鎌倉時代の書物から判明した衝撃の事実!
「どうも古事記の記述は怪しい! なんとなく信ぴょう性に欠ける!」
以前から私はそう感じてきたのですが、今回、改ざんされているという決定的な証拠が発見されましたので、みなさんにもお知らせします。
ある僧侶の手記に書かれていたこと
それは、鎌倉時代に書かれた朝倉入道信舜という僧侶の手記から出て来ました。
この僧侶、ただの坊主ではなく、『ウエツフミ』を編纂した大友能直公の愛弟子にあたり、7人の編集委員のメンバーでもあります。
つまり、古代史に関する“プロ中のプロである”ということ。
彼は『ウエツフミノクドキ』のなかで、鎌倉時代の『古事記』を批判して、こんなコメントを残しています。
【古事記では、ウガヤフキアエズの御世を、やっと15~6代伝えているのみに過ぎない。】
これは一体どういうことでしょうか?
彼は、「古事記のなかにウガヤフキアズ歴代に関する記述が少なすぎる」と嘆いているのですが、現在では15~6代どころか、初代の記述のみで終わっています。
つまり、あとの14~15人の天皇に関する記述がごっそりと削除されているということ!
鎌倉時代には存在した記述が跡形もなく消え失せたということですよね。
大切なお国に関する公式記録ですから「ついうっかり入れ忘れちゃいました」ということではないと思います。
誰かが、ある目的のために、意図的にこの記述を削除してしまったということになります。
さらに、彼はいろんな書物のウガヤフキアエズ歴代に関する記述を比較検討して、こう伝えています。
◆しんにゅう+官、原、言+互(かんげんこ)・・・・現在では全く伝わっていないこの書物には、ウガヤアキアエズの御世が何代か続けて書かれていた。
◆日本紀・・・・ウガヤフキアエズ王朝の存在は伝えずに、年代だけが書かれていた。
◆旧事本紀・・・・王朝の存在も年代も書かれていない。
ここにある『日本紀』が、『日本書紀』のことで間違いないとすれば、そこに年代が入っていたという事実も驚愕です。
つまり我々は、ある目的のために編集されなおした「フェイク」を読まされているということです。
だから、そのフェイクをもとにして「ああだこうだ」という議論は全く意味が無いということ!
古代史に興味を抱くメンバーのみなさんに大切な助言ですが、自分の発言の元となるソースの信ぴょう性をもう一度疑ってみませんか?
ちなみに、信舜はさらに驚くべき事実を書き記していますよ。
例えば「神武天皇は白人国(しらひとこく=新羅)の戦艦や軍兵を討ち滅ぼした」とか、「仲哀天皇は皇子たちが反乱を起こして、神功皇后と兄沙本田比古王によって殺害された」などなど・・・・???
仲哀天皇の死の真相
それでは、その仲哀天皇に関連する部分をもうすこし詳しくみてみましょう。
現在の『古事記』では、こう伝えています。
【仲哀天皇は、神功皇后に降臨した神のいうこと、すなわち西にある『黄金の国を賜わん』という言葉を聞かなかったので、琴を弾きながら息絶えた】
この部分を読んで「なるほど!」と納得した方はいらっしゃいますか?
ほとんど何を言おうとしているのか?意味不明としか私には思えないのですが。
それもそもはず、実はこの部分も書き換えられていたのです。
鎌倉時代の『古事記』には、こう書いてあったと信舜は証言しています。
【仲哀天皇に神がかりして、(神の)言葉をしゃべり始めた。「西方の国が、熊襲と共謀して、黄金に輝く我が国を乗っ取ろうとしている」と。だから、まず自分が真っ先に熊襲を討ち、西の国「西蕃」を滅ぼそうと思う、云々】
これは大変な違いですよね。
仲哀天皇の直接の死因は書かれていませんが、おそらく自ら対馬に出兵して流れ矢に当たって死んだというのが事実なのでしょう。
このことは『八幡愚童訓』や『宇佐家に伝わる口伝』のほか、岩見神楽の『塵輪(じんりん)』など、多くの記録にしっかりと残されています。
さてさて、ここではさらに驚愕の事実が書かれています。
仲哀天皇が戦った相手とは、「熊襲と西蕃の共同軍」だというのです。
熊襲が参戦したという事実も初めて聞きましたし、そもそも西蕃ってどこの国のこと?
実は私のなかでは、これで景行天皇記(土蜘蛛成敗)の謎が解けて来たのです。
私の勝手な解釈は、下記のとおりとなります。
◆土蜘蛛とは・・・・仲哀天皇をはじめとする由緒正しい九州王朝の末裔である。
◆熊襲とは・・・・のちにヤマトタケルと名乗るようになった鹿児島県西部の豪族のことである。クマソタケルという九州王朝の代官を滅ぼして、その名跡を乗っ取った渡来人。その後、東北遠征へと駆り出されたが、天皇にはなれず、隼人として宮中に定着した。
◆西蕃とは・・・・北朝鮮の羅津(らじん)を本拠地とするワンワールド勢力である(落合学説による)。彼らは無国籍の略奪集団であり、〇〇人と定義することは難しい。世界中から略奪した黄金をこの場所に蓄積して、次の略奪地を探しながら移動する。
◆この土地から、まずやってきたのが崇神天皇であり、彼は戦争は得意では無かったので、本国から職業軍人を呼び寄せた。それが景行天皇である。のちに後継者として応神天皇を呼び寄せる。神功皇后や武内宿禰も当然グルであり、彼らは日本全国を征服してヤマト王政となった。なお、秦氏とは、もともとは彼らとは全く無関係の勢力であったが、主に産業経済の面から彼らに協力してヤマト王政を支えた。
結び
古代史を語るうえで、無視することができない聖典としての『古事記』と『日本書紀』。
ところが、1300年も経過するうちに、いつの時代か?おかしな勢力が入り込んできて、その原文まで書き換えてしまったという事実は、決してあってはならないことです。
そんな事態さえも、鎌倉時代から予測していた大友能直公は、あえて古代史を「豊国文字」で記述させているのです。
つまり、外国人たちが容易に書き直せないように日本人だけに分かる暗号を使ったということです。
お陰様で、現代の私たちも“日本人が書いた本物の記録”に触れることができるのです。
自分たちの先祖に関する記憶を失った日本人たちは、激化する国際競争社会の中で、孤立して漂泊して、ついには亡国するしかありません。
大友能直公も『ウエツフミ』の【はしかき】のなかで、こう言っているではないですか。
「軍(いくさ)はびこりのもとつ起こりの禍事は、漢書仏文を上えなにまするからに、春木立きざしそめて、つゐにみだれ世にそなりたける。」
戦争がはびこったそもそもの原因である禍事(まがこと)とは、漢文や仏教の経典を尊重するあまりに、春の木立がその兆候を知らせ始めるように、ついに乱世になってしまったことである。(筆者訳)
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MIX (水曜日, 23 11月 2022 10:38)
今回も楽しく読ませていただいております。
古事記、日本書紀など学校で学んだ(名前だけしか覚えてなかったですが)が改ざんされていたなどこの年になるまで考えてもいませんでした。このブロブで真実の歴史を知る必要性を知りました。出来ればこのブログ内容を書籍などにして多くの日本人に見てもらいたいものです。
恭一 (月曜日, 29 1月 2024 15:07)
最近になって近隣にある鹿島神宮のタケミカヅチの神に興味を持ち記紀を勉強しはじめて、出雲の国譲りから天孫降臨まで時間的な謎や降臨場所が出雲ではなく高千穂でその後、出雲が出て来なくなるなど沢山の謎??疑問がありました。改ざんされていたのは、やはりと納得します。これから改ざん前の歴史が修復されて国民に公開してくれることを希望します。