この写真は、越智神社(長野県中野市越)にある神名石です。
そこには、豊国文字で【ミホススミノミコト】と彫られています。
Webで「豊国文字」を検索していたときに、偶然に発見したのが下記のサイトです。
http://izumo-studies.info/others/article/shinanomainichi_20170419_2
さっそく「御穂須々美命」を調べてみると、何だか謎の神様となっており、その名前は『出雲国風土記』にしか登場しない超マイナーな神様で、男か女かさえも分らないというのです。
九州の日向族が使っていたとされる「豊国文字」が、なぜこんな山深い場所から発見されているのでしょうか?
そもそも、ミホススミって、一体誰?
判明したミホススミの正体
こんなときは、私のバイブルである『ウエツフミ』に聞いてみるしかありません。
すると、やっぱり出て来ました。
『ウエツフミ』には、
(オオナムジの命が) 越の沼河比売の命に御婚(みあ)いたまいて、生ましめたまえる御 子の御名は、建御名方の命、またの御名は御穂須々美の命
と書かれているではないですか!
【原文1】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=6&sno=11
【原文2】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=7&sno=11
つまり、建御名方の別名がミホススミであり、その父は大国主、母は越の国のヌナカワヒメだというのです。
『出雲国風土記』では、越の国のことを【高志国】と表記してしまったので、どこのお姫様なのか分からなくなっていたのですね。
【参考】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E5%9B%BD
越の国から信州に移住した九州人
『ウエツフミ』には、もっとすごいことが書いてありました。
青幡佐久佐彦 (アオハタサクサヒコ、スサノオの子孫で、大国主の祖先) の時代に、筑紫の国は人が多く住んでおり、越の国には人口が少なかったので、筑紫の人民を越の国に植え替えた。
とあるのです。
【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=5&sno=18
さらに、信州から族長がやってきて「ウチには山狩人は多いが、海漁人は少ないので、交代しよう」ということになり、信州人が海で釣りをして釣れたのがサヨリ (長野の古名サヨリシヌから来ている) である。
というのです。
つまり、海人族の九州人が新潟県に移住して、さらにそこから長野県に入っていったということであり、その人たちが「豊国文字」を伝えた可能性が高いということになります。
そういえば、博多を本拠地とする海洋民族の阿曇氏が、長野県にも移住して「安曇野」の語源となったという説を聞いたことがありませんか?
【参考】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E6%B0%8F
もうひとつの証拠として、越の国には独特の神代文字が伝わっていました。
それが、「越文字」と呼ばれた文字です。(画像参照)
それを世に知らしめたのは『竹内文書』であり、竹内巨麿も越の国の出身でした。
問題は、この「越文字」と「豊国文字」がそっくりなのです。
つまり、九州人が「豊国文字」を上信越地方や北陸地方に伝えたのちに、ここで独自の進化を遂げて「越文字」が誕生したと考えられます。
【出典】http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gengogakuin/gengokenkyu/mojishico/kamiyomojico.htm
さらに私自身も、あるとき長野県出身の人にこう聞かれたことがあります。
「私のまわりには上春(うわはる)や下春(したはる)という名字が多いのですが、誰の子孫なのでしょうか?」
これには、さすがにびっくりしてしまいました。
それは天児屋命の子孫だからです。
念のため、藤原氏ではなく、大中臣氏の祖先であるアメノコヤネです。
『ウエツフミ』には「ナカトミノウワハル」とか「ナカトミノシタハル」といった名字が多く登場しており、みんな天皇家の右大臣や祭儀担当官などの要職についています。
もちろんウガヤフキアエズ王朝の時代に・・・
この人たちが長野県に移住して、今も生きているということでしょうか?
タケミナカタの複雑な出自
さて、お話しをタケミナカタに戻しましょう。
それでは、なぜ大国主は越の国までやってきて、その国の娘と結婚して、建御名方を産んだのでしょうか?
その答えも、『ウエツフミ』に書かれています。
もともと越の国と出雲の国は、大変仲が悪く、争いを繰り返していたという歴史があります。
そういえば、『飛騨の口碑』と呼ばれた謎の伝承にも、大国主の悪口が多く書かれていますよねえ。
⇒詳しくは、こちら。
つまり、飛騨高山と出雲の国とは、犬猿の仲だったことが伺えるのです。
『ウエツフミ』にも、大国主がスクナムジや事代主や建御名方などの一族郎党を引き連れて、越の国に侵攻したときの様子が、生々しく記録されています。
【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=7&sno=14
ただし、戦った相手が怪獣のような架空のキャラで描かれているのは、意図的な創作であり、犠牲になった人たちへの配慮だと思います。これは古代史全般に共通の“思いやり描写”でしょう。
ということは、この越の国に生まれたお姫様・沼河比売の命は、何らかの理由で「政略結婚」、もっとダイレクトに言えば、両国の和睦の交換条件つまり人質として、大国主のもとに嫁いでいる可能性が高いということになります。
【参考】https://www.city.itoigawa.lg.jp/3790.htm
ちなみに、沼河比売の「ヌナガワ」ですが、その昔、大分県臼杵市の臼杵川の上流にあった【渟川】と同じ名前です。
ここから、カムヌナガワミミ(第二代綏靖天皇)も生まれたとあり、もしかしたら沼河比売も九州から越の国に移住したひとりだったのかもしれません。
このようにして生まれた子供の建御名方からすればですよ、父の国と母の国が争っている訳ですから、複雑な心境にあったものと思われます。
だから、天照大御神らが建御雷(タケミカヅチ)を遣わして、大国主に統治権の返還を求めたとき、建御名方は行方不明となっていたのです。
おそらく、わざと・・・・。
つまり、母の出身地に隠れて、そこを本拠地にして日向族に対抗しようと考えていたのでしょうか?
あるいは、先にも述べてきたように建御名方自身が日向族出身の可能性があったとすると、つまり母親の沼河比売の命が九州からの移住者であったとするならば、建御雷の説得に素直に応じて、日向族ニニギ王朝の配下となることを受け入れたのかもしれません。
タミナカタのお告げ?
・・・・・と、ここまで書いたとき突然電話がかかってきて、私は友人と飲みに行くこととなりました。
その夜、泥酔して眠ってしまった私の夢の中に、建御名方が登場して眠れなくなります。
時計を見ると午前3時。
タケミナカタが何を言っていたのか、はっきりと覚えてないのですが、あえて再現してみるとこんな感じです。
ただし、これはあくまでも私が作り上げたフィクションなので悪しからず。
【タケミナカタ】
越の国の平定は、長いあいだ父・大国主の夢であった。
私も父に連れられて、何度参戦したことか。
ただし、私は複雑な気分だった。
なぜなら母の国の住人の血が多く流されたからである。
何年にもわたって、出雲国と越の国の両国から多くの犠牲者が出て、やっと和睦が整いはじめた、まさにそのときだった。
突然、日向族がやってきて越の土地を『明け渡せ!』というのだ。
そう簡単に渡してたまるか。
そこには父と私の血と涙が込められている。
私は迷った。本当に迷った。
このまま越の国に立て籠って、日向族と戦っても勝ち目はないだろう。
すでに出雲の母国は陥落し、父の大国主は投降した。
兄弟のコトシロヌシも入水自殺したと聞く。
つまり、出雲国の運命は、いま私の双肩にズッシリとのしかかっているのだ。
簡単に越の国を明け渡してしまえば、出雲の人たちは『裏切り者!』と私を責めるだろう。
だからといって、もうこれ以上、多くの血が流れるのを見たくはない。
私は、さんざんに考えたあげく、建御雷にこの国を明け渡すことにした。
ただし、私なりに出雲の人民に対しては責任を取るつもりだ・・・・
多分、こんな感じのことを言っていたと思います。
だから、『ウエツフミ』にも、建御名方の最期が明確に書かれていません。
ただ「諏訪湖に突き立てた鉾の先から、白い鷹になって飛び立った」とだけあります。
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