日向族はなぜ古墳を造らなかったのか?

庄内町の山頂に冠を置いて天昇った第69代の記述から

ある日、大分県由布市庄内町に住んでいる佐藤達矢君(私の高校の後輩)から

「庄内町には五瀬の命が冠を置いた山があるという伝承があるので、その場所を探しましょう!」

というお誘いがありました。

 

佐藤君にいろんな場所を案内してもらったのですが、残念ながらその場所は見つかりませんでした。

 

その後、何日も経ってから、何気なく『ウエツフミ』を読んでいると、とんでもない記述が出てきたのです。

 

それは、第69代・ウガヤフキアエズの命が亡くなった時の記述なのですが、

なんと、

「御宝山の西に磐宮を建てて、そこに籠ったが、150日後に、愛用の冠だけを残して天昇った!」

と書いてあるのです。

 

御宝山(みたからやま)は、大分市内の南側にある「霊山」のこと。

その西側とはまさに庄内町にあたるのです。(下記の地図参照)

「そうか!! 第69代の逸話が、2000年以上も地元で言い伝えられて、途中のどこかで五瀬命の伝承に変化したのか?」と、納得しました。

 

ということは、第69代・ウガヤフキアエズの命、幼名はカムタラシワケトヨスキの命は、庄内地方を本拠地としていた可能性が高いことになります。

 

そういえば、この地方は「庄内神楽」という伝統芸能が現在でも熱心に継承されている地域。

その「お神楽」とは、もともと「天皇が高天之原にお還りになったことを盛大に祝う」ための、日向族伝統の儀式だったのです。

 

さらにもっと重要なことが分かってきました。

 



ウエツフミの記述から

『ウエツフミ』によると、第69代・カムタラシワケトヨスキが亡くなった時の記述は、こうです。

(私が現代風に意訳)

⇒【原文】は、こちら

 

◆第69代はすでに年齢430歳、日本国内を統治して、神様から戴いた天命を全うしたので、お世継ぎの御子に「三種の神器」とともに、天上界の神の儀式や、国の政り事を授けて、大分の御宝山(霊山)の西山に「磐宮」を建てて、そこでこう宣言しました。

「私は、高天之原に昇って、祖先の神々に帰任報告をしなければならない。」

⇒弥生時代には、年齢が高いほど「偉い!」と信じられていたので、これは実年齢とは異なる。

⇒日向族の「三種の神器」とは、ヤタの鏡、アメノムラクモの剣、潮満玉と潮干玉。

 

◆そこで6月1日に天昇して、のちは、御宝山(霊山)の西の磐室に幸魂(さきたま)を降臨させて、以降、子孫たちの守り神としました。

⇒「幸魂」とは、私の解釈では未来の霊魂であり、ここに第69代の未来霊が守り神として降臨したことになる。

⇒その場所とは、庄内町の「白岳神社」のことと思われる。

https://rubese.net/gurucomi001/?id=597104

 

白岳神社の上宮にある磐宮
白岳神社の上宮にある磐宮

◆高千穂の大宮(=皇居、あとの記述から直入にあったことが分かる)の階段を、暁に冠を着けて盛装して、しづしづと前に進むのを、お伴の者たちが召し抱えながら、そのまま紫雲に迎えられて、大空に駆け昇って、高天之原にお環えりになりました。

 

◆のちに「150日(モモイソカビ)のとき」に、この山からお神楽の鼓や笛の音が一日中聞こえてきたので、弟の天炊戸開(アメカシキトビラキ)の命が、この磐宮のそばまで行ってみると、

⇒150日(モモイソカビ)とは、モガリ(殯)の期間で、この間は山の洞窟などに籠って、天に召されるのを待った。

⇒モガリとは? https://syukatsulabo.jp/funeral/article/9964

 

◆そこには、第69代が日常ご愛用していた冠だけが残っていましたので、「ああ昨日お迎えの神楽があったのだな」と、納得しました。

 

◆そこで、弟君は正式な葬儀のお神楽を7日8晩行って、第69代の高天之原への帰還を盛大にお祝いしました。

 

どうですか?

弥生時代の日向族の葬儀については、以前にも詳しく紹介していますので、こちらから。

 


日向族が古墳を造らなかった理由

さてさて、需要なポイントが分かりましたか?

そうです、第69代は冠だけを残して、遺体が消えて無くなっているという点です。

だから、遺体を安置するための「古墳」を造る必要が無かったのです。

 

そういえば、『先代旧事本紀』においても、神武天皇(ウエツフミでは第73代ウガヤフキアエズの命=ヒダカサヌ)以降の時代を『人皇』と呼んでいますよねえ。

 

つまり、神武天皇以前の天皇は神様であったのに、神武天皇からは「人間宣言」したということです。

人間が死ねば、その遺体を安置する場所が必要になるので、古墳を造る必要があるということであり、

逆に言えば、人間ではない天皇が亡くなった時には「高天之原」に還ってしまうので、遺体が残らないということになります。

 

これは、一体どういうことでしょうか?

 


この記述から分かったこと

以前、私は「古代天皇とは宇宙からやってきたExtraterrestrial(宇宙人)のことである」と発言して、俳優の森本レオさんからこっぴどく怒られたことがあります。

「あなたは、そういう発言をするから信ぴょう性が無くなるのだ!」と・・・・。

 

Extraterrestrialの略は、みなさんもご存知の「E.T.」ですよねえ。

映画「E.T.」のなかで、せっかく地球人の少年と仲良しになったE.T.も、仲間が迎えにやってくるので、地球を離れなければならないという悲しい結末に終わっています。

⇒映画「E.T.」とは、こちらから。

 

もし、弥生時代の天皇がE.T.だったとしたら?

逆に、崇神天皇以降の「しっかりと古墳を残している人たち」から、人皇として君臨することになったのだとしたら?

 

なぜ崇神天皇だけに特定できるかというと、この天皇、あろうことか天照大御神の大切な御像代(みかたしろ=神の降りる場所)である「ヤタの鏡」を宮中から追い出していますよねえ。

⇒その後、各地を転々として、現在の伊勢神宮に収まる。

 

つまり、自分は「天照大御神の子孫では無い」ことを自認しているということです。

だから、亡くなったのちも、いくら待っても神々は迎えに来ないので、大規模な古墳のようなものを造って、そこで「復活の日」まで待ち続けるしか無かったんでしょうね。

 

落合莞爾先生は、「古墳を造ったのはピラミッドを建造したエジプト人の流れをくむタカス族とアヤタチである」と発言しています。

つまり、崇神天皇(10)⇒景行天皇(12)⇒ヤマトタケル⇒神功皇后⇒武内宿祢⇒応神天皇(15)のあたりまでは、日本古来の神々の子孫ではなく、あちらからやってきた人類の子孫だと考えられます。

 

人間とは、権力欲と物欲と性欲の固まりですから、弥生時代の神様たちのような「聖人君主」的なパフォーマンスが出来ないとしても、致し方ないとしましょう。

でも、人を殺してはダメですよねえ。

さらに、重税を払わせたり、他人を奴隷としてこき使ったり、ここ2000年ほど、人間出身の君主たちは、あきれるほど未熟な過ちを犯し続けてくれました。

 

つまり、依然として人類は進化の過程にあるということです。

その先にある理想国家を教えてくれたのは、残念ながら人間ではなく、Extraterrestrialであった!

ということになりますが、「信じるかどうかはアナタ次第」ということにしておきましょう。

また、森本レオさんの叱る声が聞こえてきそうな気がしますので・・・・。