ウガヤ38代の御陵か? 消滅した75mの巨大古墳!

大分市木ノ上【御陵古墳/木ノ上古墳/稙田古墳】

ウガヤフキアエズ王朝の痕跡は、やはり消されていた!


昭和38年に、宅地造成により破壊された「御陵古墳」(別名:木ノ上古墳、または稙田古墳)は、大分県最大級の規模で、全長75m以上ありました。
【説明】http://www.isekiwalker.com/iseki/181573/

 

つまり25mプールをタテに三つ並べた大きさで、しかも石棺、勾玉、管玉、ガラス玉、鏃、剣など、多くの副葬品も出土しています。

 

ウエツフミ研究に大きな損失

なぜこんな重要な史跡が破壊されたのでしょうか?
当時の大分県の役人たちは、テロリスト集団だったのでしょうか?
しかも、複数の名前を付けて混乱させる作戦も、彼らの常套手段。
ウエツフミの研究者は、みんな怒っています!

 

吾郷清彦氏や吉田八郎氏は、ここを第38代ウガヤフキアエズ天皇(幼名:天津祝詞子、アマツノリトコ)の御陵であると推定しています。

 

その根拠が不明なのですが、ここに「古皇之御陵」という石碑が建てられていたという証拠写真もあります。(下記参照)
「皇」という文字は、地方豪族には使われないでしょう?


ウエツフミに書かれた第38代の軌跡をメモしておきます。


◆生まれたときから霊感が強く巫女のように神の言葉を伝えたので「天津祝詞子」と命名された。
◆幼少の頃、新潟の頚城にオロシ(ロシア)の船団が来襲し、穀物を強奪したので、高千穂軍と交戦になるが、このときカマエタチという謎の刃物が地中から噴出してオロシ軍を破る。
◆すべての天皇に必ずある「即位した」という記述が無いことから、一部の原文が散逸している可能性大。
◆大土国幸(オオツチクニサキ)の命を派遣して「神津島」や「八丈島」を開拓。
この島に大土狭咋(オオツチサクイ)の命夫妻が残って初代の国司となる。
◆臼杵の宮を居所とする。
◆病死したので、大分の「御宝山」に埋葬される。
【原典】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=32&sno=1

 

この古墳の南側には、霊山、障子岳(宇曽岳)、本宮山の「三宝山」が鎮座し、オオキタの宮を今も見守っています。

 

御陵古墳/木ノ上古墳/稙田古墳

大分県大分市大字木上字原


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コメント: 5
  • #1

    古代史於 (木曜日, 21 4月 2016 13:15)

    siraki さんはここの管理者に誤りを正そうとされているのでしょうか?とうとうウガヤは捏造といわれています。朝鮮では○○の解釈になる。そこを詳しく書かれた方が分かりやすいのだが?朝鮮人なら誰でも知っている口調は出典(古文書や朝鮮での古文書調査結果)を示して教えてほしいです。また、ここではなくリンクを張ってある氏のブログ上で詳しく紹介して下さるといいのですが、どうでしょう?さらに同じ日に連続してコメントされていますがこれもだんだん意味が見えてきたというか、分からなくなってきたというか、とても見識のある方なのでしょうが?せっかくの歴史解釈ですのでもう少し具体的にまとめて、シリーズ化されてはどうでしょうか?こちらで管理者へケチをつけるようなコメントは残念です。韓国ですか、そちらにこちらでは読めない資料をたくさんお持ちのようにも見受けますので「古代の朝鮮半島および周辺国との関係を解明する」などをテーマに是非ともご自身のブログ上で展開されることを期待します。

  • #2

    出雲の阿国 (月曜日, 25 4月 2016 15:21)

    siraki さんはご自身のコメントが「真実」と自信を持って書かれていますね。当方は素人ですので「そうなんだ…」位にしか判断できませんが、古代史於 氏がいっていますがご自分のブログで展開する内容ではないでしょうか?人さまのブログで大威張りで時折分からない言葉で文句を付けたり、問題を出します?はなんでしょうか?あげくにコメントされている方への中傷的なコメントは何をしているのだろうか、この人は?とご自分のブログで論を展開して、コメントを受け、知っている知識を披露するのがベストでしょう。韓国での文献からの真実を是非ともきちんと披露されるべきではないか!そちらで得たことをご自分の手柄のごとくコメントされるのは残念ですね。私も非難されるかな?こちらの管理者様には申し訳ありません。
    とても興味あるブログで拝見させていただいたのですが、何か違うコメントを見かけたものですから書き込みしました。ご容赦ください。

  • #3

    ひふみ (月曜日, 25 4月 2016 17:00)

    いろんな解釈があり、おもしろく拝見させていただいております。
    ”昭和38年に、宅地造成により破壊された「御陵古墳」”
    ということで反応しましたが、
    私の住む福岡でも、高度成長期に宅地造成された所から
    「土器がたくさん出てきた」と数点だけ取り出され
    住宅地にされている所があります。
    あの時代は「ヨッシャヨッシャ」で強引にやって来た時代
    経済が発展したかもしれませんが、私にとっては強引で嫌いな時代の一つです。
    日本中の住宅地の下に、さまざまな名残が埋まっているのかもしれませんね。

  • #4

    山内 桂 (火曜日, 26 4月 2016 23:38)

    いつも興味深い内容ありがとうございます。この近くに住んでいる理由?を考えながら、霊山あたりにも頻繁に通っています。
    この辺りで100m程の前方後円墳が宅地造成のために壊されたと聞いていたので、どこだろうと探ったりもしていたのですが、ここのことでしょうか。
    なお、ウガヤフキアエズ朝の歴代天皇は墳墓を持たず、霊山あたりに葬られていたと以前書かれていましたが、その点の説明をお願いできますか。

  • #5

    管理人 (水曜日, 27 4月 2016 07:31)

    ご質問の件ですが、
    (1)霊山に墳墓があるとするのは、私の説。
    (2)この古墳が38代の墓であるとするのは、吾郷清彦氏や吉田八郎氏の説です。