太古のわが国には正確なカレンダーが存在した!
♪もういくつ寝るとお正月♪ですよねえ。
でも、一年のスタートが、なぜ【1月1日の午前0時】になったのでしょうか?
みなさんは、その理由をご存知ですか?
実は、この日この時には「天文学的なイベント」は何もありません。
つまり、天体観測を行っても1月1日は中途半端な日であり、むしろ【冬至】のほうが、万人受けしやすい客観的な尺度にふさわしい日なのです。
なぜ世界の人類は、こぞって1月1日を新しい年のスタートとしてお祝いしているのでしょうか?
「もともと【冬至】が一年のスタートだったのに、カレンダーの誤差により【1月1日】までズレてしまったから・・・・」
そうお考えのあなた、かなりいい線行ってますよ。
でも、よりによって真冬の一番寒い時期でなくても、例えば【夏至】や【春分】をスタートにしても良かったはずですよねえ。
お正月とニニギの命との意外な関係
『ウエツフミ』には毎回驚かされることばかりが書かれてあるのですが、
そのニニギの命のくだりを読んでみると、下記の事実が分かりました。
◆太古のわが国には正確な(おそらく当時世界で最も精度の高い)カレンダーが存在していた。
◆それが定められたのは、ニニギの命が高天原から地球上に降臨したからであり、この惑星のカレンダーがはじめて必要になったからである。
⇒もしあなたが火星に移住したら、火星のカレンダーが真っ先に欲しくなりませんか?
◆1月1日が一年のスタートとなったのは、この日に、ニニギの命が天孫降臨したからである。
まず、驚かされるのが、「太陽の運行周期と月の運行周期のズレをどう調整するのか?」という難問の解決方法です。
世界中のほとんどのカレンダーが、この命題を解決することができずに、毎年毎年日付と太陽の位置がズレてゆくという情けない状態となっています。
現在の「うるう年」が考案されたのも、その解決法のひとつですよねえ。
でも、ニニギの命のブレーンであったオモイカネ、アメノコヤネ、アメノフトダマの三柱の神は、あっと驚く方法で、これを解決してしまいました。
彼らが採用したのが、なんと「ファジー理論」だったのです。
つまり、月の運行を基本とし(太陰暦)、まず1カ月を30日と定めて(30日×12か月=360日が一年)、実際の一年の長さ365日+αとの誤差を調整するため、「両方が一致するまで待つ」という画期的な方法を採用したのです。
そのため、12月は30日で終わってしまい、つぎの1月1日が訪れるまでの数日間を【待機日】として、カレンダーに数え入れないこととしました。
理論整合性にこだわる西洋人からはとても受け入れられない解決法ですが、いかにも日本人らしい柔軟な発想で、この難問をみごとに解決しています。
その経緯が『ウエツフミ』には、詳細に書かれているのです。
ということはですよ、当時の天体観測技術はかなり精度の高いものであったということであり、これを担当する専門職がアメノコヤネの子孫たち(のちに中臣氏と呼ばれる一族)であり、天体を観測するために山の頂上などに設けられた観測所が現在の【磐座】であり、さらに精密な観測機器に関する記述まで残されているのです。
最も重要なことは、1月1日を毎年のスタートとした理由が「ニニギの命がこの日天孫降臨したから」という個人的な理由であったとすればですよ、世界中がこれに「右へならえ」しているのは、世界の文明がニニギの命によってもたらされたからだという結論になります。
ただし、そこまで断言してしまうと『竹内文書』の世界観になってしまいますので、ここは皆さん方のご判断にお任せします。
ちなみに、『ウエツフミ』の記述を現代語訳してみましたので、ぜひ参考にしてください。
ウエツフミに記されたカレンダーの起源
<筆者による意訳・現代語訳>
ニニギの命が天孫降臨するとすぐに、オモイカネ、アメノコヤネ、アメノフトダマの三柱の神が協議して、一年のルール、一月のルール、一日のルール、四季のルールの4つの決まりごと、つまり「カレンダー」を定めることとしました。
まず、ニニギの命が天孫降臨した年を【大御歳】(皇紀元年)と定めました。
そして、お伴の者たちが到着した月を【始めの月】(1月)と定め、
また、この日を【始めの日】(1日)と定めました。
ここから、12か月の各月の名称を決めてゆきました。
具体的には、
1月を【むつび月】※みんな無事に到着したことをむつびあったので。
2月を【けさり月】※きさらぎの語源
3月を【いやよ月】※やよいの語源
4月を【うべこ月】※うつきの語源
5月を【さなゑ月】※さつきの語源
6月を【みなつ月】※みなつきの語源
7月を【ふくみ月】※ふみつきの語源
8月を【はやれ月】※はつきの語源
9月を【なよな月】※ながつきの語源
10月を【かなめ月】※のちに出雲神話から「神無月」に変わる。
11月を【しふる月】※しもつきの語源
12月を【しはつ月】※しわすの語源
そして次に、一か月を30日間と定めました。
この30日間を【みつどり=三旬】に分けて、
始めの10日間を、【つまどび=月満日】とし、
※この間はツキヨミ命(=月影)が円いので。
中の10日間を、【つごもり=月籠り】とし、
※この間はだんだん月影が欠けてゆくので。
後の10日間を、【つきたて=月立て】としました。
※この間はだんだん月影が満ちてゆくので。
さらに、一年間を360日と定めましたが、
(どうしても太陽の運行と月の運行の間にズレが生じてうまく行きません)
そこで、12月と1月の間に、3~4日の間隔を空けて、1月1日とすることにしました。
⇒でもこの方法だと、毎月1日を満月とした基本法則がズレてゆくことに注目。つまり、これさえもベストな解決方法では無いということ。
⇒逆に、この誤差を逆算してゆくと、ニニギが降臨した年代が正確に分かることになり、五島プラネタリウムの金井三男氏の推測では、「この記述は紀元前8百年から同千年頃の間に成立した。」という結論になる。
さらに、四季を定めて名前を付けます。
1月から3月までを【木の芽張る】コノメハル=春の語源
4月から6月までを【国暑】クニアツ⇒夏ではなくアツだった?
7月から9月までを【種津熟き】タナツアキ=秋の語源
10月から12月までを【木根の殖ゆ】コネノフユ=冬の語源
⇒【出典】ウエツフミ 宗像本 第9綴 第2章
⇒【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=9&sno=2
日の出の方角と一日の長さとの関係に関する記述
また、ニニギの命が天孫降臨したその日は、太陽神である天照大神が、18ある御殿のうちの6番目の御殿から出て来られたので、この日を【むつび月】の【はじめの日】つまり【お正月】と定めました。
ちなみに、東西南北にはそれぞれ4柱の神様が配置されており、それぞれの神様は18の御殿を持っています。
⇒つまり当時、東西南北4方向×18宮=72方位(角度にするとちょうど5度)まで正確に観測出来ていたということになる。
さらに、天照大神が6番目の御殿から出て来られた日は(角度にすると75度~80度の間)、昼間は7時間半、夜間は10時間半となります。
⇒つまり、一日を18時間として計算していることが分かる。
これが、1月15日(中五か日)には、昼間は8時間、夜間は10時間となります。
さらに・・・・ということで、毎月1日と15日の昼夜の長さをすべて記述したうえで(省略)、
昼が7時間で、夜が11時間になったときをもって【大御年のつゐあゐ】つまり【冬至】と定めました。
⇒【出典】ウエツフミ 宗像本 第9綴 第4章
⇒【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=9&sno=4
さてさて、既にお気づきの方も多いと思いますが、『ウエツフミ』には【一週間=七曜日】という概念はありませんでした。
もともとこれは、古代ユダヤ教の「6日間働いたら1日休め」という【安息日の戒律】から来ていますが、イスラム教でも金曜日を安息日としていますので、もともとは中東全域で広く行われていた生活習慣のようなのです。
だとすると、もし仮にニニギの命が、古代ユダヤ人なのか、ウバイド人なのか、メソポタミヤ人なのか知りませんが、中東地域からやってきた人だったとしたら、6日間働いたら、1日休んでいたことでしょう。
逆に、ウエツフミの記述のなかには「7日8晩」という表現が目立ちます。
これは、「本当に何かを成し遂げようとするなら、そのくらい寝ないで努力する覚悟が必要だ」という意味で使われているのですが、こちらのほうがむしろ日本人的ではありませんか?
つまり、ニニギの命はやはり日本人そのものであり、そのルーツがもしあるとしたら、中東以外のどこかだということになります。
一日の時刻のルールに関する記述
<2020.1.4追加>
毎日の時刻については、昼間を三時(みとき)に分け、それを九刻(ここのしば)に分けて、さらに夜間も三時(みとき)を九刻(ここのしば)に分けました。
⇒つまり、一日とは6時(むとき)であり、一刻とは80分で、80分×18刻=24時間となる。
すなわち、一日の時刻の内訳は、下記のとおりとなります。
<昼間>
朝時(あさどき)
朝開き刻(あさひらきしば)・・・6:00~7:20
朝な刻(あさなしば) ・・・7:20~8:40
朝じ刻(あさじしば) ・・・8:40~10:00
昼時(ひるどき)
日前刻(ひさきしば) ・・・10:00~11:20
真昼刻(まひるしば) ・・・11:20~12:40
日後刻(ひじりしば) ・・・12:40~14:00
夕時(ゆうどき)
夕げ刻(ゆうげしば) ・・・14:00~15:20
夕な刻(ゆうなしば) ・・・15:20~16:40
夕暮れ刻(ゆうぐれしば) ・・・16:40~18:00
<夜間>
宵時(よいとき)
黄昏刻(たそかれしば) ・・・18:00~19:20
宵方刻(よべしば) ・・・19:20~20:40
小夜刻(さよしば) ・・・20:40~22:00
眞夜時(まよどき)
夜さ刻(よさしば) ・・・22:00~23:20
眞夜刻(まよしば) ・・・23:20~0:40
夜後刻(よしりしば) ・・・0:40~2:00
暁時(あかどき)
寝る刻(ぬるしば) ・・・2:00~3:20
目覚刻(ましめしば) ・・・3:20~4:40
東雲刻(しぬのめしば) ・・・4:40~6:00
⇒【出典】ウエツフミ 宗像本 第9綴 第5章
⇒【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=9&sno=5
貼付の画像は、『ウエツフミ』の記述をもとに、私が復元したものであり、
私は、この時計を【弥生時計】と名付けました。
さてさて、ここで大問題が発生します!
いったい、これと同じ時計が、世界中のどこかにあったのでしょうか?
通説では、ニニギの命は数千人のお伴を引き連れて、大陸あたりからやってきた渡来人であるとされています。
もしそうだとすると、その本国には同じような時計が伝わっているはずです。
ユダヤだか、エジプトだか、シュメールだか、ウバイドだか知りませんが、これと同じ時計があるなら、ぜひ見せて欲しいものです。
しかも、この時計を詳細に見ていると、その名前の付け方にいちいち納得してしまうのは、私だけでしょうか?
まるで、日本人としてのDNAが自然に反応してしまうようです。
例えば、明け方5時くらいになると、九州では東の雲が赤く染まり始めます。
だから【東雲刻】つまり【しぬのめしば】ということですよね。
また、休日などダラダラと寝過ごして10時ごろから出かける人も多いと思いますが、弥生時代でも、10時になると【昼時(ひるどき)】ということだったんですね。
さらに、当時は一日二食(朝餉と夕餉)だったので、14:00~15:20になると夕食(ゆうげ)を食べ始めたことが分かります。
だから【ゆうげしば】なのですね。
なぜなら日が暮れてからでは、暗くて炊事ができないからです。
現代人も、この時間になると空腹を感じるので【3時のおやつ】ということで代用していたんですね。
夕方6時ごろになると薄暗くなって、人の顔を判別ではなくなるので、現在でも黄昏時(たそがれどき)、つまり「誰ぞ彼は?」という意味で使ってますよねえ。
さらにさらに、深夜2時ごろにはほとんどの人が眠っているので【寝る刻(ぬるしば)】、つまり「草木も眠る丑三つ時」ということになります。
いやあ、先人たちの英知に脱帽して、それを現代まで伝えてくれた『ウエツフミ』に感謝感激です。
最後にもう一度強調しておきますが、いかにも日本人的なこの時計は、日本人にしか作れないでしょう!
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