が創作した訳ではなく、紀元前5世紀頃のインドでは「西方の阿弥陀如来、東方の薬師如来」と並び称されていた“伝説の神様”であったことが分かります。

 

そして、ほかならぬお釈迦様自身こそが、薬師如来の深い信仰者であり、その霊験と功徳を伝える“語り部”であったのです。

 


なぜ薬師如来はイザナミのことであると断定できるのか?

まず真っ先に伝えなければならないのは、「薬師如来はインド人ではない!」ということです。

 

このことは『薬師瑠璃光如来本願功徳経』にはっきりと書かれています。

そのプロフィールの詳細を箇条書きにするとこうなります。

 

◆薬師如来は、浄瑠璃国の神様(仏様)である。

◆浄瑠璃国は、インドから数えきれないほどいくつもの国を越えた、はるか東方にある。

◆その国は、とても清浄で争いごとも無く、女人も居ない。

(当時のインドでは男尊女卑が著しく、女人は男性よりも劣り、ハンディキャップ(業)を持つと信じられていた)

◆さらに悪人や苦情も存在しない。

◆大地は瑠璃(青色の宝石)で覆いつくされ、金縄界道(金の道路のことか?)があり、お城や宮殿などの窓はみな七宝(ガラス?)で造られている。

◆これは西方極楽浄土(阿弥陀如来の居る国)とほぼ同じである。

◆みな人徳にすぐれ、差別は無い。

 

さらにさらに、薬師如来=日本人説を裏付ける決定的な記述があります。

 

◆その国には、二人の菩薩・魔訶薩(生身の人間で最高位に達した人)がいる。

◆ひとりを日光遍照といい、もうひとりを月光遍照という。

◆この二人が人民のなかのトップで、薬師如来の教えを正しく伝えている。

 

えーっ、日光と月光?

どこかで聞いたことありませんか?

そうです、これがアマテラスとツキヨミを意味しているのだとしたら?

この二人に共通の母親とは、日本ではイザナミの命ですよねえ。

 

ここから私は「薬師如来=イザナミ同体説」を主張しているのです。

そういえば、神社などでイザナミの命をお祀りするときにも、必ず脇神が二人いることをご存知ですか?

ひとりは速玉之男命、もうひとりが事解之男ですよねえ。

現在では正体不明となっているこの二神、もともとアマテラスとツキヨミだったのに、何者かが故意に記述を書き換えてその存在を抹消しようとしているのだとしたら?

 

ちなみに、飛鳥時代までは「日月二神信仰」だったと伝えているのが、聖徳太子が編集に着手した『先代旧事本紀』と、崇神天皇が宮中から追い出したヤタの鏡を守り抜いた『倭姫世紀』であることはご存知でしょうか?

 

その後、スサノオの存在が再び脚光を浴びるようになって、「日月地の三神信仰」に変わっていったということは、「悪神が必ずいなければならない!」と強固に信じる一派が日本を支配していったということです。

 

さらに私の仮説には、もう一つの根拠があります。

お釈迦様以外にも「東方に黄金の国がある」と主張していた人物が、私の知る限りあと二人居ます。

ひとりは徐福であり、もうひとりはマルコポーロですよねえ。

 

徐福は、「東方海中に蓬莱山があり」「そこは神仙たちが住む国である」ということ以外に、もうひとつ決定的なことを言って居ます。

それが、「この場所こそ全人類共通の祖国である」ということ。

だからこそ彼は日本を目指したのです。

 

一方、マルコポーロは、シルクロードを経由して中国までやってきて、そこで「東方にジパングという黄金の国がある」ことを中国人から聞きます。

つまり、玄奘がインドから持ち帰った「浄瑠璃国伝説」が、イタリア人のマルコポーロに伝わって、西洋諸国にまで波及していったのです。

この都市伝説がマゼランやコロンブスを動かしてついにアメリカ大陸の発見につながりますが、実は彼らが目指していたのは日本だったのです。

 

つまり、“黄金の浄瑠璃国”に関する情報は世界中を駆け巡って、西洋人さえもとりこにしたということでしょうか?

 


薬師如来渡来に関する通説はウソだらけ

私の大胆な仮説に対して、現在の通説ではどう伝わっているのか?

手短にまとめると下記のとおりとなります。

薬師如来に関するマイルストーンを、時系列順に並べてみます。

 

◆縄文日本人たちが信仰していたイザナミの命、それは生命と健康を司る女神様であり、遠くインドにまで伝わって薬師如来としてあがめられた。(藤島仮説)

◆紀元前5世紀頃?、その教えを世に広めたのは他ならぬお釈迦様であり、その教えはサンスクリット(梵語)やチベット語で記録されてアジア諸国に広がっていった。

つまりお釈迦様とは古代からインドに伝わっていた伝承を正確に再現した語り部である。

◆西暦319年、仁徳天皇の時代に、山王神と称する謎の集団が大分県に渡来し、山王信仰と薬師如来信仰を伝えた。(内山山王宮縁起、真名野長者伝説)

◆西暦552年、欽明天皇の時代に、百済から伝わった仏像と経典を蘇我稲目が熱心に信仰しはじめ、これが日本最初の仏教渡来であると解するのが通説。

◆西暦645年、玄奘がシルクロード経由でインドから帰国し、薬師如来信仰を大唐国(現在の中国)に伝える。

◆西暦653年、遣唐使の一員・道昭が唐に渡り、玄奘に師事して、薬師如来信仰をわが国に持ち帰る。その後、天智天皇や行基などにも影響を与えた。

 

以上の出来事を概念的に表したのが添付のイラストです。

よーくこの図を見て下さい。

薬師如来信仰が、アジア諸国を行ったり来たりしている様子が、お分かりになりましたでしょうか?

おかしいと思いませんか?

薬師如来信仰は、時代を変えて、ルートを変えて、何度も何度も繰り返し日本に渡来していることになります。

 

ちなみに山王神は、自分のことを「天竺・唐土・わが国の三か国に跨る大王なり」と自称しており、もともとは「三王」と呼ばれていました。

つまり「三か国の王」という意味ですね。

 

不幸なことに、この行き過ぎた自己宣伝が、のちの平安時代に天皇家の怒りをかって、山王信仰は徹底的に弾圧されます。(平家物語による)

なぜなら天皇家とは縁も所縁も無い猿畜生の化身が、天皇家よりも上位にあるべき「アジアの大王」を自称しているからです。

比叡山の山僧たちが、そのお猿の王様を神輿に担いで、京の町をデモ行進のように練り歩く様子が、平家物語には生々しく記録されています。

 

明治時代になると、天皇家の山王信仰への嫌悪はさらに顕著になり、祇園社は八坂神社と改名させられ、そのご祀神も山王様からスサノオへと置き換えられます。

 

さらに現在の通説では、山王神とはオオヤマクイの神(お酒づくりの神様)だと主張されていますが、ここにも何者かによる意図的なねつ造を感じます。

 

もともと比叡山の山頂にあった山王神を祀る「日吉神社」も、今はふもとの坂本の町に下ろされて、ここがひっそりと「山王神道」を伝えています。

 


現在も生き続ける山王信仰

このように天皇家から見れば、「山王憎し」ということであり、薬師如来信仰は徹底的に分解されて、そのエッセンスだけが諸宗派の教義のなかに取り入れられてゆきます。

 

逆にいえば、それだけ信者を集めることが出来るだけのカリスマ性があったということなのです。

 

どんなに弾圧されても、この山王信仰は、さまざまなカタチに姿を変えて現在も日本各地で生き続けているのです。

 

例えば、

◆「祇園祭」とは、山王神の命日(6月の庚申の日)に、薬師如来に疫病祈願をする行事だった。

◆「庚申塚」とは、村の入り口に山王神を祀り、悪魔の侵入を防ぐための石碑だった。

これに対して、猿田彦を祀る石碑は「道祖神」と呼ばれ、両者は微妙に異なる。

◆「庚申講」とは、夜などに信者が集まって薬師如来と山王神の威徳を学ぶための勉強会だった。ここからメンバー同士の相互扶助会(講)として発展してゆく。

◆「庚申市」とは、牛馬の守り神であった山王神の命日(庚申の日)に、牛や馬の売買を行ったもの。別名「さるの市」ともいう。

◆「獅子舞」と「お神輿」とは、インドから薬師如来や山王神や釈迦族がやってくるときの行進パレードを再現したものである。つまり獅子舞が伝わっているアジア各地には、薬師如来=山王信仰が伝わっている。

◆「陀羅尼」という丸薬は、もともと薬師如来教のなかにある呪文の名前であったと書かれている。つまり、病気になったらこの呪文を唱えよという意味。

 

【画像】山王神が怒ったときの姿である大威徳明王(真木大堂所蔵)

http://www.makiodo.jp/index.html


正しい薬師如来ファミリー

では、仏教の世界では、薬師如来と山王神との関係は、どのように定義づけられているのでしょうか?

 

残念ながら宗派により様々な異説が存在し、しかもかなりややこしいので、私なりの薬師如来ファミリーの体系図を作成してみました。

なお、この体系図の作成に当たっては、玄奘の著した『薬師瑠璃光如来本願功徳経』を参考としました。

 

ご覧のとおり、薬師如来をズラリと取り囲むように、「四天王」「十二神将」たちが控えています。

 

この十二人の神々は、別名「夜叉」ともよばれ、ひとことでいえば薬師如来を守るガードマンたちなのです。

そして、それぞれ神将の配下に約7000人の部下(眷属)たちが控えています。

 

そして、この十二神将のなかに、あの山王神、別名大威徳明王が居るハズなのですが、はてさてどこにも見当たりません。

⇒山王神は怒ると三面六臂(頭が3つで手足が6本)に変身する。この戦闘モードに変身したときの山王神を大威徳明王と呼ぶ、と『内山山王宮縁起』にある。

 

いったい彼はどこに行ってしまったのか?

そして、あの猿田彦と山王神との関係とは?


その答えは意外なところから出て来ました。

 

そうです、薬師如来とイザナミが同体だとすると「四天王」や「十二神将」たちも、日本神話の中にも伝わっているハズだと考えたのです。

 

そこで、古事記や日本書紀をもう一度読み返してみると、確かにイザナミは12人の子供たちを生み落としています。

それは、イザナミが黄泉国を脱出したあと、ツクシの日向の橘の小門のアワキハラで禊を行ったときのこと。

このあと、最後にアマテラスとツキヨミが生まれていますので、この日月神と12神たちとは同じグループに属しているハズです。

 

この12人のなかに、確かに居るではないですか。

 

ひとり目は、杖から生まれた衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)

そう、縄文人たちがフナトの神とか、クナトの神とか呼んでいた、あの人のことです。

でも、フナト神については、豊後大野市に伝わる「御嶽神楽」のなかで、猿田彦のことであると伝わっているので、多分そのとおりなのでしょう。

記紀などの古文書とは違って、お神楽は一子相伝で伝えられるため、書き直しようが無いのです。

 

とすると、もうひとりの袴から生まれた道俣神(ちまたのかみ)こそ、山王神その人に違いありません。

 

つまり、猿田彦と山王神は、ともに薬師如来(=イザナミ)を守護する12人の大将のなかの一人であり、いわば同族、あるいはライバル同士だったのかもしれません。

 


結び

最後に、結論めいたものを書いておきます。

 

古代縄文人の精神世界を形作ってきたイザナミを頂点とする女性的な共同社会、浄瑠璃国として描かれるその社会システムが、古代インドに渡って薬師如来信仰に変化したのだと断定しても良いと思います。

 

そして、もう一つの国、それは西方にある極楽浄土なのですが、ここで誕生した阿弥陀如来こそ、男性を頂点とする競争社会の象徴。

 

東方の薬師如来(=イザナミ)が生命の誕生健康を支配し、西方の阿弥陀如来が死滅来世を支配する。

つまり、人類は東方から生まれて西方へと死んでゆく。

 

そして、この2つのテーゼとアンチテーゼが、アウフヘーベン(融合)することによって、人類は限りなく進化している。

だから人類には、男性と女性があるのだと。

 

薬師如来と山王神は、そのことを伝えようとしたのではないでしょうか?

 


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コメント: 3
  • #1

    NAS (木曜日, 21 4月 2022 20:10)

    楽しく拝見させていただいております。

    質問ですが、

    先代公事本紀とありますが、先代旧事本紀ではないでしょうか?

    また、イザナミが黄泉国を出て禊とありますが、こちらイザナギではないでしょうか?

  • #2

    minerin (日曜日, 29 5月 2022 14:31)

    山王神の怒った状態が三面六臂なんですね~面白いです。
    あの人気のある阿修羅像もそういえば三面六臂ですね。戦闘モードだけど少年のような雰囲気が漂っていて大好きです。

  • #3

    MIX (木曜日, 01 12月 2022 13:33)

    今日も楽しく読ませていただいております。
    薬師如来のイザナミ説面白いですね。薬師如来がお釈迦様以前の伝説の存在であるといことも初めて知りました。
    山王神ですが大威徳明王の化身ということですが、大威徳明王は阿弥陀如来の化身とされています。そうすると薬師如来との関係もどうなるのかと。。