山王神が語った壮大な仏教渡来説話『内山山王宮縁起』

西暦319年、仁徳天皇の時代に大分県豊後大野市三重町にある内山という小山に山王神が降臨します。

『内山山王宮縁起』は、このとき山王神自身が語った言葉を正確に書き記したものです。

 

そこには、天竺で発祥した古代仏教の本質、悪い神様との戦い、それが日本に渡来した経緯、そして真名野長者の使命までもが詳しく語られています。

まだ日本には仏教が伝わっていなかったとされる古墳時代に、一体誰がこの様な壮大な物語を書いたのでしょうか?

そして、それから約1700年後の現在に至るまで、この不思議な物語は、原文そのままで脈々と伝えられてきたのです。

 

それは、徳川家康を支えた天海僧正にまでも大きな影響を及ぼし、赤坂日枝神社や日光東照宮を造営する根本思想となっています。

おおよそ仏教に携わり、それを志そうとする者は、この古い古い言い伝えを、一度は読んでおくべきではないでしょうか?

漢文で書かれた巻物として伝わる原文を、ここに私が現代語訳しました。

 


『内山山王宮縁起』全文現代語訳

猿の群れが田畑を荒らす

そもそも当社の山王大権現と申しますのは、

人皇第17代・仁徳天皇の御代、巳卯7年(西暦319年)秋7月、数千匹の猿の群れがやってきて、ことごとく五穀を食い荒らしてしまいました。

そのとき村人たちは、これは一大事と、一斉に集合して狩りを行うことを決め、数百人が弓矢を揃えて、これを射ましたが、ついに一匹も命中しませんでした。

 

既に夕日が落ちる頃、猿たちは残らず当時の山王ガ嶽(現在の内山)に逃げ帰りました。

村人もこの山に登って探し歩くと、高さが十丈ばかりの楠の大木がありましたが、その足元に大きな切り株があり、その上に白髪の老人が座っていました。

その容貌には深い趣があり、藤の衣を着て、手には大桃を一個持っていました。

 

内山に降臨した山王神が語りはじめる

村人は不思議に思い、「何者じゃ?」と尋ねると、老翁はこう答えました。

「我は、太古の昔からこの山を行き来した猿である。

一千年にして山童の姿となり言葉をしゃべれるようになった。

二千年にして神通力を身に付けることができた。

三千年に至っては、六通(6つの神通力)を得て、飛行自在の身となった。

今は、西天竺の黒鹿山に住んでおる。

この三界(欲界・色界・無色界の三つの世界)のうちでは、神通力を自由自在に使えるが、いまだに畜生界を脱することが出来ていない。

とはいえ、我は南天竺にて翁の姿となって仏の教えを聴聞したので、その功徳によって、今は山王神と呼ばれている。」

 

すると村人たちは老翁を責めて、

「そのようなお方が、なぜ五穀を荒らされたのか?」

老翁は笑いながら、

「ならば教えよう。今年よりこの村では七年間不作が続く。これを根壊(コンカイ)と呼ぶ。悪い虫たちが発生して五穀は一粒も実らない。すべてことごとく消滅して、牛馬はすべて死んでしまうであろう。これを心配して、我は猿の群れを出現させ、万民にこれを告げ知らしめようとしたのじゃ。

これから先は、五穀を一粒も無駄にしてはならんぞ。」

⇒根壊(コンカイ)とは、「エネルギーの根源が破壊されて消失すること」の意味か?

 

真名野長者の誕生を予言

「さらに、今から150年経ったのち、この土地に一人の長者が誕生するであろう。

今は百済国の竹林山のふもとで【柴守長者】として生まれ、七珍万宝に満ち溢れて幸せに暮らしている。

しかしながら、殺生を好んで楽しみとしているので、その報いにより、これまでの百済での果報(ご褒美)は尽きて、追ってこの土地に誕生するであろう。

この者は三国(インド・中国・日本)に生まれて、(どこでも)快楽を望んだからである。

その過去の因縁を、これから私が語って聞かせよう。」

 

・・・と、老翁に姿を変えた山王神が、不思議な物語を語りはじめます。

 

その昔、天竺での出来事

そもそもの事のはじまりは、西天竺の魯舎国という国に【旃陀羅(センダラ)王】という悪い王様が居た。

 

その一人娘に【皐諦(コウテイ)夫人】という名前の、五つの天竺の国のなかでも比類なき美人があったが、因縁の障りがあってか、難病を患って苦しんでいた。

【旃陀羅王】をはじめ諸侯大名にいたるまで、この難病をどうやって治療すべきかとああだこうだと議論し合った。

 

そのとき、【伯婆羅門】という賢い大臣が現れて、こう上奏した。

「黒鹿山のふもとに【宿陀部仙人】という有名な名医がいます。」

すると【旃陀羅王】は大いに喜んで、「急いでここに呼び寄せよ」と命令した。

 

その名医が参内して、姫君の病気を診察すると、

「この病は難病であり、簡単に治るようなものではございません。とはいえ、白猿の生肝を取って服用すれば効果がありましょう。」と、申し上げた。

王様がこれを聞いていると、

「その白猿は、黒鹿山から国中を飛び廻っています。この山で狩りをして捕まえるべきでしょう。」

 

・・・あとから、この白猿こそ山王神自身であることが分かる。

 

急いで家来に通達して兵士を集めさせたところ、その数は百万騎を越えた。

とはいえ、黒鹿山はとても有名な険しい山あり、この軍勢ではとても不可能だった。

 

北国の羅刹王に応援を依頼する

北天竺の【羅刹(ラセツ)王】には、数万騎の家来が居たので、この王に頼むしかないと、【見神王婆羅門】を使いに立てて、ことの経緯を説明させた。

「この度、私の王様の一人娘が、難病で苦しんでいましたが、医師が言うには、これは白猿の生肝を取って服用すればすぐに効果が出るそうで、黒鹿山で狩りをしてこれを生け捕ろうと思うのですが、どうか手伝っていただけませんでしょうか?」と、謹んで申し上げた。

 

【羅刹王】はこれを聞くと、「たやすいことだ」と家来を集めた。

そのなかに怪しい顔立ちをした外国人の大将も500人いたが、その神通力を持った外国人も連れて、総勢百万騎以上で黒鹿山に馳せ参じた。

 

 

いよいよ白猿生け捕り作戦開始

お狩場では、総大将として【羅刹王】が一番先頭に立ち、総勢にこう命令した。

「ここ黒鹿山には四方に難所がある。三方は峯に囲まれている。山の高さは3,600里、横回りは8,740里。

五合目より上には黒雲が厚く覆いかかって、峰々には「八田鬼」という鬼神の住みかがある。

南には万丈嶽、獅子カ岩屋のふもとには数多くの大河があるので、そこから登るのは難しい。」

 

【旃陀羅王】と【羅刹王】の両勢力は、一緒に心を合わせて、二百万騎以上の英雄を従えて岩屋を壊し、大石を動かし、枯れ木を引き抜いて投げ捨てたので、竜が叫ぶような音がとどろき、まるで天地も壊れるようだった。

 

その時、急にあたり一面に霧がかかり、闇夜のようになって、土砂降りの雨が降ってきた。

さすがに無敵の【旃陀羅王】も、恐れおののいて立ちすくんだ。

 

すると、【羅刹王】の家来たちが口々に、

「お前たちの術はこの程度か。オレタチの神通力を少しだけ見せてやろう」とあざけり笑った。

500人の外国人がみんな天に向かって、「乱々火天」と口々に呪文を唱え、全員「千火天の印」を結ぶと、あら不思議、雨はたちまち猛火に変わり、火の雨や火の風があちこちより巻き上がって空は一面火の海と変わった。

火や風が猛烈に吹き始め、さすがの高山・黒鹿山も、あたり一面が煙に包まれて燃え始めた。

 

五天竺の人々は、みな驚いて騒ぎはじめた。

命のある動物どもは、みんな一斉に南方の万丈嶽のふもとの大河に逃がれてきた。

あるいは、岩嶽の深い谷間に落ち込み、あるいは焼死する者もあり、その数は幾千万ともいわれ、正確な数も分からなかった。

 

ついに白猿の生け捕りに成功

その時、【羅刹王】の家来である

【秘神外道】、【飛雲外道】、【水天外道】、【火天外道】の四人が、ものすごく深い谷底に下りてみると、胴がひとつなのに頭が三つで六本の手を持つ白猿が、その身長は一丈ばかり、大きな象に乗って逃げたのを、【秘神外道】が追いかけて生け捕りにし、銅の網を七重に巻いて、【旃陀羅王】の御前に引き立てて来た。

 

このとき、500人の外国人と二百万人の兵士が、我も我もと押し寄せたので、矢に当たったりホコで突かれたりして、何人もが死傷した。

あるいは河川で溺れ、火に焼かれて、400里四方の海域にイカダのように重なって死んだ者もある。

その白猿のほかにも500匹ほどの他の動物を生け捕りにして馳せ参じたので、数え上げたらきりが無かった。

 

【旃陀羅王】は【羅刹王】にお礼を述べて、それぞれの本国に帰った。

 

生け捕られた白猿が反撃

その後、【旃陀羅王】は医者の【宿陀部仙人】を招いて、三頭六臂の猿王の生肝を取ろうとした。

仙人がこれを了承し、白猿に立ち向かうと、三頭六臂の猿は、銅の網に縛られながらも、伸び上がり、眼を開いて、キバを噛み、睨み付けたその怒りの眼は、火炎のように燃え、その鳴き声は雷のように轟き渡った。

 

仙人は、これに驚愕して顔中の穴という穴から出血して立ったまま死んだ。

 

その時、【旃陀羅王】はこれを見て大いに逆鱗に触れ、

「オノレは畜生のくせに仙人を殺したことは甚だしくケシカラン。私が今、お前を殺害して、その仇を討つ。」と、

自慢の「幔蓋飛竜の鉾」を取り出し、追いかけて突き殺そうとすると、奥から娘の【皐諦夫人】が走り出して来て、父親である大王の鉾の柄に取りついて、

「しばらくお待ちくださいませ!」

「そもそも、世に生命を受けた人間は言うに及ばず、鳥やケモノにいたるまで、命こそは宝物です。私の難病を治療するために、いろんな生き物を殺傷し、あるいはこれを生け捕りにして苦しみを味わわせるという、他人の命を借りて自分の命をつなぐことは大逆罪です。自他一如、つまり自分と他人は一心同体なのです。」と、涙を流していると、

 

外国人と白猿の正体

どこからともなく、4人の外国人がやって来て、大声でこう叫んだ。

「この度、汝が大悪不道の罪を犯したことは、梵天にさえ聞こえておる。

お前は知っているのか?

黒鹿山は“諸天が擁護する峯”であり、この山には四神の守り神がいる。

即ち【正明神】、【惚養神】、【霊幾神】、【碆磨王神】である。

この四王子を【山神】と呼ぶ。

万木千草をご神体として国土を守護している。

これを焼き払い、不浄で垢で穢れた身のままで生き物を殺傷し、山を汚した。

大逆罪であり免れることは出来ない。」

 

すると、【旃陀羅王】は大いに逆鱗に触れ、これを阻止するよう家来に命じると、護衛の兵隊が追いかけまわして、鉾の刃でこの外国人たちを刺そうとするまさにその時、

外国人はたちまち

【多門】【持国】【増長】【廣目】の四天王のお姿に変ずると、

三頭六臂の白猿も、たちまち大威徳明王のお姿となり、

 

今度は、五頭十臂に姿を変え、その眼は日月のようにして、胴の網を蹴破って飛び出し、

【旃陀羅王】をつかんで庭に投げ出し、大声で宣告するには

「汝の大逆罪は梵天までもご存知である。

我は天帝の勅命により、わざと白猿の姿になってお前の罪を誅する」と、

“降魔の利劔”で突き殺そうとするまさにその時、

 

娘の【皐諦夫人】が走り出して来て、

「お慈悲でございます。どうか父の命をお助けください。私が過去の宿業により難病を患いましたので、父君がこれを不憫に思って、このような悪行を行いましたのは、みんな私のせいでございますので、父の命を助けていただければ、私の命を差し上げます。」と、号泣が止まなかった。

 

明王四天は、これを憐れみ歓喜して、異口同音に「胎金綱の印」を結び、

「天清浄地清浄、六根清浄、無量寿覚、般若波羅蜜」と唱えて、

「莫障随力、キリーク、皐諦夫人、善哉善哉」とお祓いすると、

あら不思議、お姫様の体から光明が出始めて、千手観音のお姿が見えた。

 

今度は父親が病気に

この五王天が、「幔蓋飛竜の鉾」を取って虚空に昇天すると、すぐに娘の難病は完治したが、逆に父の【旃陀羅王】の全身に悪い瘡が生じて、大変に痛がって苦しんだので、娘はこれを悲しんで、

「なにとぞ父大王の病苦を平癒してください」と天に祈り、地にひれ伏して嘆いていると、家臣の者が謹んで申し上げた。

「西天竺に【耆老杜】という名医が居ります。」

 

【耆老杜】が言うには、「牛頭旃檀という香木を十両ほど油に溶かして全身に塗れば、病はたちまちに完治することでしょう。」

「牛頭旃檀の十両は、黄金十万両の値が付きますので、入手するのは大変難しいでしょう。」と言う。

 

そこで、多くの長者に尋ねてみたが、なかなか力になってくれる人は現れなかった。

その時、【伯婆羅門】(先に父君にも医者を紹介した人物)という大臣が現れてこう申し上げた。

 

「たくさんいる長者の中でも、舎衛国の【大満長者】こそ、裕かさではトップクラスです。ぜひ訪ねてみてはいかがでしょうか?」という。

 

大満長者に面会して薬を入手

娘の【皐諦(コウテイ)夫人】は、自ら【大満長者】の自宅まで赴き、門の外に車を止めると、【大満長者】が出迎えて、夫人を黄金の床に招き入れ、長者夫妻は瑠璃の床に座って、謹んでこう申し上げた。

「おおそれながら姫君はなぜ御自らご足労されたのでしょうか?」

夫人はつぶさに、牛頭旃檀を十両入手しなければならない経緯を説明した。

 

長者はこれを聞くと、すぐに多くの宝蔵を開いて夫人に見せたが、そこは七宝で満ち溢れていた。

しかも、その中には牛頭旃檀も数えきれないほどあった。

 

夫人はわずか二十両を残して、黄金十万両を長者に渡すと、長者は謹んで

「このわずかなお金ではとても足りません。しかしながら、父大王は黒鹿山で二十万匹以上の動物を生け捕りにされましたでしょう。それを私に下さい。」という。

夫人はこれを聞いて

「それはたやすいことです。」と、宮中に帰ってから生け捕りにしておいた動物を残らず長者に引き渡した。

長者は大いに喜んで、家来に命じて、この動物をすべて黒鹿山に逃がしてやった。

 

その後、魯舎国では【耆老杜】という医者を呼んで、牛頭旃檀を油に溶いて父大王の悪瘡に塗ると、たちまち悪瘡は完治した。

【皐諦夫人】をはじめ、諸侯や諸大名までもが大喜びした。

 

夫人と長者は不思議なご縁により来世で結ばれる

その後、夫人は天に向かって願をかけて、こう言った。

「この度は、父大王が私の難病を不憫に思って大殺生を行いました。その罪状は大問題です。そこでその罪を消し去るために仏像を造ってこれを供養しようと思います」と、誓いを立てた。

夫人はもともと本物の観音菩薩の化身だったので、帝釈天がその志に感心して、「毘首竭磨天」をお授けになった。

すなわちそれは、赤栴檀の木で、千手観音尊像を、御長さ三尺五寸に刻んで、

また崑崙山の瑠璃石を使って、薬師の御尊顔を、一尺二寸に刻んで、

黒鹿山の万丈嶽の獅子岩屋に安置して、

その後、一千人の僧と羅漢を集めて、これを供養させた。

 

【皐諦夫人】は19歳にして、お亡くなりになる。

 

【大満長者】は、これを聞いて駆けつけると、この姫君は観音様の化身だと思い、

その後、黄金で千手観音像を、御長さ一尺八寸(約55cm)に、一千体を鋳造して、

五天竺の百王の国に安置した。

⇒のちに真名野長者に生まれ変わり、一尺八寸の薬師如来を一千体、有智山蓮城寺に奉納するが、これは娘の般若姫の病気治癒を祈願したものであると伝わる(冒頭の写真)。

 

このような宿世因縁によって、(のちに【大満長者】は)百済国の竹林山ふもとに【柴守長者】として生まれ変わり、

【皐諦夫人】の過去の善縁につながれて、二人は夫婦になった。

 

山王神の最後の言葉

「このような因縁の徳があるので、私(山王神)は、これを詳しく木簡に記しておくぞ。

この後、汝ら疑うことなかれ。

我はまた、長くこの土地の守護神となるであろう。」と言い残すと、

たちまちその身長一丈ばかりに変身して、

眼は日月のような、

三頭六臂の猿に至現して、

クスノキに飛び上がったかのように見えたが、

たちまち樹上には紫雲が生じて、

虚空に消え失せてしまった。

 

その時、村人が木簡を手に取って見てみると、その事が明らかに記されていた。

だからこれを「神宝」にして、神社をこの場所に造営し、

「五穀牛馬守護神 三王大権現」と尊敬崇拝して、この場所(内山)に安置した。

 

これが即ち、わが国に山王が至現したことの最初である。

 


登場人物の整理と解説

どうでしたか?あまりにも複雑なストーリーなので、何が起こったのか理解できない方も多いと思いますので、もう一度登場人物の関係を整理してみます。

 

◆西天竺の魯舎国という国の【旃陀羅(センダラ)王】

病気の娘を救うため、黒鹿山に住む白猿の生肝を得ようと、黒鹿山を燃やし、動物を生け捕りにします。

つまり、ここでは極悪非道の大悪人として描かれています。

もしも、【旃陀羅王】が、実在したチャンダーラ人の王様のことだとすると、彼らは犬の肉を食べていたため被差別民にされたという歴史があり、ここに描かれた黒鹿山での動物の殺傷とは、食べるために狩りを行っていたという実話だったのかもしれません。

⇒旃陀羅(チャンダーラ)とは?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%83%E9%99%80%E7%BE%85

もし仮にこれが実話だとすると、この物語を書いたのは、その辺の事情に詳しかったインド人、または日本人であればかなり博学な人ということになります。

 

◆北天竺の【羅刹(ラセツ)王】

この【旃陀羅王】の要請を受けて、実際に「殺傷」という犯罪行為を実行したのは、【羅刹(ラセツ)王】です。

羅刹は仏教の世界では有名な悪神で、ヒンドゥー教の鬼神ラークシャサが仏教に取り入れられたものとされており、“破壊と滅亡を司る神”であり、また地獄の使者であるともいわれています。

⇒羅刹王とは?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%85%E5%88%B9%E5%A4%A9

つまり、【旃陀羅王】は、自己満足を追求するあまり、悪神ラセツに魂を売り渡してしまった“悪魔崇拝者”とみることもできます。

 

◆その娘こと【皐諦夫人】

病気の身でありながら、常に父王をかばい、動物をかばって、殺生禁止の戒律を自分を犠牲にしながらも貫こうとします。

さらに、父君の大罪を許してもらうために仏像を造って奉納します。

その気高い姿勢が、観音様の生まれ変わりであると尊敬され、19歳の若さで早逝しながらも、後生では、柴守長者の夫人として生まれ変わるのです。

 

◆大満長者⇒柴守長者⇒真名野長者

天竺の舎衛国に住んでいた大満長者は、もともとは、上記の2人の王様とは赤の他人でしたが、娘に頼まれて妙薬を売ったこと、さらに生け捕りにされた動物を逃がしてやったことが縁で、後生では柴守長者として生まれ変わり、【皐諦夫人】の生まれ変わりと結ばれて夫婦になります。

 

ところで、この柴守長者も「百済国では殺生を好んで楽しみとしていたので、罰としてその果報も尽きて、今度は真名野長者として大分県三重町の玉田の里に生まれ変わる」と、山王神が冒頭で言っています。

つまり、この長者も三カ国・三世代に渡って修行を続けていたということであり、その過程で、山王神の家来であった黒鹿山の動物を逃がしてやったことが、功徳として山王神に認められたことになります。(放生会の起源?)

 

さらに、三重町に伝わる『真名野長者伝説』のなかでは、物部守屋が大分に攻めてきたとき、山王神が出現して「我は真名野長者夫妻の守り神である」と言っています。

つまり、上記の長者の功徳により、山王神が守護霊となったのであり、だからこそ長者も熱心に山王神を信仰したのです。

なお、この一族からは聖徳太子も誕生しているので、これこそ蘇我氏のルーツではないかというのが私の主張です。

 

◆山王神

このストーリーから、山王神とはもともと黒鹿山に住んでいた白猿であったことが分かります。

その猿が三千年間も修行を続け、ついには仏として成仏したと自分の過去を語っています。

さらに、この仏の正体こそ、【大威徳明王】であることが明かされます。

⇒大威徳明王とは? https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A8%81%E5%BE%B3%E6%98%8E%E7%8E%8B

 

天竺では、白猿の姿で【旃陀羅(センダラ)王】と【羅刹王】から命を狙われており、その王に天罰を下すため、王を病気にしますが、娘の功徳により、この王も救われたのでした。

 

どうやら、この山王神の采配によりすべてのストーリーが進行しているようであり、その意味で、日本に仏教を伝えるために、この物語を書き残し、真名野長者こと蘇我稲目をわが国に呼び寄せたともいえるのではないでしょうか?

つまり、この物語を詳細に読み込めば、仏教の本質が分かる仕組みになっているということです。

 

さらに、その真名野長者が大金持ちであったが故に、わが国に仏像・経典・僧侶が続々と渡来して、大分県が仏教の一大拠点となったのです。

つまり、すべては山王神の計画通りに運んだということでしょうか?

 

ちなみに、三重町内山に祀られた山王神のご神体は「見ザル、言ワザル、聞カザル」であり、どうやら「三頭六臂(頭が3つで腕が6本)」の白猿が、この三体の猿として伝わっているようなのですが、徳川家康の側近だった天海僧正もこのことを理解して「赤坂日枝神社(山王神を祀る)」や「日光東照宮」を建設したのでしょう。

 

さらに、「庚申様とは山王様のことを言う」と長者伝説に書かれており、全国各地にある庚申塚は、山王信仰の名残であったことも分かってきました。

 

最後に、この貴重なストーリーを約1700年にもわたって語り伝えてきた三重町在住の名も無き市民に感謝しつつ、この一文の結びとします。