このサイトで、私は常々こんなことを書いてきました。
「誰かが歴史を抹消しようとしている」
「歴史の舞台裏で二つの勢力が争っている」
やっとその本質が、はっきりと見えてきましたので、ご報告いたします。
※なお、この記事には、過激な内容が含まれるので閲覧注意!!!
日本の歴史とは、
「縄文人」と「弥生人」との争いの歴史であり、
同時に、この二大勢力の融合(アウフヘーベン)の賜物である。
つまり、ヘーゲルの弁証法理論が日本史においても作用していた訳です。
まず、結論から先に書きましたので、面食らった方も多いかと思いますが、その根拠を順番に説明してゆきましょう。
縄文人とは何物か?
縄文人とは、古代ユダヤ人の失われた12支族である。
私がそう主張しているのではなく、武内宿禰の子孫を自称する竹内家に代々伝わる「竹内文書」に、そう書かれているのです。
要約すると、縄文人とは、古代日本を出発して、シュメールに渡り、イスラエルで大洪水に遭遇し、ノアの箱舟に乗り、中国大陸を経由して、再び日本に里帰りした「スメラミコトの一族」または「スメラ族」だというのです。
>>>詳細は、こちら。
だから「日本人とユダヤ人は祖先を同じくするのだ」という、「日ユ同祖論」がさかんに主張されています。
神社や宮中の祭儀様式や、日本語とヘブライ語の言葉のなかにも、共通する部分が多いと説明されています。
>>>詳細は、こちら。
一見、荒唐無稽な説に聞こえるかもしれませんが、最近になってこのことを裏付ける証拠が出てきました。
それは、DNAの研究です。
縄文人のDNAは、ハプロタイプ【D1B1/D1B2型】ですが、このDNAの経路をたどって行くと、世界各地に点々とその痕跡を残していることが分かってきたのです。
つまり、原生人類ホモサピエンスは、東アフリカから出発して、中東にしばらく滞在し、インド洋を経由して、4~5万年前に東アジアに到達、3万8千年前にチベットに向かった人たちと、日本に向かった人たち=縄文人に別れたと説明されています。
だから、縄文人と、中東/地中海沿岸民族、チベット民族は、近縁であるというのです。
つまり、縄文人とは「移動型の民族」あるいは「彷徨える民」であったことが、科学的にも証明されました。
詳しくは、このサイトに投稿されたDNA研究家によるコメントをご覧ください。
>>>詳細は、こちら。
弥生人とは何物か?
これに対して、
弥生人とは、突然変異的に日本に誕生した、日本だけに見られる固有種なのです。
弥生人のDNAは、ハプロタイプ【O2B1型】ですが、このタイプは今から約3000年前に突然日本に登場します。
そして、漢民族でもなければ、朝鮮民族でもない、ユニークな特徴を持っています。
しかも、中国東北部を探してもその痕跡が見つからない、つまり「どこからか飛んできた」としか思えないような発生のしかたをしているのです。
しいていえば、【O2B*型】のベトナム・満州・韓民族に似ていますが、約7,870年前にここから47zという突然変異を起こし、その後は何の接触も無かった、つまり完全に分岐しています。
(その後、日本にやってくるまでの5千年間どこに居たのかも不明のまま?)
一般的には、「弥生人とは稲作技術を携えて東南アジアあたりから渡来した海洋民族」だと理解されていますが、全くの間違いです。
さらに、「竹内文書」の伝承も間違っていました。
つまり、弥生人とは、縄文人とは別のルートでシュメールから日本に里帰りした「大和族」と「出雲族」だというのですが、弥生人のDNAを追跡しても、そのように移動した痕跡は発見されませんでした。
では、なぜ突然に?
日本だけにこのような特殊なDNAが誕生したのでしょうか?
私の解釈では・・・
「宇宙人であるニニギの命が九州に飛来して、DNA操作により弥生人という新しい人種を作りあげた」
としか考えられないのです。
スピリチュアルに興味の無い方には、あまりにもショッキングな説かもしれませんが、以前にも詳しく書いています。
>>>詳細は、こちら。
これ以上に、合理的な説明が見つかった方は、コメント欄からお知らせください。
この二大勢力が繰り広げる日本史
さて「竹内文書」では、神武天皇以来122代にわたり、弥生人出身の天皇家が日本を支配してきたと説明しています。
さらに、この弥生人系天皇家は代々、縄文人を徹底的に弾圧するという政策を採ってきたといいます。
例えば、縄文人をエッタ・非人という被差別民として迫害したり、アイヌまたは蝦夷という名前で、住む場所を追い払ったりと、ずいぶんと非人道的なことも行われてきました。
「征夷大将軍」という役職が存在していたのも事実です。
ところが、明治維新によって、この「縄文人」と「弥生人」の力関係がひっくり返ったという説があります。(高貴な方の話として伝わるウワサ)
具体的には、明治天皇は古代縄文人の血統である大室寅之祐がなったという「明治天皇すり替え説」です。
>>>詳細は、こちら。
その真偽のほどは、ここでは詮索しませんが、そう考えると、明治政府の採った主要政策の意義も明確になってきます。
つまり・・・・・
「富国強兵」・・・・という名目の、ユダヤ勢力との連携と、帝国主義の導入
「文明開化」・・・・という名目の、弥生系伝統文化の破壊と、西洋文化の奨励
「廃仏毀釈」・・・・という名目の、弥生系宗教の弾圧と、神話体系の再構築
いずれにせよ、日本の歴史とは、この2つの勢力が「上になったり下になったり」あるいは「やられたりやり返したり」の繰り返しである、というのが実体なのではないでしょうか?
私は、122代の天皇家の歴史のなかにも、縄文勢力がしばしば入り込んでいるのではないかと考えています。
ウガヤフキアエズ王朝とは?
このように考えると、「ウガヤフキアエズ王朝」とは、史上初の「弥生人による古代国家」であったとみることができます。
通常は、「日向三代」という名称で正史に登場してくるため、「日向族」と呼んだほうが分かりやすいかもしれません。
強大な海軍力を誇るこの国家は、初代「ウガヤフキアエズの命」の功績により、日本全国をほぼその支配下に収めます。
それまで、日本に居た先住民は・・・・・
◆島根県あたりを本拠地とする「出雲族」
◆飛騨高山あたりを本拠地とする「飛騨族」・・・・「飛騨の口碑」による。ウエツフミによると「越の国」
◆富士山周辺を本拠地とする一族・・・・ウエツフミによる
◆大阪平野あたりを本拠地としニギハヤヒの神をかつぐ「大和族」
◆山口から北九州あたりを本拠地とする「熊毛族」
◆東北を本拠地とする「安東(坂東)族」・・・・竹内文書による
◆熊本から鹿児島西部を本拠地とする「隼人族」
などでしたが、いずれも縄文人でした。
ところが2世紀の後半に、世界中を異常気象が襲い(史実)、寒冷化による大飢饉のため「日向族」は祖国・九州を離れ、日本各地に食料を求めて大移動を始めます。
そして、最終的に確保した第二の拠点が奈良の吉野山でした。
これが、のちの「神武東征伝説」となりますが、問題は、各地で「縄文人」と「弥生人」との領土争いが勃発したことです。
これを「倭国大乱」と呼びます。
九州と奈良の二大拠点に勢力が分散して、国力が衰退していた「日向族」は、ついに縄文人によって滅ぼされ、それ以降は縄文人が「大和王朝」を開きます。
上記のいくつかの先住民のうち、どこかが政権を握ったものと思われますが、それがどの部族であったのかは、私もまだ研究中です。
>>>「熊毛族」が大和王朝を作ったとする仮説は、こちら。
そして、このあとも延々と「縄文人」と「弥生人」による権力闘争が繰り返され、江戸幕府として政権を握っていた「弥生人」を、明治政府の「縄文人」が、ひっ繰り返したことだけは、ほぼ間違いないようです。
そういえば、「大化の改新」のときも、「源平合戦」のときも、「南北朝時代」のときも、「天下分け目の関が原」のときも、これらニ大勢力の争いが背後にあったことは、なんとなく察しがつきませんか?
日本人とは何物か?
最後にハッキリと書いておきます。
現代では、純粋な縄文人は居ませんし、純粋な弥生人も存在しません。
つまり、日本人とは、この2つの民族のほぼ半々の比率の「混血民族」であり、両方の特徴を遺伝子にもつ「ハイブリッド種」なのです。
だから「自分はどちらのタイプだろう?」と、迷う必要はありません。
どちらかが「正義の味方」で、どちらかが「悪者」でもありません。
ただし、現代でも社会経済情勢や大事件の裏側には、この2つの民族の“魂”が引き起こす「潮流」のようなものが存在します。
だから、私たち日本人は、「今はどちらが趨勢なのか?」を見極めながら、適切に対処してゆくことが重要となります。
ヘーゲルの説くところの「愛による運命との和解」ですね。
つまり、テーゼとしての「縄文人」と、アンチテーゼとしての「弥生人」が、アウフヘーベン(衝突して融合)してゆくことにより、日本人はさらに優秀な民族へと進化しているのです。
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