『平家物語』には、三種の神器のうちの草薙剣だけが「安徳天皇とともに壇ノ浦に沈んだ」とはっきり書かれています。
「二位尼こと平時子が、腰に差して入水したので海底に沈んだ。その後、海女たちに探させたり、名僧を集めて祈らせたりしたが、ついに見つからなかった」とあります。
【出典】岩波書店「日本古典文學体系」33『平家物語』巻第十一【劔(けん)】より筆者意訳
問題提起
問題は、何者かがこの記述を消そうとした痕跡があることです。
そのことが書かれている【剣巻(つるぎのまき)】ですが、これを平家物語の前文に置いたり(つまり本文ではない)、巻十一の中に大幅に省略して挿入したり(神話の部分が削除されている)、はてまた「これは平家物語とは全く関係ない」と主張する学者先生も登場する始末です。
まあ、無理もありません。
「それじゃあ、今上天皇が常に携えているあの剣は一体何なんだ?」ということになれば、それこそ大問題です。
だから、なるべく国民の目のつきにくい場所にこっそりと隠したかったんでしょうね。
でも、私が注目したいのは、そこではありません。
なんと、この【剣巻】には、日本国の成り立ちが書かれていたのです。
草薙剣の所在にこだわるあまり、この神話の部分まで失われてしまったことは、もっと大きな損失です。
「角を矯めて牛を殺す」とは、まさにこのことですね。
仏教による日本国の成立
そこに、何が書かれていたのか?
おおまかに要約すると、次のとおりとなります。
国常立尊が「此下に国なからんや」と天瓊矛を降して大海の底を捜し、その矛を引き上げると滴りが凝り固まって島となった。
大海の浪の上に"大日"という文字があり、その上に滴りが落ちて島となったので"大日本国"と名付けた。
天照大神は伊弉諾・伊弉冉尊から国を譲られたが、第六天魔王は「この国は大日といふ文字の上に出で来る島なれば、仏法繁昌の地なるべし。これよりして人皆生死を離るべしと見えたり。されば此には人をも住ませず、仏法をも弘めずして、偏に我が私領とせん」と許さなかった。
三十一万五千年を経た後、天照大神が魔王に「日本国を譲りの任に免し給はば、仏法をも弘めず僧・法をも近付けじ」と誓ったので、魔王はこれを許して印を奉った。
これが今の神璽である。
⇒要約の出典はこちら。http://www.lares.dti.ne.jp/hisadome/shinto-shu/index.html
⇒さらに詳しく読みたい方へ、原文はこちら。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/877637/18
私流の解釈
さてさて、何やら魔王が登場して(西洋流にはサタンでしょうか?)、天照大神と戦っている様子ですが、これを一体どう解釈すれば良いのか?
私は、これこそ日本人の心の中に共存する二大宗教、つまり神道と仏教との関係について明確に定義している重要な記述だと考えます。
このことが理解できないと、平家一門が何を信仰していたのかが分からないし、神仏習合とは一体何なのか?も、全く見えて来ません。
まず注目したいのは、この世は良い神様と悪い神様との戦いであること。
それを、“天使と悪魔”と呼ぼうが、“如来と魔王”と呼ぼうが、“天照大神とヤソマガツ”と呼ぼうがあなたの自由ですが、全ての宗教の根源にある二大勢力は、実は日本国に於いても例外ではなかったということです。
そして、日本国の海底には「大日」と書かれたサンスクリットが埋まっているので、仏教が繁栄するにふさわしい平和な国であるということです。
この印文のことを、仏教用語で「大日の印文」といいます。
あるいは、これこそ以前私が紹介した「須弥山」のことなのかもしれません。
⇒以前の投稿は、こちら。
ところが、これを問題視した魔王は、その印文を破壊するために日本にやってきます。
そこで、天照大神は魔王からの破壊攻撃をかわすために、わざとウソをつきます。
それは、
「神道と仏教は一切関係ありません。」
「だから私(天照大神)は、『仏法僧』の三宝を唱えることは一切ありません。」
というものでした。
ちなみに今でも伊勢神宮では、僧侶が境内に入ることはできないといいます。
さらに、仏のことを"立スクミ"、お経のことを"染紙"、僧のことを"髪長"、お堂のことを"木焼コリタキ"などと呼んで、あたかも仏教を軽蔑しているような素振りを見せたという経緯もあります。
「嘘も方便」というのはお釈迦様の言葉ですが、このとき天照大神は、まんまと魔王を欺いて退散させることに成功します。
それどころか、魔王から絶大な信頼を得て、「以降、末代までも天照大神の子孫だけがこの国を統治すること」という内容の誓約書を受け取ります。
これこそが、【神璽】の由来とされています。
ところが・・・・、もうお分かりですよねえ。
神道と仏教とは、実は裏で深くつながっていたのです。
なぜなら、伊勢神宮のある場所こそ、「大日の印文」が埋められている秘密の場所であり、天照大神が今でもそれを大切に守っているからなのです。
結び
さてさて、以上の神話こそが「本地垂迹説」の根本教義であり、実は神仏は一体であるとする神仏習合思想の原点なのです。
そこで、みなさんも既にお気づきのことと思いますが、この【魔王】の正体がなんとなく見えてきませんか?
そういえば、この神仏習合をブッ壊そうとしたのは、あの明治政府ですよねえ。
さらに、終戦後日本にやって来たマッカーサーは、伊勢神宮の地下を探させたといいます。
多分、ユダヤ人のアークじゃなくて、大日の印文を探していたのでしょう。
ということは、彼らこそ魔王の再来ということになりませんか?
もしそうでなければ、原爆を落とすなどという悪魔の所業は実現しなかったでしょうから。
「草薙の剣」の話から大きく反れてしまいましたが、平家一門が守り続けてきた教えを共有することは、私たち日本人にとってはすごく大切なことなのかもしれません。
最後に、平清盛の娘である建礼門院(徳子)は、壇ノ浦で捉えられて大原の寂光院で出家しますが、亡くなる直前の様子を、『平家物語』は下記のように伝えています。
昔は東に向かわせ給いて「伊勢大神宮、正八幡大菩薩、天子宝算千秋万歳」と申させ給いしに、今はひきかえて西に向かい手を合わせ「過去聖霊、一仏浄土へ」といのらせ給ふこそ悲しけれ。
・・・・『灌頂巻』より
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