土偶は植物の精霊?

縄文人の自然崇拝を完成させた弥生人

最近、「土偶は植物の精霊をかたどったものである」という記事を目にして衝撃を受けました。

そういえば、「人のカタチ」と呼ぶにはあまりにも斬新で独創的なそのフォルムに「宇宙人説」まで登場していたのですが、この新説にはもろ手を挙げて拍手喝采です。

【記事へのリンク】https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65038

 

というのも、『ウエツフミ』のなかには、「おそらく土偶や埴輪はこういう風に使われたであろう」という記述や、その根本思想である『四元論』を唱えた天皇の逸話まで残されているからです。

 

このことから、「おそらく弥生人たちは、縄文人たちの自然に対するスピリチュアル的な感性をそのまま継承して、それに名前を付けて神様として完成させたのではないか?」という結論に至りました。

 


土偶植物説の要約

まず、冒頭の記事をかいつまんで要約すると・・・・

「土偶は女性をモチーフにした」ものではなく、「植物の精霊をかたどったものである」ということ。

 

具体的には・・・・

ハート形土偶はオニグルミ

中空土偶はシバグリ

椎塚土偶(山形土偶)はハマグリ

みみずく土偶はイタボガキ

星形土偶はオオツタノハ

縄文のビーナスはトチノミ

結髪土偶はイネ

刺突文土偶はヒエ

遮光器土偶はサトイモ

 

さらに詳しくお知りになりたい方は、下記のリンクからどうぞ。

【記事へのリンク】https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65038

 

つまり、縄文人たちが食用にしていた植物や魚介類、そのなかに潜む精霊たちを、彼らの感性でカタチにしたのが、土偶だというのです。

 

自分たちが毎日食べている「食物=Food」に対する感謝や願い、それは「今年も生えてくれてありがとう」であったり「来年はもっと沢山生えてきてね」とか「もっと美味しくなあれ」とかを具体化=具現化するために、せっせと土偶を作って、これを住居や畑のなかに置いて、毎日拝んでいたのでしょうね。

 

いわば、彼らの宗教観である“自然崇拝”を、物質界に落とし込んだ一種の“偶像崇拝”であり、その意味ではまさに“アート”であるということもできます。

 

だとすれば、「火焔型土器」とは、“火の神様”や“風の神様”を具現化させたフィギアであとみることもできます。

 

 

なぜそう断定できるのかというと、『ウエツフミ』のなかには、弥生人たち(正確には弥生時代の日本人たち)の土器や土偶に対する信仰の断片が記録されていたからです。


ウエツフミに残された土器信仰 (1)

ひとつは、初代・ウガヤフキアエズの命の時代(推定:紀元前6~8世紀頃)に授かったたという「風を招く壺」で、当時の正式名称は「ヤモモニのツボ(八百埴の壺)」、または「ミカザツボ(御風壺)」です。

 

この壺は、船で航海する際に、無風状態から脱出するためのおまじないとして使われました。

そして、それを伝えたのが風の神様である「シナヅヒコ」であり、白日の国(福岡県)の女に憑依して、「昔から日向の国の住民に伝わっていた伝説の壺を、いまここに再現したので、ウガヤフキアエズの命が国造りの旅へと出航する際のハナムケとせよ」との御託宣でした。

 

具体的には、

◆赤土の壺の2つのコキニケ(意味不明)を開くと南風が発生し

⇒この土は速日の国(熊本県)のカサキに産出する

◆(その?)薄土の壺を開くと南西風が発生し

◆白土の壺の2つのコキニケ(意味不明)を開くと北風が発生し

⇒この土は白日の国(福岡県)の大野のミザカに産出する

◆黄土の壺の2つのコキニケ(意味不明)を開くと西風が発生する

⇒この土は豊日の国(大分県)のカサケに産出する

◆(その?)薄土の壺を開くと西北風が発生し

◆青土の壺の2つのコキニケ(意味不明)を開くと東風が発生し

⇒この土は建日の国(鹿児島県)のナカザに産出する

◆(その?)薄土の壺を開くと東南風が発生する

【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=18&sno=11

 

なんだか暗号みたいな複雑な記述ですが、「土器は風を招くおまじないに使われていた」こと、そのためには「 特別な土を使わなければならない」という大原則があったことが分かります。

【関連する過去記事】「土器は呪術に使われた!」

 


ウエツフミに残された土器信仰 (2)

もうひとつは、有名な神武天皇の「カワラケによるおまじない」です。

ナガスネヒコとの戦いで、圧倒的に不利な状況の中、全ての兄弟を失い、自分も病に伏した神武天皇ことヒダカサヌは、不思議なおまじないを始めます。

(推定:紀元後1~2世紀頃)

 

それは、「天の香具山の埴土で杯(ヒラカ)を80枚つくり、これに酒をついで、厳瓮(イズベ)をつくって餅で満たし、8昼7夜のあいだ神々に祈り続ければ、敵を滅ぼす方法が自ずから見つかるだろう。」という、謎の神様からの御託宣でした。

【さらに詳しく】こちらから。

 

この逸話のポイントは3つ。

① 特別な土を採取して来て・・・・どの土でも良いということではない。

② 特別な形状に加工して火で焼いて固める・・・・どんな形でも良いということではない。

③ それを使って特別な祭儀を行うと「想いが実現する」。

 

これこそ、縄文人(正確には縄文時代の日本人)たちが伝えてきた、自然崇拝への正式な作法ではないでしょうか?

つまり、「どの土をどんな形状に加工するのか?」は、縄文人だけが知っていた特別なノウハウであるということ。

 

神武天皇にそれを伝えた神様の名前が不明なのは、それが縄文時代の神様(クナト神とかアラハバキ神)だった可能性もあります。

⇒ウエツフミではクナトの神はオオヤマツミの子孫として登場する。

 

これらの記述から「土器がおまじないを行う際の重要なアイテムであったこと」と、「それが弥生人からみてもはるか古代から伝わっていたこと」つまり「縄文人たちの特別なノウハウであった」ことが分かります。

 


土器信仰のベースとなる四元論

それでは、なぜ「土器」だけが、おまじないに欠かせない重要なアイテムなのでしょうか?

そのヒントとなるのが、第2代・ウガヤフキアエズの命が伝えたとされる『四元諭』

⇒第2代は、推定紀元前6~7世紀の人物

 

現在では、中国から伝わった『陰陽五行思想』のせいで、その存在がかすんでしまった『四元諭』ですが、その根源思想と土器とは大いに関係があったのです。

 

まず、『四元諭』の中核となるのが、

【息気=イケ】

【火気=ホケ】

【水気=ミケ】

【土気=ツケ】

の四大元素であり、これらの元素さえあれば、地球上のあらゆる物質は再生可能であることになります。

 

なお『四元諭』については、以前にも書いていますので、興味のある方は下記も併せてお読みください。

 

【過去記事】こちらから。

 

ただし、ひとつだけ製造できないのが【人の魂】。

それを物質に吹き込むためのノウハウこそが「土器づくり」であるとしたら、みなさん驚きませんか?

 

まず、土器を作る工程を思い出してみてください。

 

(1) 特別な土を採取してきます。この土の種類によって出来上がる土器の性状が異なって来るからです。

(2) この土に、水を混ぜて捏ねます。ここに【土気=ツケ】と【水気=ミケ】が融合されます。

(3) 出来上がった物質を風に晒して乾かすことによって、ここに【息気=イケ】がプラスされます。

(4) これを炎で焼き上げることにより、さらに【火気=ホケ】が加わり、四元のすべてが融合した完璧な物質【土器】が焼きあがります。

 

ここまでで、すでに【人間の念(思い)】というものが充分に込められていると思うのですが、それをさらに完璧なものにするための最終工程、つまり人の魂を直接に吹き込むための仕上作業も存在したのではないでしょうか?

それが【祭儀】とか【祭祀】とか呼ばれるものであり、仏教でも仏像に魂を入れることを「入魂」とか「開眼」と呼んでいます。

 

具体的には、先の神武天皇のケースでは、それが『久米歌』と呼ばれた呪文でした。

それは歌ではなく、呪文であったことは『ニギハヤヒの十種の神宝』に関する記述からも明らかです。

【過去記事】「ニギハヤヒの十種の神宝は呪文だった」

 

縄文人たちも、植物の精霊を模して造った「土偶」に、精霊をそのまま呼び込むための儀式を有していたものと思われますが、残念ながら現在ではその秘儀は全く伝わっていません。

 

ここで興味深いのは、イスラム教では偶像崇拝を禁止していることです。

つまり、【物質】に【魂】を込めることは不可能なので、仏像や十字架をはじめとする【物質】そのものを拝むことは「偶像崇拝」であり、意味のない行為だと考えられているからです。

 

仏教を偶像崇拝の代表思想とみれば、神道はイスラム教と仏教との中間に近いかもしれません。

神道で神様の姿を直接に表現した「神像」というものは見たことはありませんが、神は物に降臨することは可能だと考えて、鏡や剣や布を「御魂代」や「御身代」ということで拝むことはあります。

 


むすび

さてさて、話をもとに戻しますと、人の魂を吹き込む媒体は、【物質】以外にもうひとつありませんか?

それが【言葉】なのです。

 

縄文人たちは、稲という植物の精霊を表現した土偶(さきの新説では結髪土偶)を造ってせっせとこれを拝んでいましたが、弥生人たちはこの精霊に【イナヨリヒコ】という神様の名前を付けて、これを口に出して唱えることにしました。

それが【言霊】であり【祝詞】の核心なのです。

 

「最初に言葉ありき」

人類の起源において【物質世界】が先に登場したのか?【精神世界】が先に登場したのか?は、宗教界では大いに議論のあるところです。

 

しかし、もっとも大切なことは、【物質世界】と【精神世界】を融合させること。

そのためのテクノロジーも刻々と進化して、そのうち人類は神様に近い存在になるのではないかといわれています。

 

一方で、スピリチュアル的な能力は、縄文時代⇒弥生時代⇒現代と進むに従って確実に退化しているのも事実です。

 

植物の精霊が本当に居るのだとしたら、植物にも意識=魂=言葉があることになりますが、近代科学はまだその領域に到達していません。

 

だったら、縄文人や弥生人たちの言ってることに素直に耳を傾けてみることも必要でしょうか?

 

もしかしたら、縄文人たちは遮光土偶を使って、里芋の精霊と会話できていたのかもしれませんよ。

 


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コメント: 1
  • #1

    MIX (金曜日, 25 11月 2022 10:37)

    土偶は植物の精霊をかたどった。。納得ですね。元記事も大体見ましたが、主と同じく推測とインスピレーションを元にそれを実証する調査による推論の構築。納得の仮説でした。縄文人は食べ物となる植物や貝などに感謝の意を持っており豊穣を祈っていた。本当の意味での共生をしていた。現代人はほしいものはスーパーやコンビニで買い多くはコンクリートの家に住んでいるため自然に触れることが少なくなった。だから5感以上の感覚が衰えた。もっと自然に近づき自然を感じることで人間本来の5感以外の感覚を取り戻す必要がある。そんなことを改めて感じました。自分も自然を感じに行こうっと!