そこは直径8kmの超巨大隕石が落下した聖地だった。
大分県の津久見市、その沖合に浮かぶ無垢島(むくじま)。
ここは豊玉姫がウガヤフキアエズの命を出産した場所であると『ウエツフミ』は伝えていますが、現在でも多くの謎に包まれた聖地だったのです。
まず、江戸時代までここはどこの藩にも属さない、いわば手付かずの“無垢の島”であったということ。
現在でも、2つある島のうち「沖無垢島」は無人島のままで、もう一方の「地無垢島」には、数十人がひっそりと暮らしています。
水道も無い不便なこの島に、まるでそこを守る聖職者のように・・・・
しかも2013年には、この付近からとんでもないものが発見されました。
それが、2億1500万年前に、直径8kmの巨大隕石が落下した痕跡なのです。
直径8kmといえば、メキシコ湾のユカタン半島に落下して恐竜を絶滅させたとされる隕石の大きさが直径10~15kmですから、いかに巨大なものであったか、想像を絶します。
【当時の新聞記事①】http://www2.oita-press.co.jp/nie/img_file/worksheet/137957838316026-1.pdf
【当時の新聞記事②】
http://www2.oita-press.co.jp/nie/img_file/worksheet/137957892918913-1.pdf
【関連記事】https://news.mynavi.jp/article/20130918-a219/
【関連ブログ】https://jafmate.jp/blog/news/16072221500_3.html
さらに、2億1500万年前といえば、それまで地球の主役だったアンモナイト・放散虫・コノドントなどの古代生物が絶滅の危機に瀕して、新たなるヒーロー・恐竜たちが登場するという、まさに“地球史の転換点”にあたります。
この生物の大量絶滅イベントに、強烈なインパクトを与えた巨大隕石、それが落下した地点を、なぜ豊玉姫は出産場所に選んだのでしょうか?
豊玉姫はもしかして恐竜?
ここからは、私の推測になります。
まず、豊玉姫自身が恐竜の生まれ変わりだったかもしれないということ。
豊玉姫が夫の山幸彦(ヒコホホデミ)に「見ないでね!」と言って籠った産屋。
約束を破ってそっと覗き見た山幸彦は、とんでもない姿に変身した豊玉姫を発見します。
そのときの様子が、『ウエツフミ』に詳しく記されていますが、まさにそのお姿はまさに“恐竜”そのものだったのです。(下記参照)
そういえば、日本古来の八百万の神々の中には、そのお姿があいまいで、明らかに天皇家の祖先とは異なる神々が多く存在しています。
例えば、住吉神、ウカノミタマ、健男霜凝日子、鬼八、八大龍王などなど。
ひとことでいえば“龍”または“竜”なのです。
先日、あるテレビ番組で取り上げられていましたが、西洋人のドラゴン信仰とは、古代人たちの恐竜に対する恐怖や尊敬の念が、そのまま現代人のDNAに記憶されたものではないかという仮説です。
そういえば、古代中国でも龍は王様の権威の象徴として、紋章や装飾品の中に多く取り入れられています。
⇒特に、五つの爪がある龍は、王様のシンボルで、4つの爪の龍と区別される。
はたして恐竜とは、ただただ野蛮で、獰猛で、人類を襲って食べてしまうだけの、無機質な存在だったのでしょうか?
恐竜にも知性や文明が存在したことは、現代の科学の常識からは“可能性ゼロ”とされていますが、果たして絶対にそれが真実なのでしょうか?
「体重に比して脳みそが小さすぎるから」という理由だけでは、それが意識を持っていなかったことの証明にはなりません。
もしも仮に、恐竜にも高度の“魂”が存在したとすれば、それが後代に蘇って“神”と称えられても不思議ではありません。
もしも仮に、豊玉姫がかつては地球の主であった恐竜たちの御霊であり、そのメッセージを伝えるために、ウガヤフキアエズの命を産んだのだとしたら?
原始農業を中心とする弥生時代とは、まさに「人類が自分たちの食料を自分で確保できるようになった」という画期的な転換点なのですから。
すなわち、人類が隕石に滅ぼされないためのヒントを手にした喜ばしい時代であったということです。
そして、それを教えてくれたのが、かつて大繁栄しながらも無防備な享楽にふけって、絶滅してしまった恐竜の御霊だったのかもしれません。
このような観点から、あらためてこの「無垢島」の姿をながめてみると、まるで海中から頭と背中をむくげた恐竜の姿にそっくりではありませんか。
【参考サイト】http://yuryoumaru8.web.fc2.com/yuryou-turiba.html
⇒【裏話】実は、八幡浜⇒臼杵フェリーはこの無垢島の近くを通ります。先日、この船の上から撮影した写真を皆様にもご披露しようと思ったのですが、どういう訳か?全てキレイに無くなっていました。「まだ公表してはならぬ」ということでしょうか?
いずれにしても、この島はあらためて詳細な調査が必要です。
津久見市が運営する渡し船は、チャーターもできるようなので、どなたか一緒に沖無垢島を探検してみませんか?
【渡船情報】http://www.oitasima.net/mukushima/access.html
参考のため、『ウエツフミ』を現代語訳してみましたので、興味のある方は下記からどうぞ。
ウエツフミ現代語訳 【豊玉姫の出産シーン】
ある日、お妃の豊玉姫が、天津御子にこう申し上げました。
⇒天津御子は「天神の子孫」という意味でヒコホホデミ、つまり山幸彦のこと。
「いつの間にか、私は妊娠しておりました。
来年の9月には臨月を迎えます。
つきましては、出産準備のため海津宮(ワタツミヤ、豊玉姫の故郷で別名を竜宮城という)に帰って、出産の祝い事を学んでから、出産のときにまた帰ってきて、火焚きの儀式(産屋のそばで焚火する「迎え火」のような儀式)を行いましょう。
ですから、波風の荒れた日に、海辺に産屋を造ってお待ちください。」
と申し上げると、大分の港にお立ちになって呼びかけると、オチチ亀(シッポが多くあるおめでたい亀)がやってきたので、その亀に乗って、海津宮にお帰りになりました。
だから、その場所を「サガ」といいます。
⇒「サガ」が、出発した場所を指しているとすれば「佐賀関」のことだが、到着した場所を指しているとすれば「佐賀県」とも解釈できる。
過去に、天津御子(ヒコホホデミ)は、タケツヌミの娘であるミホツ姫を側室にして、タケサ彦とウケチホホ姫の2人の御子を生ませました。
また、オキツナギサ彦の娘であるサナギ姫に産ませたのが、エミヅホアカシです。
⇒エミヅホアカシは第4代・ウガヤフキアエズの幼名と同じなので、この人物がのちに第4代に即位したことになる。
この2人の跡取り息子が生まれたので、豊玉姫は「うらやましい」と思って、不機嫌になっていました。
そこで、下記の歌を詠んで、この歌を妹の玉依姫に持たせて、(ヒコホホデミに)ご挨拶の伺いを立てることにしました。
赤玉の光はありと 人は言ゑど
君が装いし 尊くありけり
【筆者訳】赤玉の光り輝くようなオーラを発していると、人は言いますが、
あなたが盛装した姿は、(私の目にさえ)尊く映ります。
⇒つまり「私のことをどう思っているの?」という、女性特有のすね。
これに対して、ヒコホホデミが応えた歌が・・・・
沖津鳥 鴨とく島に 我が寝ねし
妹は忘れじ 世のことごとに
【筆者訳】沖津鳥と呼ばれるカモメが多くいる島で、一緒に過ごしましたよねえ。
その妻のことは忘れませんよ、いつでもどこでも。
すべてを察したヒコホホデミは、下記の5柱の姫神たちに、「大分の国の海辺に産屋を建てて待つように」と命じました。
⇒この5柱の姫神を「産ぶ籠(うぶこみ)の神」という。
アワナギウキヤタテの奥方・ヤス姫
アワナキタマヌシの奥方・イク姫
ツラナキサカシオの奥方・ユカケ姫
ツラナキミズタマヒコの奥方・ミズタマ姫
ツラナギハラケナリタチヒカリオの奥方・シキエノメ
⇒なおウエツフミでは、アワナギ・ツラナギは沖縄を開拓した神々であり、その子孫のことと思われる。
そこで、5柱の姫神たちは、大分の海の沖合の島に、お出迎えするために籠りました。
ここを「無垢島(ムカジマ)」といいます。
出産予定日になると波風が荒れてきたので、豊玉姫がヤヒロウガツチに乗って海原を滑るように帰ってきました。
⇒ヤヒロウガツチは竜の乗り物で、現在の宇賀神と同じ。詳しくは、こちら。
この時、お腹がとても痛くなってきたので、建築中の産屋の女柱もまだ葺き終わっていないのに待つことができず、産屋にお入りになりました。
そのまさに生まれようとする時、ヒコホホデミにこう申し上げました。
「私が子供を生んでいる最中に私のことを見ないでください!」
するとヒコホホデミは、これは怪しいと思って覗き見たところ、
豊玉姫のお姿は・・・・
◆頭のてっぺんには、角のようなものがあり
◆背ビレには、大きなウロコがたくさん生えて
◆大きな口からむき出した白い歯が並び
◆黒髪は乱れて、無数に垂れ
◆足にもウロコが並び
◆眉は太く、目を隠しており
◆しかも乱れて恐ろし気な様子でした
ヒコホホデミは、これを見たとたんに驚いて、気持ちが動転していると、
豊玉姫も早くから気づいており、とても恥ずかしく思って、産ぶ籠の神たちにこう告げました。
「私の産屋はまだ葺き終わっていないので明るい。だから怪しい姿をヒコホホデミに見られました。さぞかし愛情も尽きたことでしょう。」と恥じて泣きぬれ、後悔で顔も赤くなってしまったのは、誠に哀れでした。
「ここは暗闇となれ!」と叫んだので、この海辺は砂も大石も小石もことごとく黒くなってしまいました。だからこの場所を「黒の小浜」といいます。
⇒現在の「黒ケ浜」
ついに豊玉姫は、お腹がしきりに痛くなり、玉のような赤ちゃんを産みました。
そこで、産ぶ籠の神たちは、ホノリ岳(現在の鶴見岳)に鎮座する、ホノオノオとホノオノメ(別名をカグツチ)に祈って、ご託宣を受け、温泉水を取ってきてたぎらかせて、赤ちゃんを洗った場所を「ニユ」といいます。
⇒臼杵城はかつては「丹生島」という島だった。「ニユ」とはここのことか?ちなみに、その近くには「産島」という小島もあり、ここからは乳の出が良くなるという石が産出していた。
豊玉姫が恥ずかしがって「逃げ帰りたい」とお隠れになった所を「クリサキ(現在の国東)」といい、
産ぶ籠の神たちが姫君を説得した場所を「姫島」という。
ヒコホホデミがお妃を心配して恋こがれた場所を「オハナ(現在の佐賀関の小鼻)」といい、
赤ちゃんの産着を奉納した場所を「エナクマ(現在の荏隈)」といいます。
さらに、産ぶ籠の神たちは、豊玉姫が「海津宮に逃げ帰りたい」というのを、直ちに止めて、いろいろと説得して、
◆耳のてっぺんにふかし綿を被せて(現在の「角隠し」の起源)
◆井戸水で歯を染めてお歯黒にし(「お歯黒」は既婚者のしるし)
◆眉を剃って、墨で眉を描き(つまり花嫁化粧の起源)
◆背びれのうえから(それを隠すため)、着物を幾重にも重ねて打ち掛けました(現在の「打掛け」の起源)
ヒコホホデミは新しい宮殿をお建てになり、めでたく仲直りしましたので、この場所を「直入(なおいり、竹田地方の古い呼び名)」といいます。
⇒竹田市に伝わる伝統工芸の「姫だるま」は、その背中にウロコのような模様が描かれることから、豊玉姫をモデルにしたものではないかと思われるが、製造元の後藤家はこの説を否定している。
ある日、ヒコホホデミは豊玉姫にこう質問します。
「今度生まれた赤ん坊の名前は、何にしたらよいだろうか?」
豊玉姫が、こう答えます。
「私からは申し上げられません。あなた様が名付けてください。」
そこで、ヒコホホデミが自分の名前をそのまま授けようとすると、
「天邇岐志国邇岐志天津日高日子波限建鵜葺草葺不合の命と、名付けませ」と、豊玉姫が申し上げました。
⇒原文では、「アメニギシ クニニギシ アマツヒタカヒコ ナギサタケ ウガヤフキアゑズノミコト」であり、以降74代まで続いた子孫の全員がウガヤフキアエスの命を名乗る。
【出典】ウエツフミ宗像本 第15綴第3章より
【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=15&sno=3
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