竜になった娘のお話し・・・沈堕の滝にまつわる伝説から!
2017.10.3に豊後大野市中央公民館で行った講演の要旨【発表者: 藤島寛高】
大分県豊後大野市にある「沈堕(ちんだ)の滝」、かつてここには竜が棲んでいました。
このお話をご存知ない方のために、ここではそのエッセンスだけを紹介しますので、詳しく知りたい方はこちらのサイトから。
https://rindonotabibito.web.fc2.com/MX/chinda/1200/mx1200.htm
◆佐賀関の「速吸日女神社(はやすいひめじんじゃ)」の神主には子供が無かったが、「沈堕の滝」で小蛇を助けたことから娘を授かる。
◆娘の背中には鱗(ウロコ)があり、何度はがしてもまた生えてきた。
◆ある嵐の夜、法華経を広める修行僧がこの家に泊まったが、娘が突然「あの人は沈堕の滝からの使いで、私は滝に帰らなければならない」と言い出す。
◆娘は滝つぼに飛び込むが、髪を振り乱して突然飛び出してきて、両親にこう告げる。
「滝つぼにはもう別の蛇が棲み付いていて、退治しなければ私は竜になれません。お父様の脇差を貸してください。」
◆再び娘が滝つぼに潜ると赤い血が浮いてきた。しばらくすると、口に脇差をくわえた竜が現れて「毎年六月の大祓いの日に会いに参ります」と告げる。
◆そののち、毎年六月の大祓いの日になると、沈堕の滝から一匹の竜が、佐賀関の速吸日女神社に向けて大野川を下るのが見られる。
今は亡き両親を偲んで、一晩神社の古井戸に泊まるという。
竜になった娘とは一体誰なのか?
『祝詞(のりと)』が解き明かす竜と娘の正体
◆六月晦大祓(みなつきのつごもりのおおはらへ)の日とは?
人間社会では日々、禍事(まがごと)や罪がため込まれている。
だから半年に一度、6月30日と12月31日には、これらの【穢れ】を洗い流して【禊(みそぎ) 】をする必要がある。
文字通り、汚い穢れたものを【水に流して】浄化するための神事である【大祓】が行われる日。
このときに挙げられる祝詞(のりと)が【大祓詞】であり、代々中臣氏(藤原氏の祖先)が伝えてきた。
現在では、「夏越祭り」や「茅の輪くぐり」の行事として伝わる。
※大祓詞全文はこちら。
ちなみに、「七十二候」では旧暦6月30日(8月初旬)を「大雨時行(たいうときどきにふる)」としており、ちょうど「梅雨明け」の時期で、大野川の水位が最も上昇する。
つまり、梅雨による長雨⇒川の氾濫⇒半年に一度の大浄化と考えられていた。
◆『祝詞』が伝える四人の神様とは?----- 祓戸の四神
瀬織津姫 セオリツヒメ |
川の神 |
(大罪を)大海原に持ち出す |
沈堕の滝の主 |
遠秋津姫 ハヤアキツヒメ |
海(港)の神 |
海が飲み込む |
大野川河口の主? |
気吹戸主 イブキドヌシ |
風(息吹)の神 |
風が吹き払う |
瓜生島の主? |
ハヤサスラヒメ |
海底(霊界)の神 |
海底に持ち去って消す |
速吸日女神社 |
※詳しくはこちらのサイトから。
http://www.geocities.jp/eziri959/seoritu.htm
◆滝つぼに住み着いた「別の蛇」の正体?
これらの四神が戦う相手とは、「八十枉津日(やそまがつひ)の神」である。
イザナミが「黄泉の国」に連れ去られたとき、戦った相手としても有名。
つまり、冥途の世界から、人々に「不幸」と「病」と「死」をもたらす悪神であり、西洋では「悪魔」として恐れられている。
◆瀬折津姫(せおりつひめ)とは?
瀬織津姫とは、文字通り禍事(まがごと)や罪を【水に流して】くれる「川の神様」であり、「浄化の神様」である。
ところが、歴史的には攻撃され続け、現在はほとんどその存在が忘れ去られようとしているが、なぜか根強い人気がある謎の女神様。
⇒『ウエツフミ』にさえ、人名以外はほとんど記述が無い。
⇒つまり鎌倉時代にはすでに忘れられていた。
「沈堕の滝に潜む竜の伝説」が伝えようとしているのは、この女神のことではないのか?
◆祖母山~佐賀関半島をつなぐ「大野川浄化ライン」
工業化時代の到来と「大野川浄化ライン」の破壊
これを単なる無知と偶然だけで片づけてよいのか?
◆岡藩による鎮田の滝の封印
【1】「鎮田の滝」から「沈堕の滝」へと改名
⇒雪舟(1400年代)の画には「鎮田」、『豊後国誌』(1803年)では「沈堕」
⇒つまりこの間に、縁起でもない名前に変更されている。
【2】滝つぼを「処刑場」とし、ここに罪人を投げ込む
⇒主にキリシタンの弾圧に使われたが、逆にキリシタンを生かすためにわざと軽い罪としたのではないか?という疑惑が起こり、岡藩は徳川幕府から叱責される。
⇒対岸の「杵築社」には冥途の神様である大国主が祀られている。
まだまだある。岡藩の不可解な行動。
【3】「穴森神社」の竜の棲むほら穴から池の水を抜く
【4】「小富士山」の磐座の上に藩主の墓を建設
【5】古墳の上に「扇森稲荷(こうとうさま)」を鎮座させる
【6】近隣の神社のご神体を岡城内に集約する⇒現在は「愛染堂」にある
【7】「尾平鉱山」から鉱毒を垂れ流す⇒奥嶽川は一時「死の川」となる
◆明治政府による沈堕の滝の破壊
【1】大分~別府間に路面電車を通すため、その電源確保の目的で「沈堕の滝」にダムと発電所を建設。
⇒なぜ、50kmも離れたここでなければならないのか?
⇒その後、滝つぼが崩落し続け、約200mも後退したため取水が困難となり発電所も閉鎖。
⇒江戸時代には雄滝と女滝は100mしか離れていなかった。(下記の『豊後国誌』参照)
⇒つまり、これも神罰か?
【2】明治時代に地元住民の反対を無視して佐賀関の「速吸日女神社」の真正面に銅の精錬所が建設される。
⇒ここは浄化のための重要な聖地であった。
⇒明治政府とは、英国による傀儡政権なのか?
◆速吸日女神社の主祀神
現在の速吸日女神社のご祀神は「八十枉津日神(やそまがつひのかみ)」である。
⇒なぜ速吸日女ではなく、速佐須良姫でもなく、八十枉津日なのか?
⇒つまり今は、悪い神がここを占拠していることになる。
あるいは、細川氏(肥後藩)による豊後の封じ込めか?
⇒現在の社殿を寄進したのは細川氏である。
⇒なぜ、熊本の殿様がこの神社を保護する必要があるのか?
⇒逆に、豊後大友氏を封じ込めでいるのではないか?
本来ここは、悪い神を封印するための神社。
【結び】
瀬織津姫の復活と地元の活性化へと向けて
神話と近代科学との融合による新しいまちづくりのご提案
<政策提言につき省略>
<参考資料>
『豊後国誌 巻之九 大野郡』より、ありし日の沈堕の滝の雄姿
沈堕瀑
大野郷矢田村に在り。大野、緒方二川、諸渓水を導き、此に至りて相合し一と為る。懸崖より下、瀑高九丈余り、濶一百余歩、其の潭深測るべからず。崖上危石磊磊尖起。鉾相列す如し。激水急湍衝に触れて其の間を流れ、直垂分かち十三条と為す。遠く之を望めば氷柱列立するが如く、之に近すればすなわち白竜雨を駆け百雷怒り叫び、飛雪虹を吐き、頗る爽快、目を洗うべし。それ夏の霖(ながあめ)、秋の潦。すなわち水溢れて一と為る。銀漢倒潟。またまた壮観なり。
雌沈堕瀑
沈堕を相去ること一町ばかりに在り。碧潭相連なり、故に雌を以て之を称す。大野矢田の下流。矢田川という。瀑の高さは十余丈。濶一丈余り。飛流直下、匹練之懸の如し。
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