これは、豊国文字で「カヌヤマヒコヒメミコト」と書かれています。
つまり鉱山の神様である「金山彦と金山姫」の夫婦神のこと。
大分県の祖母山のふもとにある尾平鉱山では、鉱夫たちが「そこを掘ったら鉱物が出るのか?どうか?」を事前に確認するため、「おまじない」としてこの文字を使っていたことが分かってきました。
その経緯が、明治時代に田近長陽(大分県竹田市の国学者)が書いた『高千穂古文字伝』という書物に記されています。
ここから分かるのは、「カヌヤマヒコヒメミコト」の豊国文字は、鉱山師の家に代々“秘伝”として伝わってきた「おまじないの文字」であり、その文字の形状を記憶だけに頼って伝えてきたのであり、読み方も知らず、どこかに書かれていたものが残っていた訳ではない(あえて残さなかった?)・・・・ということです。
『高千穂古文字伝』の記述 (現代語訳)
明治時代に、海部郡金谷という場所(現在の大分県佐伯市)で、幸松葉枝尺が鉱山師から直接下記の話を聞きます。
※なお、幸松葉枝尺(さきまつはえさか)は、『ウエツフミ 宗像本』が発見された大分県豊後大野市中土師村の庄屋・宗像家の親戚にあたる国学者で、一生を『ウエツフミ』の研究に捧げた人です。
鉱山師いわく「(明治6年に)外国人技師を招いて、尾平鉱山の採掘調査をさせたが、鉱山というものは生き物で、毎日刻々と変化するので、一回見ただけでは当たるハズがない。それよりも我が家に代々伝わる秘文を使えば、百発百中で当たる。」と、幸松に対して自慢するので、
「それならその秘文というものを見せて欲しい。」
というと、鉱物を盗まれると勘違いしてなかなか教えないので、「鉱物が欲しい訳ではない、その文字が見たいのだ。」と説得して、やっと紙に書いてもらった。
鉱山師はその読み方すら知らなかったが、幸松葉枝尺と森下景端県令(初代大分県知事)が読み比べてみると、若干の間違いはあったが、ほぼ「カヌヤマヒコヒメミコト」と豊国文字で読むことができた。
幸松葉枝尺は、この豊国文字を掛け軸に仕立てて大切に所有していたようで、その後吾郷清彦氏の著書『古史精伝ウエツフミ』の図録(添付画像)などにも取り上げられます。
◆『ウエツフミ』には、鉱物が埋蔵されている場所を見つけるためのノウハウが詳しく記されています。(地形や土の色や植物で判断する方法)
◆しかも、金山彦が指導して、我が国初の製鉄技術を確立するまでの「苦労談」までも書かれています。(山口県から国産製鉄は始まった)
◆ご存知のように、金山彦はニニギの命の天孫降臨に付き添ってやってきた神様です。
つまり、我が国に製鉄技術を伝えたのは、外国人ではなく、豊国文字を使う人々であったことが分かります。
しかも、ニニギの命が神話の記述どおり祖母山に天孫降臨したというのが事実ならば、
さらに、私の主張どおり「ニニギの命の登場から弥生時代が始まった」とするならば、
いったい彼らはどこからやってきたのでしょうか?
論理的に考えれば「彼らは宇宙人である」という結論にならざるを得ないのですが、さてさて真相はいかに?
コメントをお書きください