漢民族が大挙してやってきた3世紀!

人口50万人の日本列島に、100万人の漢民族が押し寄せたという事実

今日は、実にショッキングな話題を公開します。

科学が進歩して、DNA研究が進んでくると、とんでもない事実が浮上してきます。

 

熊本大学名誉教授・入口紀男氏の研究によると、

◆弥生時代の日本の人口は(縄文人・弥生人あわせて)約50万人

◆ここに、約100万人もの漢民族が大陸を追われて逃げ込んできた!!!

というのです。

【入口氏の投稿】https://www.facebook.com/groups/kodaishi/permalink/3620108398133884/

 

その結果、3世紀の日本列島は漢民族だらけになってしまいました。

 

つまり、これまでの古代史の基本概念であった「縄文人と弥生人」という二極構造は完全に過去のものとなり、今後は「縄文人・弥生人・古墳人」という三極構造で議論しなければならない時代に突入したことになります。

【関連記事】https://www.tokyo-np.co.jp/article/136006

 

この漢民族たち、果たして、おとなしく日本の“村社会”に入っていったのでしょうか?

いやいやそんなハズはありません。

 

最も悲観的な結論は、漢民族による「ヤマト王政」の樹立と弥生人・縄文人に対する迫害です。

 


これまでの「よくある勘違い」

古代史研究家のあいだで、いまだに勘違いされやすい事実が2つあります。

 

ひとつは、「古墳は日本民族が造った」とする説です。

そうではありませんでした。

前方後円墳はヤマト王政の専売特許であり。それを造ったのは漢民族を中心とする古墳人たちだったのです。

 

これまでは、その製作者の実像がはっきり見えてなかったので、彼らは「古墳人」と呼ばれていました。

つまり、日本人か渡来人かよく分からなかったので、新たな仮称で呼ばれたということでしょうか?

この古墳人のDNAを調べたところ、中国大陸を起源とする漢民族系であることが分かって来ました。

 

前述の入口先生の指摘によれば、もともと日本列島に定住していた縄文人と弥生人以外に、もうひとつの別人種が急速に増加して、主流になったということであり、まさに日本列島は未曽有の大混乱と大きな歴史の転換点を迎えた訳です。

この転換点に際して勃発したバトルロワイヤル状態の戦乱の世の中を、学者たちは「倭国大乱」と呼びました。2世紀のこと。

 

そして、この混乱を制して、新政権を樹立したのが、神武天皇(途中で戦死)であり、その弟・景行天皇であり、そして初めて王として即位した崇神天皇たちだったのです。

彼らが樹立した封建体制を、最近では「ヤマト王政」と呼んでいます。

つまり「大和王朝」ではないということですね。

「王朝」は天皇家が君臨する場合で、「王政」は「幕府」や「自民党政権」などと同じく民間人が樹立したものです。


もうひとつは、「稲作と鉄器を携えて大陸からやってきた弥生人」という古い迷信。

『ウエツフミ』によると、稲作を伝えたのはニニギの命であり、それは紀元前7世紀頃のこと。

このニニギがどこからやってきたのかは、私の中でもいまだに解決されない最大の謎なのですが・・・・。

 

だとすると、

◆紀元前7世紀に、弥生人たちが稲作を始めた。

◆紀元後3世紀になると、この豊かな日本列島を目指して、漢民族系古墳人たちが殺到した。

◆これ以降は、「古墳時代」と呼ぶ。

というのが、どうやら正しい理解のようです。

 

そして、大陸からやってきた漢民族たちは製鉄技術に優れていたので、古墳時代以降は、鉄器が急速に普及してきます。

もちろん、わが国にも製鉄技術はありましたが、それは砂鉄を原料とする純国産であったこと、鍛冶屋に近い小規模なものであったこと、武器を造ることは決してなかったこと、などが『ウエツフミ』には明記されています。

 

以上を総合すると

「(BC7世紀に)稲作を携えてどこかからやってきた弥生人」

「(AD3世紀に)鉄器を携えて大陸からやってきた古墳人」

というのが、新しい通説となります。


漢民族の日本統治政策

最初の疑問に戻ります。

この漢民族たち、果たして、おとなしく日本の“村社会”に入っていったのでしょうか?

 

いやいや、何千年間も血なまぐさい政権抗争を繰り返してきた漢民族ですから、これまでの日本には無かった、全く新しいシステムを導入してゆきます。

私の研究によると、彼ら漢民族系古墳人が行った重要政策は3つあります。

 

(1)弥生人・縄文人の大量虐殺

景行天皇による「土蜘蛛征伐」といえば、ピンとくる方も多いと思います。

いちばん「まつろわぬ者たち」が多かったのが大分県と鹿児島県でした。

オオタタネコが編纂した『ホツマツタエ』の後編には、景行天皇(ヒロシ)の業績が詳しく記録されています。

景行天皇(古墳人)とその家来となったヤマトタケル(縄文人)が、二人三脚で転々と攻めた土地こそ抵抗勢力=原日本人の本拠地だったとするのが、私の説です。

 

(2)天皇を中心とする封建体制を確立し、住民に対して重税を課したこと

弥生時代においては年貢の奉納はあくまでも農民による任意(献上品のようなもの)でしたが、崇神天皇は年貢以外にも租庸調の基礎となるような特産品や苦役労働まで要求しています。

まさに、わが国で初めてしろしめしたので「ハツクニシラス」。

歴史学的には封建体制(領主が農民から搾取する時代)の始まりともいえます。

 

(3)歴史書の改ざんによる「ヤマト王政」の正当化

これこそ、私がウエツフミを研究し始めた原動力です。

そういえば、物部氏が編纂した『先代公事本紀』にも、ニギハヤヒをモデルにした漢民族トップによる天孫降臨物語と数千人ものお付きの人々の家系が正確に記されています。

『宮下文書』では、古墳人の渡来ルートが明確に記されており、それによると「高天ヶ原」とは中国大陸のどこかにあった、という結論になっています。

 

つまり、彼らは日本の歴史を詳細に調べて、その上に自分たちの祖先をみごとに紛れ込ませるという、緻密で知的な作業をやってのけたのです。

逆に、それ以前の本当の記述を『偽書』として焚書坑儒するという、まさに敵ながらあっぱれな手口。

 

 

要するに、本物の「弥生人の歴史」は完全に抹消されて、それをベースとして「古墳人の歴史」に書き直されたということになります。

 

私が一番苦労したのは、「古墳人の歴史」が「日本の神々の名称を使って書かれている」ということです。

特に、ヒダカサヌをモデルに創作された神武天皇や、

クニトコタチやコトシロヌシなどの名称を使った、古墳人の祖先たちの実写化、

このような「背乗り古代史」が横行するなかで、本物と偽物を見分ける鋭い視点が要求されているのです。

 


結びにかえて

20年も経って、やっと結論が見えてきたような気がします。

 

「そうか、縄文人・弥生人・古墳人の三極構造で、物ごとを理解してゆけばいいんだ!」と・・・・!!

つまり、古墳人の書いた歴史書も、それを3つに分解してゆけば、真実に到達することが出来ます。

 

最後にまだ、私のなかで、ひとつだけ解決できない命題が残されています。

それは、

 

「弥生人はいったいどこからやってきたのか?」

 

私もすでに66歳、この難題の解決は後世の若者たちに託すことにしましょう。

 


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コメント: 5
  • #1

    オオタタネコ (火曜日, 12 9月 2023 20:30)

    人類はもともと日本で発祥してから世界へ移動したとすれば、弥生人も古墳人もただ帰ってきた帰省に過ぎません。どこから帰ってきたかはあまり重要ではないではないでしょうか。お帰りなさいでよろしいではないでしょうか。ニニギは火星由来の皇族ですが…。仁徳天皇陵の古墳は火星由来ですから…。あしからず。

  • #2

    TAKAHASHI (火曜日, 12 9月 2023 21:57)

    弥生人は、呉の太白の子孫たちがジャポニカ米として筑紫平野辺りからひろまって行ったのではないでしょうか?

  • #3

    MIX (水曜日, 27 9月 2023 15:46)

    今回も興味深い記事ありがとうございます。
    漢民族(西晋)が匈奴によって滅亡させられ五月雨式に日本に流入したと。当時の西晋には3千5百万人くらいいたようなのでそのうち百万人くらい流入してきても不思議ではなかったかもしれませんね。そして男は労働に従事させられ女性は当時の日本人と混ざりあっていったと。
    ただ古墳と漢民族の関係はよくわからないですね。日本の古墳は独特な特徴があり西晋文化が流入した物とは思えないです。
    歴史年表において縄文人の住む日本に出雲系の人達が北から到着したのが紀元前2千年前後、天孫族が(どこからか)着たのが紀元前千年~6百年頃、古墳人(漢民族)は記載の通りでしょうか。あと星辰信仰は富士王朝(富士宮文献)の頃と聖徳太子の時代(ペルシャ人流入)によるシリウス信仰にも見られますね。なお龍神信仰は太古日本にもあったと思います。あしからず。

  • #4

    こめ (木曜日, 28 9月 2023 08:55)

    大陸から渡って来た人が多い事はDNAから分かりますが
    短期間に縄文人+弥生人を超える様な流入があったとは考えられません
    それほど集中的に入って来たなら我々は今頃中国語を話してるはずです

  • #5

    ななしのこ (水曜日, 03 1月 2024 12:55)

    DNAで、天皇は縄文人 ハプログループDグループとすでにわかっています。
    なので、政権転覆はありません。

    ただ、大陸からうようよ中国系の人が入って来たのは認めます。実際にそうですから。
    人数はそんなにどっとではなくて、渡来系がじわじわと増えているだけです。
    他の人がいうように「そんなに多かったら、中国語を話しているはずだ」はまったくその通りだと思います。
    (だって、渡来人が畿内に多いのは、奈良時代以降に、藤原氏がうようよ貴族になって、子孫を増やしたからでして、藤原氏はハプログループOグループでして、いたって普通に中国・朝鮮半島にいた人々です。弥生人や古墳人の大元でしょう。その後も、大名とかの多くは、藤原氏の貴族の姫を奥方にもらっていて、また増えますしね。日本で、2大DNA繁殖一族は、皇室と藤原氏だといわれています。)

    もうちょっと統計学や生物学の知識がついてから、発言されるのがいいかなあと思います。
    面白いのに、残念です。