日本の各地から出土している縄文土器。
その芸術的な完成度の高さは万人が認めるところですが、これが一体何に使われたのかは、未だに説が分かれており、解明されていません。
ところが『ウエツフミ』には、その利用方法に関する記述があるのです。
この記述の解読から、土器とは単なる“クリエイティブな衝動の表現”ではなく、ある明確な目的のために造られた“装置”であることが分かってきました。
やはり、土器は呪術に使われていたのです。
さらに、人が何かを実現したいときに、その念いをカタチにするための“願かけの儀式”としても利用されていました。
それでは、まずその記述内容を見てみましょう。
ウエツフミに残された記述
(1) 初代ウガヤフキアエズに贈られた“風招きの壺”
初代ウガヤフキアエズの命が大分地方を訪れたときのこと。
地元の住民たちが航海の安全を祈願して、命に“風招きの土壺”を贈ります。
それは、色の異なる4種類のツボで、それを開くと、それぞれ東西南北の風が発生して、船を任意の方向に導いてくれるという大変便利な“風力発生装置”でした。
そして、それを教えたのが風の神様であるシナヅ彦なのです。
ある日、シナズ彦とシナズ姫の夫婦神が、福岡地方の女に憑依して、「これから教える八百土壺(ヤモモのハニツボ)を、ウガヤフキアエズの命の船出の餞(はなむけ)とせよ!」とお告げして、女はそのまま亡くなってしまいます。
ちなみに、【八百】とはウエツフミのなかでは【魔法】という意味で使われています。
その種類と使い方はこうでした。
【赤土壺】・・・・2つの濃い色のツボを開けば、南風が発生する。
また薄い色のツボを開けば、南西の風が発生する。
【白土壺】・・・・2つの濃い色のツボを開けば、北風が発生する。
また薄い色のツボを開けば、北東の風が発生する。
【黄土壺】・・・・2つの濃い色のツボを開けば、西風が発生する。
また薄い色のツボを開けば、西北の風が発生する。
【青土壺】・・・・2つの濃い色のツボを開けば、東風が発生する。
また薄い色のツボを開けば、東南の風が発生する。
そこで、人々が国々を巡ってこの風壺を探し求めたところ、
【赤土壺】・・・・熊本県にあったので、ここをカサキという。
【白土壺】・・・・福岡県の大野にあったので、ここをミザカという。
【黄土壺】・・・・大分県にあったので、ここをカサケという。
【青土壺】・・・・鹿児島県にあったので、ここをナカザという。
⇒原文はこちら
http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=18&sno=11
以上の記述から分かることを、メモしておきます。
まず、シナヅ彦とは、別名をシナヅトベともいい、西の方角を司る“風の神様”です。
大分県に伝わるお神楽の舞台の四隅には、現在でもこのシナヅ彦が「四方神」の一人として祀られることとなっており、お神楽の最初には、この四人の神様に挨拶する『五方礼始』が演じられることになっています。
⇒ただし、中国の五行思想の影響で、四が五に変わったり(下記参照)、神様の立ち位置が違ったりという若干の変化が見られる。
さらに『ウエツフミ』には、この四柱の神様の祖先が、太古の昔、それぞれ東西南北の方角の外国に渡って、そこで文明を開いたと書かれているのです。
⇒このことは、以前にも書いていますので、こちらから。
つまり、この神様は、ニニギの命にお供して高天原からやってきた弥生人ではなく、「天孫降臨」以前から存在していた縄文人の神様であり、猿田彦と一緒に世界中を旅して、世界の東西南北に“段の柱”を建てた古代縄文人の末裔だと考えられます。
⇒猿田彦と縄文人の関係はこちら。
⇒猿田彦こそクナトの神であると説くお神楽に関する記述はこちら。
⇒猿田彦がストーンヘンジを造ったとする仮説はこちら。
これに対して、ウガヤフキアエズの命は、ニニギの命の孫であり、生粋の弥生人です。
どうやら、弥生人たちは科学技術の方面(特に当時の最先端テクノロジーである農業の分野)には長けていたようですが、スピリチュアル的な能力は縄文人にはかなわなかったようで、しばしばその教えを乞うていたのです。
つまり、左脳に長けた弥生人を、右脳に長けた縄文人が支えていたという構図になり、この2つのDNAが融合して、現在の日本人が形造られているのです。
では、なぜ縄文人たちは土器という装置を使って、エネルギーや大自然をコントロールするノウハウを知っていたのでしょうか?
そのことを理解するには、もうひとつの逸話を読んでおく必要があります。
(2) ヒダカサヌが造った“戦勝祈願の土器”
ナガスネ彦との戦いで、思わぬ苦戦を強いられたヒダカサヌ(神武天皇のモデル)は、ついに病に伏してしまいます。
このときの夢で、不思議なお告げを授かるのです。
それは、「天の香具山の埴土を採取して、お皿80枚を焼いてこれに酒を満たし、酒ツボ80本を焼いてこれを整え、天津神・国津神たちに8日7晩連続して祈祷すれば、戦勝が叶う!」というものでした。
さっそく家臣のシイネツ彦らが変装して敵の包囲網をくぐり抜けて、天の香具山から埴土を採取してきたので、ヒダカサヌ自らこの土をこねて土器を製造します。
そして、丹生の川上に作られた祭壇にこれらを奉納すると、たちまち味方に活気が戻ってきました。
さらに占いとして、このとき使われた酒ツボを丹生川に流してみると、小魚が酔っぱらって浮かんできたので、味方の勝利を確信します。
【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=37&sno=12
⇒なお、神功皇后も同様の占いを行っているが、このヒダカサヌの故事を参考にして捏造されたものと思われる。(『日本書紀』参照)
つまりここでは、出来上がった土器そのものよりも、土器を焼くという行為自体に呪術的な効果があったということであり、これを私は『願かけ型土器』と名付けました。
さきに登場したウガヤフキアエズに贈られた「風招きの土壺」とは、明らかにタイプが異なるため、私はこちらを『装置型土器』と呼ぶことにします。
前者が弥生土器であり、後者が縄文土器ということでしょうか?
土器の持つパワーの根源
では、いったいなぜ、土器には不思議な効果があるのでしょうか?
その理論的な背景も『ウエツフミ』が解説してくれています。
<人の魂の四元論>
中国に『陰陽五行』の思想があるように、日本にも独自の『四元論』の教えがありました。
両者の違いは、中心をカウントするかどうか?という点にあるだけで、ほぼ同じ内容を伝えています。
これを説いた第2代・ウガヤフキアエズの命は、このように教えています。
人の魂(=生命力)は、下記の4つの気(エネルギー)で成り立っている。
(1)息気(いけ)
(2)火気(ほけ)
(3)水気(みけ)
(4)土気(つけ)
この4つの気を神様が常に吹き込んでいるので、人間は生命を維持できるのである。
【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=19&sno=16
⇒ちなみに中国の陰陽五行説では、(1)の息気というものを否定し、その代わりに木と金を置いて五行としている。
⇒「四元論」に関する私の以前の記事は、こちら。
ということはですよ、土器を焼くという行為自体が、すなわちそのまま魂=生命を形作るという行為であることになりませんか?
すなわち、土に水を混ぜてこね、それを風で乾かし、火で焼き上げる。
宇宙のすべてのエネルギーを土器に凝縮して、自分の念いをカタチにする。
だから、土器が不思議なパワー、つまりそれを造った人の魂を帯びることになるのです。
土器の製造方法に関する記述
『ウエツフミ』の素晴らしい点は、単に神話や伝記を伝えているだけではなく、当時の科学技術や生活習慣に関しても詳細な解説を残してくれていることです。
もちろん、縄文土器や弥生土器が、どのようなプロセスで製作されたかについても、下記の記述が残されています。
驚くべきは、縄文土器と弥生土器の違いを、製造方法の観点からも解説してくれていることです。
この古文書を“偽書”と決めつけている方に質問ですが、いったい誰が、何のために、こんな複雑で手間のかかる作り話を、でっちあげたというのでしょうか?
(1) ニニギが教えた“弥生土器の造り方”
ニニギの命は、諸国を巡行する途中で出雲のアワイイの国に立ち寄ります。
ここで地元の翁たちが山海の珍味でもてなそうとするのですが、なにしろ食器に盛られていなかったので、本来の味が出ていないことに不満を感じます
そこで、家臣らに命じて土器の造り方を地元民に伝授します。
下記の原文にその詳細な製造方法が書かれています。
【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=12&sno=27
このときに造られたのが、白い釉薬がかけられたマシロヒラカ(真白平瓦)という土器で、これが神前に奉納される御饌に、白い器が使われるようになった起源のようです。
なお当時は、冷たいものを盛る食器をヒラカ、温かいものを盛る食器をホカラ、鍋として使われた甕をタクジリまたはトカラ、お椀のことをモイ、徳利をイズベと呼んでおり、他にもナカラ(高坏?)、マジカ(?)なども出てきますが詳細不明。
(2) アマテラスが教えた“縄文土器の造り方”
縄文前期の古い時代には、火で調理するという方法が確立されていなかったので、アマテラスは家臣らに命じて、煮炊きの方法と土器の造り方を伝授します。
下記の原文にその詳細な製造方法が書かれています。
【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=3&sno=8
前述(1)との決定的な違いは「土を乾かしたあとにコマチを打つ」という部分であり、これを諸先輩方は「ロクロを打つ」と訳していますが、乾かしたあとにロクロを廻すのはいかにも不自然であり、私はこれこそ「縄文模様を打つ」と解釈しています。
つまり「コマチ」とは小さな襠(まち=凹凸模様)のことを指しているのではないでしょうか?
さらに、乾かす前にお皿に穴を開けているのも特徴。
結び
さてさて、このように見てくると、縄文土器や弥生土器の持つ類まれなる造形美は、それを造った人の魂や、その土器が持つ呪術的なパワーを象徴しているのであり、そのことを私たちは直感的に“スゴイ!”と判断しているのではないでしょうか?
願わくは、この記述を読んで「縄文土器を実際に作動させてみよう!」と考えるお方が出てくることですが、それは後代の研究に委ねることとします。
コメントをお書きください