日本書紀に書かれた逸話と廣田神社
まず、お断りしておきますが、これは私独自の説ではありません。
もともと主張されていた「神功皇后が天照大御神の荒魂を封印した」とする説を検証するものです。
瀬織津姫とは天照大御神の荒魂である
瀬織津姫の正体については、説が分かれていますので、ここでおさらいしておきましょう。
主な主張としては、まず、
(1)◆天照大御神の荒魂が「瀬織津姫」である。
という説を採っているのが、『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』『中臣祓訓解』などの書物です。
伊勢神宮内宮の別宮「荒祭(あらまつりの)宮」に祀られているのが、天照大御神の荒魂であり、現在でもちゃんとそこに鎮座していますが、それが瀬織津姫なのかどうかは、伊勢神宮はノーコメントです。
【伊勢神宮公式サイト】https://www.isejingu.or.jp/about/naiku/betsugu.html
これに対して、
(2)◆天照大御神は男神であり、その女神が「瀬織津姫」である。
とするのが『ホツマツタエ』を中心とする書物です。
ただし、私見ですが『ホツマツタエ』の後段には、景行天皇(ヒロシ)の功績がとうとうと述べられていることから、おそらく古墳時代以降に加筆されたものであり、ヤマト王政を主導した秦氏の解釈が大きく反映されているものと思われます。
ここでは、(1)の説を採用して、「瀬織津姫とは天照大御神の荒魂である」と解釈することにします。
では、なぜ神功皇后が、その荒魂を封印したのでしょうか?
『日本書紀』には重要な記述があります。
日本書紀の記述の要旨
「三韓征伐」を終えた神功皇后は、まだ3歳のホムダワケを天皇に即位させようとします。
⇒私の過去記事『応神天皇と誉田天皇は別人である!』では、「ホムダワケとは、武内宿禰と神功皇后との不義密通により生まれた私生児である」とする宇佐家の伝承を紹介しています。
これに対して猛反発したのが、その兄たちである香坂皇子と忍熊皇子です。
当然、自分たちに皇位継承権があると思っていた彼らは、近畿で挙兵して、住吉で神功皇后を迎え撃つことにします。
⇒このとき、神功皇后はまだ、神都である近畿には一度も足を踏み入れていません。ということはどちらが皇軍で、どちらが賊軍であったのか?は、おおよそ想像がつくと思います。
豊浦の宮(現在の山口県長府市)を出港した神功皇后の船団は、途中海流に流されてか?船がグルグると回転して、一向に難波の港に到達できません。
武庫川に一時避難した神功皇后は、ここで「占い」を行います。
すると、天照大御神が顕れてこう告げます。
「我が荒魂を皇后の近くに置くのは良くない。広田国(西宮・廣田神社のある場所)に置くのが良い」
ところがこのときすでに、崇神天皇が天照大御神のご神体を皇居から遠ざけており、各地を転々としていましたので(その変遷は『倭姫命世記』に詳しい)、今更、神功皇后のそばに置かれていたとは考えられません。
そもそも、その頃の皇居とは、豊浦宮あるいは香椎宮だったのでしょうか?
つまり天照大御神の荒魂が守護していたのは香坂皇子と忍熊皇子であり、だからこそ神功皇后はこれを封印する必要があったのです。
廣田神社の創建
以上のような経緯で、西宮市に「廣田神社」が建立されることとなり、ここに天照大御神の荒魂、つまり瀬織津姫が、伊勢神宮から移封されます。
ちなみに、創建したのは神功皇后であり、葉山媛がこれを斎き祀ります。(西暦201年)
だからこそ、伊勢神宮(東宮)に対する「西宮」なのであり、これが現在の西宮市の地名となります。
西の宮とは、西からやってきたエビス様のことでは無かったのですね。
確かに、廣田神社のご由緒書きを見ても、以上の経緯を公式に認めています。
【廣田神社公式サイト】http://www.hirotahonsya.or.jp/yuisyo.html
瀬織津姫が封印された証拠
ただし、それが“祭る”ための神社なのか、“封印する”ための神社なのかは書かれていません。
私は、ある一点に注目しました。
それは、廣田神社のご神宝とされる〈劔珠〉または〈如意珠〉です。
神功皇后が豊浦の海中から拾ったとされるこの珠ですが、添付の写真をよくご覧ください。
何やら傷のようなものが入っています。
私はこれを見てゾッとしました。
まさに「玉にキズ」とは、このこと!!!
しかも、そのキズ跡を見ると、明らかに刀などの鉄器で切り付けたような痕跡が残っています。
この黒い部分を化学分析すると、おそらく酸化鉄などのFe化合物が検出されると思います。
誰が、何の凶器を使って、この傷を付けたのでしょうか?
その答えは、『日本書紀 巻第九』秋九月の庚午の記述にありました。
神功皇后の斧鉞
「三韓征伐」を行うことを決断した神功皇后は、兵を集めようとするのですが、なかなか思うように集まりません。
さらに、部下を偵察に行かせるのですが、いずれもウジウジと消極的な報告をします。
このとき、神功皇后は怒り心頭に達してついに爆発、兵士たちに激を飛ばします。
重要なのは、その演説内容ではありません。
このとき、神功皇后は手に「斧鉞(ふえつ)」を取ってこれを振り回して指揮したというのです。
「斧鉞(ふえつ)」とは、中国では王族だけが持てる権威の象徴で、日本では「軍配」にあたります。
そもそも、「言うことを聞かないと、これで一撃をくらわすぞ!」という意味で、わざわざ重い鉄製の斧を持ち歩いていたのであり、刑罰を下すための神聖な道具であるともされています。
『日本書紀』では、「斧鉞」に対して「をのまさかり」というたどたどしい読み方が宛てられていますが、日本人ならば絶対に「をのまさかり」とは言わないですよねえ。
書紀の作者の中国人としての教養が露見したか、あるいは本当に中国製の鉄器が握られていたかのかのどちらかです。
ということは・・・・
神功皇后が、この「斧鉞」で、〈如意珠〉に一撃をくらわせたので、傷が付いてその霊験が失われ、のちに〈劔珠〉と呼ばれるようになったのではないでしょうか?
しかも、もともとこの〈如意珠〉が置かれていた場所の真下には、「井戸」があったといいます。
このことは、廣田神社の公式サイトにも書かれています。
⇒【出典】http://www.hirotahonsya.or.jp/yuisyopage/yuisyo_gohomotu.html
つまり、太陽神であるアマテラスを水で封印した!
この神功皇后というお方、これ以外にも不思議なおまじないをして、日本の神社を次々と無力化したうえ、全てを「八幡社」と改名させました。
⇒『八幡愚童訓(はちまんぐどうくん)』には、「全ての神社の土を1mほど掘り起こして海砂と入れ替えさせた」という記述もあります。
このように、瀬織津姫こと天照大御神の荒魂は、廣田神社に封印されているとするのが、私の見解ですが、信じるかどうかはあなた次第、ぜひここを訪れて直接本人に聞いてみてください。
追記・・・夢のお告げ
さてさて、この原稿を書くため構想をまとめていた私に、ある夜、夢枕に謎の老人が顕れて、こう告げたのです。
「わしは、気比神宮と宇佐神宮に挟まれて身動きがとれぬ。
この2つの神社に祀られているのは、ホムダワケとイザサワケの双子の兄弟であり、2人とも4歳で虐殺されて悪神となった。」
次の朝、起きてからさっそく「気比神宮」と「宇佐神宮」を地図で確認してみると、そのちょうど中間に鎮座するのが伊予の大三島にある「大山祇神社」だと分かりました。
「そうか、あの夢のお告げはオオヤマツミだったのか!」
そこまでは分かりましたが、私は宗教人でも無ければ、霊能力者でもありません。
ただただ途方に暮れるばかりで、いまだに何の行動も起こしていません。
どなたか、この夢に対する最善の対策をご存知の方は、どうぞ教えてください。
コメントをお書きください
鈴木裕子 (土曜日, 12 3月 2022 16:13)
瀬織津姫の情報、ありがとうございます。
私自身、瀬織津姫と関係あると感じていて
瀬織津姫がなぜ封印されているのか知りたかったので、参考にさせていただきます。
私は、少しチャネリングができますので、ホムダワケとイザサワケ、オオヤマツミ様たちのチャネリングさせていただきたいと思います。神社好きの私としては、神社を無力化させたということに怒りを感じます。
ねこちやあん (月曜日, 03 10月 2022 22:39)
まず、大山祇神社に行ってみてください。神社に着いたら、心の中で語りかけてください。
今、あなたが何をしているのか、何を詳しく調べたいのか、そして周りの自然に注意してみてください。風がぶわっと吹く、動物や虫を見る、よってくる、いい匂いがする、、、などなど。注意深く観察してみてください。
大山祇神社は明治政府薩長によって封印されてます。。
封印を解くには、神社の裏や離れたところ人気のないところに本体や重要な何かが祀られていたり、小さな祠が無造作にあったりします。。。
平山佐知子 (日曜日, 08 1月 2023 15:36)
大山祇神社に行きました。私は嫁ぎ先が壱岐の島で、神事に関わるようになりました。母は島津本家であり、私も久光の直系です。常に解放を願い、平和を祈っております。
丹生の民 (土曜日, 21 1月 2023 00:28)
いつも素晴らしい学びをいただいております。この場をお借りして、心より感謝申し上げます。
既知でしたら大変恐縮ではありますが…著者自ら三島のルーツを持つ「みシまる湟耳」氏の著書【ヤタガラスの娘】では、大山祇の謎、古代における女系と史実改変にも触れており、巻末には瀬織津姫封印解除への祓真詞も付記されています。個人的に大変興味深い内容でした…。