オオケツ姫の指導で、天照大神が農業を始めた!

宮崎神宮の御田植祭
宮崎神宮の御田植祭

「古事記」「日本書紀」ではほとんど無視されているオオケツ姫ですが、「ウエツフミ」には、詳細な記述が残されています。


しかも、記紀とは大きく異なるストーリーが展開されているのです。

 

オオケツ姫の正式名称 (ウエツフミによる)
【正式名称】和久産巣日豊種津魂の命とその妻・和久産巣日豊種津媛の命の夫婦神
【別名】この二神を総称して、豊受姫の命、または豊岡姫の命 、または大宜都比売の命、または宇迦之御魂の命、と呼ぶ。

 


ウエツフミの記述の要約

そこには、農業の起源に関する重要な記述がありました。

その概略とは・・・・?


◆天照大神は、スサノオに日本国を統治させようと、まずオオケツ姫に会わせて、食料の生産方法である「農業」を学ばせようとします。

◆ところが、スサノオはオオケツ姫が調理する様子が「穢らわしい!」と、切り殺してしまいます。
(その死骸から穀物のタネが生まれたことは記紀にもある通り)


◆そこで天照大神は、蘇生したオオケツ姫夫婦とその子供たち、オオヤマツミらとともに、自ら農業を始めます。

 

◆まず宮崎県高千穂町の三田井に水田を作り「天の狭田=神々自ら耕作する田んぼ」と定め、けみの岳(場所不明)の真ん中の水の出る場所に畑を作り「天の陸田津=神々自ら耕作する畑」としました。

◆そして人民に対する耕作指導が、大分県の臼杵から始まり、全国に広がってゆきます。

 

◆ところが、スサノオがこれを邪魔します。
畔を壊し、水路を埋め、新嘗祭で脱糞し、ハタ織機に馬を投げ込みます。
(記紀に書かれた狼藉は、姉が始めた農業を妨害するためだった)


◆だから天照大神は、怒って「天の岩戸」に隠れてしまうのでした。

 


ここから導かれる考察

以上の記述から分かることは・・・・?

 

◆スサノオが降臨する前から、オオケツ姫は農業を実践していた。
その場所は、四国の徳島県でほぼ間違いない。
なぜなら徳島のことを「オオケツ姫の国」、略して「オオケツ国」と呼ぶので。
つまり、徳島県は「日本の農業発祥の地」である。

 

◆スサノオは、農業を「汚くて穢らわしいもの」と軽蔑した。
だからオオケツ姫を嫌い、姉の活動を妨害した。
武人気質のスサノオには、農業は適していなかったのではないか?

 

◆天照大神は、オオケツ姫が徳島県で始めた農業を真似て、宮崎県・大分県から農業を始めた。
つまり、「水田耕作技術を携えて渡来した弥生人」という定説は、全くのデタラメである。

 

◆オオケツ姫を祀った「お稲荷様」は、その由緒を曖昧にされている。
記紀からも農業に関する記述が削除されているのは、その後政権を握った騎馬民族が書いたからではないか?

 

 

さてさて、天変地異が続く不安な現代、オオケツ姫と天照大神が始めた「農業」を、再び見直す時期が来ているのではないでしょうか?

 

 


ウエツフミの現代語訳

(ここから先は、興味のある方だけがお読みください)

 

<スサノオの国づくり>

天照大神との「誓約(うけひ)」と「神産み」を終えたスサノオは、さっそく国づくりに着手します。
まず天照大神は、スサノオにこう命令します。

「豊道之原の中津国(日本国)に、オオケツ姫の命という神様が居ます。
この神は、美しき青人草(人民)が、食べて生きるための食物を知っている神様です。
あなたは、行ってこの神様に会って、教えを請いなさい!」

 

さっそくスサノオは、天降りして、オオケツ姫に食べ物を要求します。

 

すると、オオケツ姫が鼻・口・尻から数々の種津物(たなつもの=畑作物) を取り出して、料理して、食卓に載せて用意しているとき、その様子の汚さを垣間見たスサノオは、顔を真っ赤にして怒り、
「穢らわしいぞ!なぜこんな汚いものを天津神である私に食べさせるのか!」
と、直ちに十握の剣を抜いて、切り殺してしまいます。

 

天上界に戻ってこのことを報告すると、天照大神は大変お怒りになって、
「汝は悪い神です。もう会いたくありません!」
と、一日一晩、言葉を交わしませんでした。

 

<オオケツ姫の蘇生>

そこで、天照大神は天熊之大人(アマクマノウシ)の命に、こう命令されました。
「オオケツ姫は、人民の食物を知っている神様です。
死んだのであれば息呼ぶせ(蘇生術)をして、一緒に天上界に帰還しなさい。」

アマクマノウシの命は、天降りして、オオケツ姫を見ると、誠に死に絶えていました。

 

その死体からは、

頭に、四種の稲の種が成っており
胸に、麦、黍、稗が成り
腹に、白豆、赤豆、八重豆が成り
左手に、粟、笹実(ササミ=チガヤ)が成り
右手に、菰実(カトミ=マコモ)、黄黍(トウモロコシ)が成り
左足に、甘稈(アマガラ=砂糖のように甘い植物)が成り
右足に、吉玉菜(ヨタマナ=玉ネギのように玉状になる野菜) が成り
御陰に、蚕が成っていました。

⇒これらの作物が、当時の徳島県の主要な産物だったということでしょうか?
なお、カイコも食物とされていることに注目!

 

そこでアマクマノウシの命は、これらの作物を全て集めて、オオケツ姫を蘇生するため、平手に掲げると、オオケツ姫から剣が抜けて、生き返りましたので、一緒に天昇りして、報告しました。

 

すると天照大神は大そう喜んで、オオケツ姫にこう言われました。
「汝は、人民の食物を知る神なので、その御種を日本国中に播き散らして、人民を助けて、食物で満ち足らすのです。」

 

<水田津物と陸田津物の制定>

オオケツ姫が、「天照大神は私のことをそんなに愛してくれていたのですね。」と、涙を流すと、

 

(1)その涙が頭に落ちて稲の種となりましたので、この2種類の稲種を水田津物(水が必要な作物=水稲)としました。

(2)また、目を払ったときに眉の埃が頭に散って出来たものを作稲種とし、これを陸田津物(畑で耕作する作物=陸稲)と呼びます。
⇒この記述から、弥生人が水稲だけに依存していた訳でなく、「水田の耕作技術とともに大陸からやってきた渡来人」という解釈が間違いであることが分かります。

(3)さらに、私が殺されようとするとき、涙がこぼれかかって出来たものは、稗(ヒエ)種と菰実(カトミ=マコモ)種です。

 

以上を水田津物(水が必要な作物)と定め、それ以外を畑津物(陸田津物)と定めました。

 

<十四種津物の制定>

 

さらに、記述は続きます。

興味のある方は、下記の原文からご確認ください。

ウエツフミ第2綴 第11章

http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=2&sno=11