『日向国風土記』は書き換えられた?
先日、お客様を案内して高千穂町の「国見ヶ丘」に行ってきました。
有名な雲海を見に行ったのですが、なんと!もっと不思議な光景に遭遇してしまいました。
それは、朝8時頃のこと。
ちょうど東から登り始めた朝日に向かって、ふと後ろを振り返ると、そこに真ん丸い月が出ていたのです。
「なーんだ、そんなこと?」と思われるかもしれませんが、真ん中に立つ私が「天照大神」と「月読命」に挟まれた状態で、すべてが一直線に並ぶという超常現象。
絵にするとこんな感じです。
さらに、帰ってから調べてみると、この日(2019/12/15)は新月にあたり、本来月は見えないはずなのですが、どういう訳か満月のような明るい状態、というよりは確実に満月の状態で、私に微笑みかけていたのです。
ちょっと伺いますが、「あなた自身の影が月面に写ったことがある」という人は、手を挙げてみてください。
「きっと、これもまた何かのお導きに違いない」と思っていた矢先、私の眼に飛び込んできたのが、この石像でした。
それは、「国見ヶ丘」の頂上と思われる小高い丘の上にありました。
真ん中に立っている鉾を持った人物は、遠目からでもすぐに「ニニギの命」だと分かりました。
でも、その左右にひれ伏している2人の人物は一体誰?
とても、とても気になったので、階段を一気に駆け登ってみると、そこに碑文がありました。
それが、有名な『日向国風土記』だったのです。
短い記述なので、全文を掲載します。
日向国風土記逸文
日向の風土記に曰はく、
臼杵の郡の内、知鋪(ちほ)の郷、
天津彦々火瓊々杵尊、天の磐座を離れ、
天の八重雲を俳(おしわ)けて、
稜威の道別きに道別きて、
日向の高千穂の二上の峯に天降りましき
時に、天暗冥(そらくら)く夜晝別かず
人道を失い、物の色別き難かりき。
ここに土蜘蛛あり、名を大鉗(おおくは)・小鉗(おくは)と曰う
二人ありて、奏言しけらく
皇孫(すめみま)の尊、尊の御手を以ちて
稲千穂を抜きて籾となし、四方に投げ散らしたまはば
必ず開晴りなむ』とまおしき。
さてさて、何が書いてあるのかというと、
「ニニギの命が天孫降臨した時、まだ空は暗く昼夜の区別も無かったので、地元民のオオクワ・オグワの2人が奏言して、」
「ニニギの命が自らの手で千本の稲を引き抜いて、モミにして、四方にまいたらきっと明るくなるでしょう」と言っているようです。
ここでは省略されていますが、本当にそうすると、空が明るくなったと結ばれています。
問題は、この大鉗(おおくは)・小鉗(おくは)なる人物、『日本書紀』・『古事記』にも一切出て来ませんし、そもそも『日向国風土記』は、一体何を伝えようとしているのでしょうか?
しかもよく見ると、石碑に彫られた文字のうち「大■小■」の部分が削り取られており、ほとんど判別できません。
もともとこの碑文では、【金】偏に、【稲】の右側の旁(つくり)を組み合わせて、これを【クワ】と読ませていたようなのです。
なぜこんな難しい漢字(実在するかどうかも分からなし、絶対に覚えられない)を使っているのでしょうか?
そもそも、オオクワ・オグワとは一体誰なのか?
ずーっとこのことが頭から離れないのですが、ついに解決できないまま高千穂を去ることになりました。
事件は意外な展開へ
帰ってから、さっそく私のバイブルである『ウエツフミ』を紐解いてみました。
すると、やはりあるではないですか!
しかも、そこに書かれていた内容は、『日向国風土記』とは全く違っています。
それどころか、オオクワ・オグワのことを、「ニニギに滅ぼされた魔物である」としているのです。
大急ぎで、要約すると、こんな感じです。
◆8月8日から空が真っ暗になり、昼夜の区別もつかなくなった。
人民たちは道に迷い、色の識別もできないほどだった。
◆そこで、三柱の神(アメノコヤネ、フトダマ、オモイカネ)が樫の木で占うと、
「これは禍物(まがもの)の仕業である」と判明した。
◆8百本の稲を抜いて、穂を四方にまき散らしてお祓いしたので、空が明るく晴れ渡った。
だから高千穂という。
◆のちに、この禍物(まがもの)が見つかった。
◆大鉗(オオカム)・小鉗(オカム)という土蜘蛛(まつろわぬ者たち)が、渓谷の深い谷間に潜んでうごめきあっていた。
◆三柱の神は、これを見つけるとこう宣告した。
「皇孫の命のしろしめす国に、なぜこのような呪いをかけて恨むのか?」
と、これを縛り上げて、神やらいに追放した。
⇒出典『ウエツフミ』宗像本 第9綴 第8章
⇒原文 http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=9&sno=8
2つの矛盾する記述の意味するもの
いかがですか?
全く逆の矛盾する記述が出て来ましたよ。
「一体どちらが本物の記述なのか?」
私は、そこにはこだわらないことにします。
なぜなら、タイムマシンで弥生時代にトラベルでもしない限り、真相は証明できないからです。
問題は、そこではありません!
(1) 大鉗・小鉗のことを【反逆者】であるとして忌み嫌う勢力と
(2) 逆に【功労者】であるとして尊敬する勢力の
2つの勢力が存在しているということです。
ちょっとだけヒントを書いておきますが、どうやら『風土記』という古文書には、仁徳・応神・神功・景行天皇らの名前が多く登場するらしいのです。
【参考】https://syoki-kaimei.blog.ss-blog.jp/2014-02-26
ということは、(2)の勢力とは、ヤマト王権と大いに関係のある人たちだということです。
しかも、石像が立っているということは、現在は(2)の勢力が優勢であるという結論になります。
悪く考えれば「再び暗い闇が日本国を覆い隠している」ということになりませんか?
さてさて、寝ても覚めても大鉗・小鉗のことを考えていた私に、ついにツキヨミ命が夢の中に出てきます。
なにやら、「大鉗・小鉗を追い払え!」と言っているようなのです。
どうしましょう?
私は霊能力者でもないし、超人でもないので、何もできません。
今はただ、2つの矛盾する記述が存在することを、みなさんにお知らせするしかありません。
何か良いお考えをお持ちの方は、ぜひ教えて下さい!
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