最近、私のまわりに瀬織津姫のファンが非常に多いことには驚かされます。
でも、その正体はほとんど分かっていないことが多く、いろんな人がいろんな解釈を展開しています。
そして、最大の疑問は「なぜこの神様が封印されたのか?」ということ。
そのことを深く調べてゆくと、「人身御供(ひとみごくう)」という忌まわしい風習と密接不可分であることが分かってきました。
人身御供とは?
もうご存知ですよねえ。
古代から、日本各地には「神様に人の命を捧げて、願いを叶えてもらう」という野蛮な風習が、根強く残っていました。
例えば、「人柱」とか「御柱」と呼ばれたり、「生贄」と呼ばれたり、「白羽の矢」と呼ばれたり、「殉死」と呼ばれたりさまざまですが、そのほとんどの場合、若い娘さんが犠牲となっていたという衝撃的な事実がありました。
しかも、つい最近まで、少なくとも江戸時代まではこの風習が続いていたのです。
さらに興味のある方は、下記のサイトからどうぞ。
瀬織津姫と人身御供との関係?
例えば、村人が川に新しい橋を架ける際には「水害でこの橋が流されませんように」という願いを込めて、その橋のたもとに「人柱」と呼ばれた“文字通り柱となってこの橋を守ってくれる人の魂”が捧げられました。
大分市内に「府内城」を築城する際にも、人柱となった「お宮」という娘さんの伝承が詳しく伝わっていますが、誰かが強制した訳ではなく、本人自らの希望で「人柱」となることを選んでいたのです。
もちろん、その遺族たちには一生安泰な生活が約束されていましたので、本人はあくまでも家族のために犠牲になることを望んだということであり、実はたぐいまれなる“親孝行娘”だったのです。
【参考サイト】http://kdshiro.blog.fc2.com/blog-entry-2413.html
それでは、橋を架ける際の「人柱」は、何の神様に対して捧げられていたのでしょうか?
それが瀬織津姫だった可能性が高いのです。
どうか、ファンのみなさんがっかりしないでくださいよ。
瀬織津姫は、水の神様であり、特に川の流れを支配する神様です。
毎年一回、梅雨時になると大洪水を発生させて、地上にたまった“穢れ”を海まで押し流して“浄化”してくれるありがたい神様であると『中臣祝詞』は伝えていますが、逆に、この浄化の過程で、何千人、何万人もの犠牲者が出ていたことは想像に難くありません。
ここに、神様と人間との関係について、日本的な解釈を見ることができます。
穢れと浄化の関係
このコロナ禍で、ネガティブな精神状態に陥って抜け出せなくなっている人が、あなたの周りにも多くないですか?
しかも悪いことに、このネガティブな精神状態は、他人にも伝染してゆくのです。
こちらのほうが、コロナによる直接の被害よりもやっかいかもしれません。
社会全体がネガティブな状態に陥ると、必ず大災害が発生します。
この悪循環の連鎖を、古代の人たちは「世の中が穢れる」と呼びました。
それは、ある特定の「悪神」が引き起こしたのだ、と考える人たちまで出てきました。
特に、川の大災害である洪水は、「瀬織津姫の祟りじゃ!」と考えられてもおかしくありません。
そこで、この「ネガティブ連鎖現象」に対する決定的で実効性のある対策として、人の命を捧げるという方法が選ばれたのです。
もはや、塩をまいたり、祈りを捧げたりするだけでは消すことのできない「巨大な穢れ」に対しては、最大の苦難である「人の命との交換」をもってそれを帳消しにできると考えられたのです。
「どうか瀬織津姫様、村人を大洪水から守ってくだされ。そのためにウチの娘の命を捧げます!」
このようなシーンが、あちこちの村々で見られたことは、想像に難くありません。
ところが、社会が進歩して近代科学が発展してくるに従って、「このような野蛮で理不尽な行為は、けしからん!」と考える人も多くなりました。
特に、江戸時代に領主を務めたお殿様のなかには、このように近代的で合理的な考え方をする人が増えて来たのです。
以前、豊後岡藩の殿様が「龍の棲む洞窟の水を抜いた」という逸話を紹介しましたが、おそらくここでも龍神の祟りである「山おろしの風」を鎮めるために、人身御供が立てられていたのでしょう。
ここで大問題が発生します。
それは、瀬織津姫に対する評価が、180°の大転換を迎えたことです。
それまでは、「洪水を発生させて穢れを押し流してくれる浄化の神様」でしたが、
近代合理主義の立場からは、「大水害を発生させて人民を苦しめる悪神」に変わっていったのです。
これで、瀬谷織津姫が封印された理由が明確になってきました。
春日大社に祀られた比売神は瀬織津姫のことか?
私がこのように考えるようになったのには、理由があります。
それは、春日大社のご祀神を調べていたときのことです。
そこに、比売神(ヒメガミ)様という不思議な神様が鎮座しており、一般的にはアメノコヤネの奥方様のことであると考えられていますが、実はそうではありませんでした。
この四番目の神様は、あとから加えられているのです。
いま、そのことが記されたサイトを探しているのですが、なぜだか見つかりません。
私の記憶だけを頼りに、それを再現してみると・・・・
◆あるとき、大洪水が相次ぎ、犠牲者が多く出たので、天皇は藤原氏に原因を究明して事態を収拾するように命じた。
◆藤原氏が占ってみると、瀬織津姫が祀られていないためであることが判明した。
◆そこで、春日大社に第四番目の神殿を造営して、そこに瀬織津姫を祀ると、事態はようやく収束した。
すみません、記憶だけが頼りなので間違っているかもしれませんが、過去に間違いなくそのようなメッセージを受け取っているのです。
つまり藤原氏は、国家を秘密裏に守護するため、自分たちの祖先神と偽って、実は瀬織津姫を供養し続けているというのです。
これは、あり得ることかもしれない。
実際に「ネガティブ連鎖現象」と対峙する方法は、3つあります。
(1) これは悪神の仕業であるとして、その悪神を徹底的に滅ぼすか、封印する方法。
⇒アングロサクソンはこの解決法を好みがちだが、逆に宗教対立や戦争の火種となる可能性があり、たいへんに危険。
(2) 現実に起こっている大災害などのネガティブ現象を、そのまま受け入れるか、全く無視する方法。
⇒中国の老子の「無為自然」や、インドのガンジーの「無抵抗主義」にも共通する思想。
(3) ネガティブ現象に寄り添って、むしろ逆に厚く供養する方法。
⇒日本の皇室や大乗仏教などにも通じる思想。
つまり、藤原氏の瀬織津姫に対する姿勢が、(2)から(3)へ変化したことを意味しています。
ただし、神様として公明正大に祀るには、あまりにも世間的な評価がはばかられたので、秘仏(秘神)として扱うことになったのではないでしょうか?
「藤原氏は悪魔を信仰している」というフェイク・ニュースが蔓延する可能性があったからです。
ただし、これはあくまでも宗教、あるいはスピリチュアルの世界でのお話しなので、私の解釈が正しいとは限りませんが・・・・
瀬織津姫が祀られた神社には「水」「川」「河」という字が使われることが多いのは、それが川を治める「治水の神様」であり、同時に洪水を発生させる「怖い神様」であることを物語っています。
ちなみに『ウエツフミ』でも、「天変地異は神々の怒りである」と明確に伝えています。
ここでも「善と悪とは表裏一体である」とする、わが国の伝統的な思想が反映されているのです。
私が調べられたのはここまでですが、あとはみなさんご自身の眼でお確かめください。
最後に、全国各地に瀬織津姫が祀られている神社の一覧表を、ここに貼り付けておきますので、ぜひお近くの瀬織津姫を訪れてみてください。
http://furindo.webcrow.jp/img/seoritsu_bunpuzu.pdf
<追記>
この記事を書き終わって、ふと窓の外を眺めると、なんと白い花びらが数輪、蝶々のようにクルクルと回転しながら落ちてきました。たった一度だけ、しかもわずか数輪だけ。それは、まるで夢のような風景でした。もしかしたら瀬織津姫が喜んでいるのかもしれません。
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