先日、Facebookで私が運営している『古代史研究会』のメンバーの横山航宜さんが、国東半島に「巴文」を重ねた画像を投稿されていました。
それが、こちら。
これを見て、私も啓示を受けたので、あえて異論を唱えさせていただきます。
私流の解釈
私の解釈では、国東半島の「両子山」が陽の極地であり、これに対応する陰の極地が「別府湾」なのではないか?
仏教用語でいえば、国東半島が「金剛界」で、別府湾が「胎蔵界」ということになります。
何の根拠もありませんが、国東半島の不自然に丸い地形と、それに寄り添うように対極をなす別府湾の丸い地形が、なんとなくそう見えてくるのです。
しかも、かつて別府湾の中心には「瓜生島」という島がありました。
この島こそ、陰の極地ではなかったのか?
安土桃山時代に一夜にして海中に沈んだこの幻の島は、まさに“日本のアトランティス”なのです。
瓜生島に祀られた蛭子の命
かつて、この島に祀られていたのが、恵比寿ことヒルコ(蛭子)の神様でした。
あのイザナギ・イザナミの長子でしたが、足腰が立たなかったので芦舟に乗せられて海に流されたといいます。
それが、海の神様・豊玉彦ことオオワダツミ(豊玉姫の父親)に拾われて育てられます。
(『神道集』による説話)
このお方こそ、陸地に領土を持たない海の冥王・ヒルコの神なのです。
かつて瓜生島の中心には大きな恵比寿ことヒルコの石像かありましたが、現在は所在不明となっています。
つまり、仏教的には“海の上から母性的な愛情で人々を見守る”「胎蔵界の大日如来」だと解釈できます。
なお、『神道集』ではヒルコは女神であったと説いています。
ちなみに、現在「恵比寿」と呼ばれるようになったのは、もともと「ヒルコ」と呼ばれていたものが、中国人による漢字攻撃で「蛭子」に改めさせられ、さらにこれを日本語読みして「エビス」となり、別の漢字「恵比寿」が充てられたものなのです。
なんと、ややこしい!
あるいは、この神様自身が、あえて姿を隠した可能性もあります。
その理由は、さらに先を読めば分かってきます。
瓜生島が水没した経緯
この瓜生島が海中に没したのが、「慶長の大地震」(1596年-1615年)の時といいますから、今からちょうど400年前。
このとき同時に、豊後大友氏が滅亡しますが、これは単なる偶然の一致でしょうか?
有名な戦国大名の第21代当主・大友宗麟が亡くなったのが1587年。
その約10年後に、大地震が発生し、鶴見岳が山体崩壊を起こし、崩れ出した土砂に押し流されて、瓜生島は対岸の三佐地区まで押し流されて消滅します。
⇒以前に、Facebookに詳しく書きましたので、こちらから。
https://www.facebook.com/groups/kodaishi/search/?query=%E7%93%9C%E7%94%9F%E5%B3%B6&epa=SEARCH_BOX
初代・大友能直公が1223年に著した『ウエツフミ』ですが、ちょうど400年後に末代の宗麟がキリシタン大名に改宗して滅亡したことになります。
同時に、豊後大友家が守り続けてきた日向王朝の歴史が書かれたこの書物も、瓜生島とともに海に沈むとは、単なる偶然でしょうか?
このあと、大分県は他国からやってきた縁もゆかりもないお殿様の統治が続き、『ウエツフミ』の教えもすっすり忘れ去られてしまいます。
ところが、それからさらに400年後。
江戸時代の末期になって、この『ウエツフミ』の古文書が、豊後大野市土師村の庄屋・宗像氏の蔵から発見されます。
そしてこの謎の古文書を、40年もかけて解読に成功したのが、幸松葉枝尺(さきまつはえさか)なる人物ですが、なんとこのお方の祖先は沈んだ瓜生島の領主を代々務めた家系なのでした。
ここまでくると、もはや偶然というよりは奇跡!
もしかしたら、400年おきに陰陽が逆転しているのでは???
1223年 ウエツフミが書かれる。
1600年頃 瓜生島が沈み豊後大友氏が滅亡、その教えが廃れる。
1837年 ウエツフミが再び発見され、見直される。
2400年頃 再びウエツフミの教えが廃れる???
ヒルコには“教え”があった
さてさて、大混乱してきた人も多いかと思いますが、ここでヒルコと『ウエツフミ』との関係について触れておく必要があります。
ヒルコを語るうえで、忘れてはならない人物が、かつてこの豊後の国に君臨していました。
それが、第11代・ウガヤフキアエズの命(幼名をマガキツルギヒコ)といいます。
『ウエツフミ』は、その偉業をしっかりと伝えています。
このお方は、不思議なご縁により鶴と亀に導かれて北海道に渡り、そこで恵比寿ことヒルコに遭遇します。
(そういえば、別府湾の東には鶴崎があり、西には亀川があるではないですか!)
つまり、ヒルコに呼ばれてその教えを直接授かった方なのです。
このことは、以前にも書いていますので、下記をご覧ください。
すなはち、大分県を中心にして、弥生時代には恵比寿ことヒルコの教えがしっかりと伝わっていたということなのです。
その名残が、瓜生島の沈んだ石仏であるということになります。
残念ながら、その教義が何であったのかについては、ウエツフミにも書かれていません。
陰陽逆転が意味するもの
「禍福は糾える縄の如し」とは、中国の諺ですが、もしかしたら陰陽も定期的に逆転しているのでは?
しかも400年という規則正しい周期で。
ということは、こう解釈できませんか?
◆安土桃山時代あたりから始まった武士の台頭は、まさに男性社会の象徴であり、そこでは“富と権力”が全てを支配する。
仏教的には、金剛界が支配していた時代。
◆ところが、最近著しい女性の社会進出や人種による偏見の撤廃などは、愛と慈悲による相互共存型社会の登場であり、支配階級を必要としない平等な社会が実現するのでは?
仏教的には、胎蔵界が支配し始める時代。
ということなのでしょうかねえ?
どうやら。
もしも、私の推測が正しいとするならば、別府湾の海中からヒョッコリとヒルコの石像が発見されるんじゃないでしょうか?
そして、天照大神とそのお役目を交替する時期が来ているのでは???
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