ウエツフミ【第22綴】第4章には、霧島神社の由来が書かれています。
ウガヤフキアエズ第四代は宣告します。
「私の国に、外国人たちがやってきて悪事をなすのは、私自身の罪なので、それを祓うために霧島山にお宮を建てて、イザナギとイザナミをお招きしよう。」と・・・。
そこで、イザナギとイザナミは、
「嬉しいことだ、喜ばしいことだ、私たちの子孫が祀ってくれるとは。
外国人がやってきて蜂起して、悪いことをしている人たちを追い出すなら・・・」と、
お祓いをして、戦勝のために数々のお宝(下記のリスト参照)を授けます。
また、手に持っていた天の沼矛(ぬほこ)を投げると、霧島山の頂上に逆さまに刺さりました。
これは人民の長生きを守る神様となりました。
<このとき第四代に授けられた武器のリスト>
奥津鏡(おきつかがみ)一つ
輝き鉾(かがやきほこ)一つ
十握剣(とつかつるぎ)一つ
活勾玉(いくまがたま)一つ
息呼ぶせ玉(いよぶせたま)一つ
足る産巣玉(たるむすたま)一つ
靈産巣玉(ちむすたま)一つ
這ウ虫の比礼(はうむしのひれ)一つ
羽虫の比礼(はむしのひれ)一つ
比礼眞弓矢(ひれまゆみや)一つ
※まるで、ゲームの主人公がゲットする武器のようですね。
それでは、外国人たちとは誰なのかというと第13章にもっと詳しく書かれています。
加羅支那の国の王・セムキの使者のハカルウテが、新羅の国を越えて、対馬に渡り、そこから天草の海峡にやってきて、鹿児島のオヂトという所にいた、鹿児島の国主・秋津大潮百人彦の命に申し上げます。
「加羅支那は御国の属国となりますので、お願いをかなえてください。」
そこで首都のあった高千穂の二上の大宮に連れてゆくと、平身低頭しながら
「私の国の王が申すには、国内には産業がありません。
今の人はみんな毛皮を着ていますが、我が国には繭、麻、綿も採れないので、人民は木の皮を着ています。」というので、
3大臣(中臣氏、物部氏、オモイカネの子孫)は協議して、5種類の穀物の種を授けました。
これが豊かに実ったのでこの国ではいまだに5柱の神として祀っています。
さらに、機織の神や造船の神を派遣して、産業を興すこととし、また文字も教えることとしました。
ところが、約5年後にこの国の使者コロムキがやってきて、
「いただいた穀物は実りませんでしたので年貢はかなり先になりそうです。」と申し上げます。
だからこの使者の着いたところを唐津城(からつき)の国といいます。
この加羅支那国がのちに任那となって、日本による朝鮮半島統治の中心地となりました。
さらに、神宮皇后が遠征して、三韓征伐を行ったことは記紀にもあるとおりですね。
さて、ここでは加羅支那国の人たちが鹿児島あたりで悪いことをしたとは書かれていませんが、お話の流れからはどうしてもそう想像させてしまいます。
◆穀物が実ったので神様として祀ったことと、年貢を納めなかったことは明らかに矛盾しています。
◆イザナギ、イザナミが授けたのは、「戦勝祈願」のお宝です。
ということは、ここに何らかの戦闘があったことが伺えます。
◆霧島山の頂上に刺さった矛が無ければ、人民が早死にする=つまり殺されてしまうとも読めます。
◆ウエツフミの記述者は非常に紳士なので、決して敵国の悪口を書くことはありません。
この頃から薩摩地方と韓国とは密接な関係があったことを伺わせる重要な資料です。
後代になってからも、霧島連峰の西側には多くの渡来人たちが帰化しており、
「薩摩焼」の中心地であった苗代川には「沈壽官」という名工も生まれています。
また、近くには「韓国岳」という山も実在します。
また帰化人たちは大陸から「儒教」を持ち込んで、仏教徒を弾圧しました(隠れ念仏)。
いまでも大隈人(正統派隼人)と、薩摩人がお互いに仲が悪いのはこのためです。
もっとはっきり書くと、霧島神社には、外国人が侵入して来ないように結界が張られていたのです。
この結界が火山の噴火のため焼失してしまったので、この地では外国人勢力が優勢となりました。
後代の人たちが霧島を「天孫降臨の地」と解釈していますが、これが間違いであることは、上記のとおりです。
さらに現在、霧島神社の由緒があいまいになっているのも、本当の由来を認めると「ウガヤフキアエズ王朝」が存在したこと自体を認めざるを得なくなるからです。
つまり通説では、第四代は存在していないことになっているからなのです。
ということは、通説と称するものには外国人の意向が強く入っていることになります。
ひとつの証拠として、古事記には天孫降臨の地について「ここは韓国に向かい・・・」と書かれていることです。
なぜ?
このことは、またゆっくりと説明します。
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