大分県豊後大野市に伝わる御嶽神楽に『地割 (ぢわり)』という出し物があります。
これは、ニニギの命の天孫降臨を道案内するため、猿田彦が地上で待ち構えていたところ、アメノウズメと押し問答となった様子を再現したものです。
そこには、『古事記』にも『日本書紀』にも『ウエツフミ』にも書かれていなかった、詳細な会話の内容が残されていたのです。
このことから大変なことが分かりました。
つまり、謎とされていた猿田彦の正体が明かされていたのです。
猿田彦とは、ふなどの神である!
まず結論から先に書きますと、
◆猿田彦とは、縄文人が信仰していた「クナト神」「岐の神」または「ふなどの神」、中国流には「道祖神」のことである。
◆縄文神のクナト神は世界中を渡り歩いて、「五色人」を創造したということ。
◆そして、ここで行われた「押し問答」とは、縄文的な世界観と弥生的な世界観の対立であったということ。
以上の三点が明らかになってきました。
いやあ、文字で書き記したものとは違い、お神楽は一子相伝で極秘裏に受け継がれてゆきますので、第三者が介入する余地は全くなく、本当のことが語り継がれている可能性が高いということです。
すごいぜ、大分県豊後大野市!
庶民レベルでここまで詳細で正確な記述が残されているということは、豊日の国とはただの田舎ではなく、本物の天皇を生んだ聖地だということです。
それでは、その内容を詳細に見てゆきましょう。
御嶽神楽 第31番『地割(ぢわり)』の番組内容
≪登場する神と装束≫
猿田毘古神(さるたびこのかみ)・・・・猿田面(赤)
天宇受売尊(あめのうづめのみこと、舞台上では神主として登場)・・・・烏帽子
御供神一 ・・・・ 毛頭(丸毛)
御供神二 ・・・・ 毛頭(丸毛)
≪最も大切な会話の現代語訳≫
【ウズメ】(神主の姿で)いったいどうやって真偽を判断したらよいのやら?
正しきを行い、神の意思を実行しようと(猿田彦が)おっしゃるのなら、(神よ!)その詔を教えてください。
【ウズメ】このような(荒れた)世の中を、神の世に変えてゆこうとしているときに、世にも恐ろしい顔立ちでお供を申し出た人、よくよく見れば(中略)、全くこの世界の人の姿ではありません。
東国の人ならば顔色が青く、南国の人なら赤く、西国の人なら白く、北国の人なら黒く、アジアの人なら黄色いはず。
とても五色人とは思えないので、この手に持った御笏(みてぐら)で、境界の外まで追い払ってしまいましょう。
【猿田彦】聞けよ、聞け、よく聞け。
天の言い伝えにもあるではないか。
大海に船を浮かべ、小川という小川に橋をかけ、士農工商の職業を家ごとに定め、それ天地がまだ開かずに混沌としているとき、九億十万八千丈の内から出てきた「猿田彦の明神」とは私のことである。
だから天孫降臨に際して「導き」を行うため、今日はおれい(?)を締めて、禊(みそぎ)を祓って、不浄を除いてきた。
もしも大切なときに極悪の神敵が現われるならば、その体中を斬って、斬って、斬り鎮めるためである。
つまり国を踏み開くことが(私の)目的なので、よくよく聞き給へ。
【猿田彦】東方、東方、わが東方。
六万里にも十二漕の舟をそろえ、それに青金を積んで、持っている剣を櫓棹にして、東方六万里にも漕いで行き、漕ぎ返して、東方の段の柱とした。
同じく、南方は赤金、西方は白金、北方は黒金を、それぞれ段の柱とした。
このように東西南北、道を踏み開いた私こそ「ふなどの神」、またの名を「道祖神」とも言うのである。
かくのとおりなので、(神よ!)アメノウズメにも分かりやすく詔をお伝えください。
◆その他の会話は、こちらの「原文」からどうぞ、
お神楽の解説
つまり、ここで猿田彦は「自分はふなどの神であり、ニニギの天孫降臨を道案内したい」と申し出ています。
ふなどの神とはアラハバキ(女神)とペアとなる男神のことであり、縄文時代の神様です。
『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』では、アラハバキ神のお姿は遮光器土偶(写真上右)のこととされています。
それが中国に渡って「道祖神」とも呼ばれるようになりました。
出雲族のナガスネヒコ(神武天皇に滅ぼされた)と、その子孫である「富家」も信仰していました。(富家文書による)
つまり、本物の出雲族とは縄文人であったということです。
(逆にいえば、これを必死で否定している勢力がニセモノということになります)
【参考】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%90%E3%82%AD
さらに、「自分は世界中を航海して、東西南北に4つの段の柱を立てた」と言っていますが、これは「五色人を創造したのは自分だ」ともとれる発言です。
ちなみに五色人とは、阿蘇の「幣立神宮」にも伝わる世界の5大人種のことですが、最近のDNA解析の進歩により、縄文人が世界中にその痕跡を残していることが証明され始めました。
つまり猿田彦の言っていることが正しいということになります。
ちなみに、12艘の船で航海したといってますので、失われたユダヤの12氏族を象徴していると解釈することもできますが、この辺は私の専門外なのであまり詮索しないこととします。
ただし、猿田彦の風貌が五色人のうちのどの人種にも似ていなかったため、悪神と勘違いされてしまいます。
ここに、神官の姿を借りたアメノウズメが猛反発しはじめます。
その主張とは、
「ふなどの神とは悪神である。なぜならわが国にはそんな神は存在しない。そもそもわが国を造ったのは、国常立命⇒伊邪那岐と伊邪那美の二柱⇒天照大神である。」
「異国からやってきて、わが国を開き固めるというのは納得できない。だから追い返す!」というのです。
この二人の議論は延々と日没まで続いたため、それを見かねた御供神たちが仲裁に入ります。
いわく、「おめでたい遷都の席にふさわしくない」「もう夕暮れなので時間が無い」「二人の神が協動すればよいではないか」・・・・云々。
そして最後には、縄文神と弥生神が融和して一緒に舞を踊るという設定になっています。
めでしたし、めでたし。
結びにかえて
さてさて、以上のやりとりをどう解釈したらよいのでしょうか?
まず、縄文人の世界観と弥生人の世界観、特に天地創造に関する伝承がみごとに対立してしまったということです。
それも無理はありません。
そもそも二つの民族は、そのルーツも、DNAも全く異なっているのです。
ここで「二物の衝突」が起こってしまったということです。
しかし、それはやがてアウフヘーベン(ヘーゲルのいう次元上昇)して、新生日本である弥生時代が幕を開けることとなります。
その結末は、『ウエツフミ』だけに詳細に書かれています。
つまり、猿田彦とアメノウズメは結婚して夫婦となり、ニニギの命の国づくりに全面協力することになりました。
だから、現在でも日本人は縄文人のDNAと弥生人のDNAを半分ずつ受け継いでいるのです。
そういえば、日本の歴史には常に二つの勢力が登場してきます。
あるときには、山の神と海の神であったり、
山幸彦と海幸彦であったり、
物部氏と中臣氏であったり、
源氏と平家であったり、
北朝と南朝であったり、
東軍と西軍であったり・・・・と。
つまり、「陰陽五行」の理論でいえば、2つのエネルギーが激しく対立しながら、ときには融合して、さらに新しいものを生み出しているのです。
それは、あたかも男女の関係に似ています。
すばらしきかな、日本人。
やがてそれはもっと新しい次のイデオロギーを生み出して、神に近づいていくのではないでしょうか?
それが、神の望んだ未来形だから?
なんだかそんな気がして、無償に嬉しくなってしまうのは、私だけでしょうか?
【過去の関連記事】 『猿田彦は縄文人だった!』
◆いまから2年前、私はウエツフミの記述だけから、猿田彦は縄文人であると断定していましたが、この無謀な説は図らずも当たっていたようです。
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松阪市 川村 (金曜日, 29 10月 2021 05:56)
古事記の天孫降臨では猿田彦は天の鈿女の強い目力ででその正体を見抜かれたことになっているが、本来は(猿田彦はいずれの民族に属するものかは不明なるもいずれまつろわぬグループに属し天孫降臨を邪魔しに天の八衢にあらわれたものと思われる)天孫族の若く美しい娘のウインクとその姿態に降参したものと考える(天の鈿女は、天岩戸の段において胸乳あらわに裳紐押し下げてストリップまがいのダンスを演じ神々の喝采を博している・この場面において胸乳もあらわに裳紐押し下げて同様の格好をしたと明記されている)