農耕民族日本人と牛馬との密接な関係
みなさん明けましておめでとうございます。
今年、2021年は「丑年」ですね。
このウシという生き物、実はアマテラスの命令で創造されていたのです。
すくなくとも『ウエツフミ』には、その経緯がしっかりと記録されています。
最近、ちまたでは
「古代日本には牛馬が居なかった。騎馬民族が大陸から持ち込んだものである!」
という珍説を多く耳にしますが、とんでもない誤解でした。
無理もありません。
それは古事記・日本書紀が、この“愛すべき農業パートナー”に関する古文書や伝承を、全く無視してしまったからなのです。
それでは、『ウエツフミ』には一体何が書かれていたのでしょうか?
アマテラスの命令による牛馬の創造
それは、アマテラスの命令を受けて、宇迦之御魂神(ウエツフミではウカノミタマ彦とウカノミタマ姫の夫婦神)が、その子供であるカツチヒラカミ彦とヨチヂヒラヲカ姫の夫婦神に創造させたものでした。
『ウエツフミ』にはこうあります。
アマテラスの命令とは?
「水田や畑地を耕作するときの助けとなるよう、力の強い生き物を創り出しなさい!
そしてそれを田畑に入れて飼いなさい!」
そこで、カツチヒラカミ彦とヨチヂヒラヲカ姫の夫婦神が、大空に向かって祝詞を唱えながら、左足を大きく開いて、苔むした原っぱの土を、最初はゆっくりと段々と強くかき混ぜてゆくと、細かい毛の生えたケモノが生まれました。
さらに、今度は右足を大きく開いて、苔むした粘土をやさしく、ゆっくりと和ませてゆくと、角のあるケモノが生まれました。
さっそく二柱の神々は、天上界に昇って、アマテラスに献上しました。
このとき「男の助けになるものがオスで、女の助けになるものがメスです」と、お祝いの言葉を添えました。
アマテラスは大いに祝福して、こうねぎらいます。
「これこそが人民の助けとなるケモノである。おまえたち、これに乗ってみよ!」
さっそく二柱の神々が、毛の短いほうのケモノに、男神は雄に、女神は雌に跨って走らせてみると、軽快に駆け巡りました。
するとアマテラスは喜んで、
「これは体の力が強く、走るのがうまい。」
だから、この生き物をウマといいます。
また、今度は角のあるケモノに乗ってみると、てくてくとのんびりと歩いたので、
アマテラスは、
「前のケモノと力は同じくらいだが、歩みがのろいのが難点だ(原文ではウシくこそあれ)。しかし、田畑の土を掘り起こすときにはマメに働いてくれるだろう。」
だから、この角のあるケモノを牛(ウシ)と名付け、またマメイとも言います。
このとき、アマテラスの御言霊を、宇迦之御魂の夫婦神が受け取ったので、カツチヒラカミ彦とヨチヂヒラヲカ姫の夫婦神が、ただちに越根の国(北陸地方)のシラカエという場所に天降って、この新動物たちの種を増産して、多く国々の隅々にまで配り届けました。
【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=3&sno=6
このように、牛と馬は主に農業耕作用に創造されたのであり、現在でいえば、トラクターや軽トラックにあたります。
ただし、それは決して食用にされることはありませんでした。
それは弥生人が肉食を穢れたものであるとして激しく嫌っていたからです。
⇒【過去記事】『古代弥生人気質』
牛馬の起源があいまいになったのも、無理はありません。
それは、『古事記』『日本書紀』が、天照大神とウカノミタマの業績そのものを省略してしまったからなのです。
ウカノミタマ(別名、保食神、豊受姫、豊岡姫、オオケツ姫、現在ではお稲荷様?)は、まさに天照大神と二人三脚で全国に農業を普及してゆきます。
だから、この二柱の神々が、伊勢神宮の内宮と外宮に仲良く並んで祀られているのです。
そのうえ、牛馬を創造したとされるカツチヒラカミ彦とヨチヂヒラヲカ姫に対する信仰まで廃れてしまったのは、一体なぜなのでしょうか?
それは、古墳時代の末期になってから、新たなる牛馬の守り神が登場したからです。
それが、山王様でした。
新たな牛馬の守り神・山王神の登場
以前、『山王神の正体?』と題する原稿を発表しました。
ここでは、「山王様とは3千年間生きた猿の化身であり、インド・中国・日本の三国を又にかけた仏教の権化である。」というところまで分かってきました。
⇒過去記事『山王神の正体?』
ところが、このことを伝える『内山山王宮縁起』(大分県豊後大野市三重町の蓮城寺のご由緒書)には、さらに続きがあったのです。
庚申様とは山王神のことをいう
それは五穀と牛馬を守護する神様である
短い一文ですが、これで全ての謎が解けてきました。
全国各地から発見されている「庚申塚」とは、山王信仰を形にしたものであり、このインド発祥の神様が新たな牛馬の守り神となります。
山王神、つまり庚申様と牛馬との深い関係については、山王神が猿の化身であったことから、「猿神信仰」としても伝わっています。
例えば、下記のサイトをご覧ください。
【参考】『牛馬の守護神 ━厩猿信仰━』
ここで、大問題が発生していることにお気づきでしょうか?
そう、山王神とはインド発祥の仏教に基づく仏様であり、天皇家の祖先であるアマテラスやウカノミタマとは、何のご縁もゆかりも無いのです。
そして、この仏様である山王神を最初に信仰したのが蘇我氏であり、それは比叡山信仰へと変化しながら平安時代末期まで大流行します。
それは、天皇家にとっては決して快いことではありませんでした。
天皇家と山王神を担ぐ比叡山との対立は、『平家物語』のなかにも詳細に記録されています。
その後の牛馬信仰の変遷
さてさて、このように山王信仰の中心であった「庚申塚」が、それを導入した蘇我氏が滅亡すると、新たな信仰対象に塗り替えられて行ったことは、説明するまでも無いと思います。
鎌倉時代以降、それは天照神道の代表神である「猿田彦信仰」と置き換えられました。
ちなみに、猿田彦を祀る石碑が「道祖神」であり、山王様を祀る石碑が「庚申塚」なのですが、これらは同一であると説明されるようになってきました。
さらに、中国起源の道教とも同化して、道祖神とは「三種類の虫」であるとの説明も登場してきます。
このような変遷を経て、日本古来の牛馬信仰は、再び完全に宙に浮いた形となってしまいました。
「牛馬は大陸から渡来したもの」であるという珍説の背景には、こういった複雑な歴史的経緯があったのです。
現在、日本各地で和牛を育てている農家や、畜産業に携わる人たちは、一体何の神様を信仰したらよいのでしょうか?
守護神が不在となってしまったわが国伝統の「和牛」の運命は、欧米諸国の外圧に屈して淘汰されてしまいかねません。
これはまさに、お国の一大事!
「丑年」にあたる今年2021年、日本人と牛馬との密接な関係について、あらためて考え直してみる良い機会なのかもしれません。
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