現在の天変地異は『神武東征』の時代と酷似している!

最近なんだか、大雨だの猛暑だの噴火だの地震だのと、世の中が物騒な状況になってきています。

この地球環境の大変化は、今現在に始まったことではなく、紀元1世紀頃の出来事と思われる『神武東征』も、この天変地異や大災害がきっかけとなって始まったのです。

 

『古事記』『日本書紀』に登場する神武天皇は、「東に良い国がある」などと呑気なことをおっしゃってますが、『ウエツフミ』に登場するヒダカサヌは、やむにやまれぬ切迫した事情で大分から奈良に遷都したのです。

そのあたりの経緯を詳細に記した『ウエツフミ』の記述を、ここに超かんたん解説しますので、ぜひ今後の参考にしてください。

もしかしたら、これから始まることの予言となるかもしれませんので。

 


まずは巨大地震から始まった

ときは第71代ウガヤフキアエズの治世といいますから、私の推測では紀元前1世紀頃。

6月10日の朝に、全国各地を一斉に襲った巨大地震が記録されています。

山が崩れ、島が沈み、大地からは真っ黒な泥(溶岩流のことか?)が噴出します。

 

一方『竹内文書』によると、第69代の治世に巨大地震が発生して、

「姆、雷姆利亞大陸沈没」と記録されています。

これを「ミヨイ、アミタラ大陸が沈没した」と訳すのが通説ですが、

私にはどうみても「ムー、レムリア大陸が沈没した」としか読めないのですが、みなさんはどう読みますか?

⇒私の過去記事はこちら

⇒ウエツフミが第71代と記録し、竹内文書が第69代と記録しているが、そもそも竹内文書は全ての天皇を網羅しておらず、ウエツフミよりも代数が少ない。

 


次に火山灰とイナゴの大発生

このあと8月に入ると、「大風が砂を飛ばしたため稲の穂が白くなった」と書かれていますが、おそらく火山灰が降り注いで、稲の穂を枯らしてしまったのでしょう。

また翌年の春になると、今度はイナゴが大発生して麦を食い荒らし、麦の穂が黒くなって枯れてしまいます。

つまり、食糧危機の発生です。

 


第69代のとった対策とは?

当時の天皇(ヒダカサヌの祖父で第69代)は、さっそくフトマニによる占いを行わせると

「至急、大至急、国民に食料を与えれば、国の禍も自ずから去るであろう」というお告げが下りてきます、

そこで、国民が緊急災害時に食すべき「代用食」をリストアップして、皇族とお伴の者たち全員で、その栽培指導に全国を巡幸してゆきます。

⇒その代用食とは、木の根っ子や普段は食べない雑草であり、上杉鷹山が栽培を奨励した『かてもの』とそっくりなので、もしかしたら上杉鷹山はウエツフミを読んでいたかも?

 


さらに今度は大雨で水浸し

第73代ヒダカサヌは、即位するとすぐに諸国を行幸しようとしますが、2月頃から降り続いた春雨が長雨となったため、土地がぬかるんで神輿を降ろすことができないほどひどい状態だったとあります。

そこで、フトマニを行わせると、今度はなんと「ただちに奈良に遷都せよ!」というお告げです。

ナガスネヒコとの戦いからすでに10年近くが経過し、奈良の地は空白地帯となっていたのですが、それにしてもいよいよ「九州には住めない!」という深刻な裏事情から、ヒダカサヌは翌日ただちに出発するという決断を下します。

 


この緊急時に外国人が押し寄せて来た

おそらく天候不順による食糧危機は、日本国内に限られたことではなく、中国大陸や朝鮮半島ではもっと深刻だったものと思われます。

まさに、この緊急時に全く迷惑千万なお話しなのですが、近未来に食糧危機が起きれば、中国やロシアが南下してくる可能性もありますので、覚悟しておいてください。

 

この神武東征の前後約100年のあいだに、下記の事件が記録されています。

◆加羅支那人(おそらく中国人)がやって来て、「国王が種もみを独占したので国民が飢え苦しんでいる」と種もみの支援を要請。皇室は緊急支援を行うが、その後全くお礼も無し。

◆新羅人がやって来て、ナガスネヒコを口説いて国体の転覆を謀る。

(古事記・日本書紀にもある有名な事件「ナガスネヒコの反乱」だが、その背後に新羅人がいた)

◆諸外国からボート・ピープルがあいついで流れ着いたので、「外国人居留区」を全国4ヶ所に設けて難民キャンプを開設。ここに住みついた難民のことをエッタと呼んだ。(従って差別用語ではなかった)

 


最後は疫病の大流行

このことは意外に知られていませんが、遷都したヒダカサヌを悩ませたのは「夏場の猛暑とそれに伴い発生した疫病」の大流行です。

その症状と原因は詳しく記録されていませんが、

(1)夏の猛暑により蔓延したこと

(2)大便を介して広がっていったこと

から、私は「赤痢またはコレラ」ではなかったのか?と推測しています。

 

ところが、弥生時代らしく、その対処法として「笹の葉を頭から被って、老若男女みんな、太鼓に合せて踊れ。これは昔からの言い伝えである」と、見当違いなお触れが出されています。

もしかしたら、これが「盆踊り」の起源かもしれませんが・・・・。

 


ウエツフミと記紀の不幸な一致

いずれにせよ、この疫病により多くの人の命が奪われるのですが、それにしても思い出されるのは、第10代・崇神天皇の治世5年に疫病が大流行して「人口が半減した」という記述です。

 

ここで、『ウエツフミ』の記述と『日本書紀』の記述が、みごとにつながってきます。

 

つまり、遷都したヒダカサヌを滅ぼして、はじめて即位した渡来人天皇、それがヤマト王政の本質であり、滅ぼされたウガヤフキアエズ王朝とのあいだに連続性は全く無かった!と断定してもよいと思います。

 

なぜなら、両者の間には、

(1)信仰する神が全く違う。(アマテラスから大物主へ)

(2)三種の神器が全く違う。(このことは重要なので章を改めます)

・・・・などの重要な証拠があるからです。

つまり、ヒダカサヌと崇神天皇は同時代の人で、それぞれのバックグラウンドが全く異なり、おそらく2つの王朝が併存していたと、私は考えています。

 


結び

このように大雨・猛暑・噴火・地震は、それぞれが個別の原因で起こっているのではなく、すべてつながっているのです。

 

それは、崇神天皇の言葉を借りれば、大物主の意思だというのです。

「国の治らざるは、是吾が心ぞ」

ここにある「吾」とは大物主のこと。

 

人類の叡智では到底解決できない大災害を、タタリ神の仕業だと理解して、そのタタリ神を崇拝することにより、危難から逃れようとする信仰心、それは弱い人間が生み出した幻想であり妄想であり害悪であり、のちの『悪魔信仰』に通ずるものがあります。

 

この悪魔=大物主をあがめ奉って、祟りを鎮めるという大役を担ったのは、中国王朝をそのルーツとするオオタタネコという人物でした。

『九鬼文書』によると、この人物の宗教観が「艮(うしとら)の金神」を生み出し、のちに大本教などの祟り神信仰教団へと受け継がれてゆきます。

 

悲しい結論になってしまいましたが、これは近未来にも起こり得る現実的なシナリオです。

今後天変地異が引き続き、一向に収まらず、国力が衰退しているところに、外国軍が攻めてきて、直轄占領統治を行う。

そんな事態に陥らないためにも、何よりも「歴史に学ぶ」ことを忘れてはなりません。

 


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コメント: 3
  • #1

    原 智恵子 (月曜日, 17 7月 2023 17:26)

    TOLAND VLOGというYou Tubeをきっかけに、日本の本当の歴史に興味を持ち知りたくなり、フェイスブックを見ていたらこのブログに出会いました。とてもわかり易くとても勉強になりました。ありがとうございます。

  • #2

    MIX (火曜日, 18 7月 2023 11:20)

    ウエツフミに神武東征の理由が天災にあった旨書かれていることにつきましてよくわかりました。又、崇神天皇について渡来人説もあり得るかなと思います。しかし大物主神につきましては証拠がなければ記載のように断定するのは如何かと思います。崇神天皇が大物主神の名前を利用したということもあり得るかと思います。

  • #3

    ハチマン渡来人 (水曜日, 09 8月 2023 18:53)

    2点のみ異論です。オオタタネコは中国から来たのではなくて奈良の大神神社や三輪山信仰の使者で稲の品種改良に務めた異人です。ナガスネヒコは新羅人にそそのかされたのではなくて勘違いでニニギとジンムに諭され討伐されて出雲大社にお祀りされています。