『日本沈没』などの名作を残した元祖・SF作家の小松左京ですが、
『上記』には大いに興味を持っていたようです。
しかも「学問的に研究したら面白い!」と、対談のなかでコメントしています。
まるで好奇心の塊のような、エネルギッシュな“人間コンピューター”が、
その鋭い感性で、「そこにに何らかの真実があること」を見抜いていたのです。
永い日本の歴史の中で“偽書”というレッテルを貼られたままの『上記』ですが、
それを批判する人たちの論拠をみてみると、明らかに「読んでない」ことが分かります。
ほとんどの人が、宗教の経典とするため創作性が加えられた『竹内文書』などと混同しています。
私が高校生のころに心酔した小松左京が、このようなコメントを残していることは、私にとっては大きな励みです。
少なくとも彼は、まず読んでから判断しているのです。
今後、この埋もれた「古代の歴史書」が、もっといろんな人たちの研究対象となって、
隠されていた私たちの祖先が、表舞台に登場してくることを祈ります。
小松左京と古田武彦の対談より
<出典>
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku12/kaisetu.html
小松 「古い話だと、みんなあぶながって、ひとまとめにされてふせてしまってるんですが、その中でたとえば、例の上記(うえつふみ)なんか。あれを公開して今の立場で本気で学問的にとりくんだら、面白いでしょうね」
古田 「面白いですね。歴史学の立場から取り組むべき本ですよ、ね。最低限言って、室町(むろまち)前後の思想史上の史料であることにはまちがいないんですからね。そこからさらにどこまでさかのぼれるか、それを追求していきましたら、ね。それを、歴史学者はあぶながって手を出さない。一方の、手を出す人は、大いに出してるんですけど」
小松 「ええ、ですけれど、そちらのほうはなかなか厳密な学問的手続きとつながらない。想像力のほうが先に走っちゃう、というところがあるみたいですね」
古田 「そう、“不幸な分離”が存在している、といった感じですね」
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