東日本に存在した! 幻の古代国家『日高見国』

先日、『祝詞(のりと)』を詳細に読んでいるとき、あることに気づきました。

それは、東日本には、もうひとつの知られていない古代国家があったのではないかということ。

その名も『日高見国』。

 

あの瀬織津姫が、記紀には書かれておらず、祝詞だけに登場する理由もこれで説明できそうです。

つまり、神々への信仰体系も、西日本とは全く異なる古代国家が、東日本のどこかに存在していた可能性が高いということです。


そもそも日本列島は2つの大きな島だった

先日テレビで、[NHKスペシャル] 列島誕生ジオ・ジャパン という番組をやっていましたが、その内容は衝撃的なものでした。

【NHKオンデマンド】https://www.nhk.or.jp/special/plus/videos/20180326/index.html

 

それは、中国大陸から引きちぎられた2つの島、それが東日本と西日本であり、この2つの島が合体することにより現在の日本列島が形成さていったというものでした。

 

つまり、もともと東日本と西日本とは、それぞれ別の国土と別の文化とを有した別国家であったかもしれないのです。

そして、この2つの別国家の境界線が、現在のフォッサマグナ。

そうです、東海地方と北陸地方とを結ぶ「大地溝帯」と呼ばれる巨大な溝。

【参考】https://fmm.geo-itoigawa.com/event-learning/fossamagna_japan-archipelago/

 

あるいは超古代人たちは、この2つの島のことを「ムー大陸」と「レムリア大陸」と呼んでいたのかもしれない、そんな思いが脳裏をかすめはじめました。


天皇の即位式は2回行われる

今上天皇が即位してからすでに3年が経過しようとしていますが、最近情報公開が進んだお陰で、その秘密の儀式の内容が明らかになってきました。

 

まず添付の画像をよくご覧ください。

これが皇位継承の神事である「大嘗祭」が行われる建物です。

 

そこには「悠紀殿(ゆきでん)」と「主基殿(すきでん)」という2つの建物が用意されます。

 

【出典】https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_koushitsu20191114j-06-w430

しかも、「悠紀殿」には東日本地方から献上されたお供え物が集められ、「主基殿」には西日本地方から献上されたお供え物が集められるというのです。

 

このお供え物のことを「庭積の机代物」といいますが、その品物の一覧表がこちら。

 

ここで最も重要なことは、東日本のことを「悠紀地方」と呼び、西日本のことを「主基地方」と呼んでいることです。

 

さらに不可解なのは、天皇は全く同じ儀式を、場所を変えて2回行うというのです。

 

このことは一体何を意味しているのでしょうか?

まるで天皇は、全く違う2柱の神様に、それぞれ挨拶して廻っているとしか思えないのです。

 

もちろんそれは、西日本を統治する(おそらく)天照大御神と、東日本を統治する謎の神様の2柱に違いありません。


東日本を統治する神様の正体

現在我々が知っているのは、『古事記』や『日本書紀』に書かれた創造神・イザナギ・イザナミと太陽神・天照大御神を頂点とする、ひとつのピラミッド状の神々の体系ですよねえ。

これを私は、便宜上「高千穂神話」と名付けることにします。

 

でもそれは、おそらく西日本=主基地方の神様たちであって、東日本=悠紀地方には、全く別の神様の体系が伝わっていたのかもしれないのです。

それが、「日高見神話」。

 

神話とは、歴史記述というよりは、むしろ信仰に近いものですから、何の神様をご本尊とするのか?は宗派により異なります。

つまり、西日本と東日本では、根源神の解釈が異なっていたということでしょうか?

 

このことを知っていたのが、天皇家と藤原家。

 

幸か不幸か、日本国が統一されてひとつの国家となってゆく過程のなかで、藤原氏が「高千穂神話」を表に立てて、「日高見神話」との融合を試みたのかもしれません。

それは、陰謀でも策略でもなんでもなく、「2つの神話体系が存在したのでは、日本国がひとつにまとまらないではないか!」という現実的な政治判断だったということです。

 

この過程で、瀬織津姫やニギハヤヒなど、その存在を(藤原氏により)無視された神様が登場してきたのは、ある意味、致し方のないことだったのかもしれません。

 

でも、天皇家だけは、今もこのことに留意しており、即位するときだけは、しっかりと両方の神様に挨拶するということではないのでしょうか?

 

しかも、「悠紀殿」のほうが「主基殿」よりも格上とされていることから、東日本=悠紀地方のほうが、西日本=主基地方よりも古い時代に存在していたということになります。

 


祝詞だけが伝えるもうひとつの神話

さてさて、東日本=悠紀地方を統治する神様とは一体誰だったのでしょうか?

 

それを現在に伝えてくれているのが、『祝詞(のりと)なのです。

 

まわりくどいようですが、もう少しがまんして、ここで祝詞の最高峰とされる『六月晦日大祓(みなつきのつごもりのおおはらえ)』を詳細に読んでみましょう。

私はそこに、天照大御神とは異なる別の神様体系を見つけてしまったからです。

 

まず、原文を掲載しますので、お時間のある方はじっくりと読んでみてください。

【原文】http://www.7key.jp/data/thought/shintou/norito/tsugomori_ooharae.html

 

この長い呪文のなかから、私が気になったキーワードだけを抽出して、要約文を作成してみると、こうなります。

 

「皇親カムロギ・カムロミ」が

「大倭日高見之國」に

「皇御孫之命」を天孫降臨させた。

国を安けくするため、人民が犯した罪を祓うには、この祝詞を上げよ!

そうすれば「瀬織津姫など祓戸四神」が浄化してくれる。

だから「卜部ら」は、全国各地でお祓いを行え!

 

この一文が、全てを説明してくれています。

(1)天皇家の祖先はカムロギ・カムロミである。

(2)天皇家の祖先は日高見国に天孫降臨した。

(3)瀬織津姫は日高見国の神様である。

(4)それを守り伝えてきたのが卜部氏である。

 

もうお分かりでしょうが、(4)だけを詳細に解説しておきます。

 

そもそも、6月30日という節目の日に、親王以下数百人の男女を、皇居内の「祓所」に集めて、天皇が綱紀粛正のための訓示を垂れます。

それがこの『六月晦日大祓』の本質なのです。

しかも、この数百人の官僚たちの前で、天皇に代わって祝詞を上げていたのは卜部氏だったのです。

 

それが、いつの間にか中臣氏に代わってゆきます。

もうお分かりですよね、中臣氏から見れば、この晴れ舞台に卜部氏がまるで天皇になったかのような振る舞いをすることが許されなかったのです。

 

だから、後代になると中臣氏=藤原氏が、この名誉ある役目を横取りしてしまいます。

だから『中臣祝詞』にも収蔵されているのですね。

⇒ちなみに、中臣氏は忌部氏の役目も奪っており、その経緯を詳細に伝えているのが『古語拾遺』の著者・斎部広成。

 

とすると、『鹿島神宮』『香取神宮』を、なぜ藤原氏が守っているのか、その理由も見えてきましたよねえ。

そうです、もともとここの神官は卜部氏であったということになります。

 

それだけではありません。

もうひとつ重要な祝詞を理解しておく必要があります。

それが、ニギハヤヒが伝えたとされる『十種神宝(とくさのかんだから)』

それを伝える「石上神宮の十種祓詞」を見てみましょう。

【原文】http://kamnavi.jp/mn/togusa.htm

 

ここでも、

(1)天皇家の祖先はカムロギ・カムロミである。

(2)カムロギ・カムロミは、ニギハヤヒにこの宝を授けた。

(3)ニギハヤヒは天磐船に乗って河内国の河上の哮峯に天孫降臨した。

と言ってますよ。

 

とすると、中臣氏は物部氏の功績まで横取りしてしまったのかもしれません。

 


カムロギ・カムロミとは?

ここで、カムロギ・カムロミについて解説しておきますが、ひとことで説明すると「イザナギ・イザナミが誕生するはるか以前の古い古い神様」です。

『ウエツフミ』によると、鎌倉時代に高千穂神社に存在した古文書には、神様の君臨した順番が、下記のように書かれていました。

 

1. アメノミナカヌシ

2. コモマクラタカギ(=タカミムスビ=高木神)

3. カムミタマミオヤ(=カミムスビ)

4. カムロギ・カムロミ

 

以降、ずらずらと続きますので、興味のある方は下記の原文からどうぞ。

【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=1&sno=1

 

つまり、はるか古代の祖先神であるカムロギ・カムロミを信仰するのか、比較的新しいイザナギ・イザナミとアマテラスを信仰するのかの違いであって、どちらも天皇家の祖先には間違いないのですが、大臣レベルの家系になると、それぞれの家で信仰が異なっていたということになります。

 

以上を総合すると、

 

◆カムロギ・カムロミが降臨させたのがニギハヤヒで、その場所は河内国または日高見国だった。

⇒日高見国のことを「倭日高見国」と伝える文献もあるので、古代から日高見国の場所は不明のまま幻の存在だった可能性が大きい。

 

そして、ニギハヤヒを信仰するのが卜部氏と物部氏

 

西日本=主基地方に天照大御神が降臨させたのがニニギで、それを信仰するのが中臣氏(アメノコヤネ子孫)と(おそらく私の推測では)滅ぼされた蘇我氏(フトダマ子孫)。

 

これら4氏のうち、最終的に生き残ったのが中臣氏で、のちに、この2つの神話を融合させて『古事記』『日本書紀』を完成させ、以降は藤原氏と名乗った。

これが私の最終結論です。

 


日高見国はどこにあったのか?

この問題は奥が深く、それこそ文献により、あるいは解釈する個人により全く見解が異なっています。

ちにみに、下記のように複数の異論が存在することだけを紹介しておきます。

 

(1)宮城県説・・・・『ホツマツタエ』など

⇒現在の多賀城市付近であるとする説もあるが、その根拠は不明。

⇒ただし『ウエツフミ』でも、「ナガスネヒコの祖先は亘理の出身だ」という記述があることから、宮城県の亘理地方もあり得る。

 

(2)飛騨高山説・・・・『飛騨の口碑』など

日高見の語源は「日抱(ひだ)の神」であるとしていますが、残念ながら乗鞍岳も位階山も西日本(フォッサマグナより西)であることが弱点。

その記述内容も、大国主やニニギが中心なので、これは「高千穂神話」の一派と考えられる。

 

(3)青森十三湖説・・・・『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)など

ここで重要なのは、ナガスネヒコは東北に逃げ延びて、現地の「アソベ族」と「ツボケ族」を従えて王となったという記述。この二族が、クナト神やアラハバキ神を信仰していたとすれば、それが「日高見神話」の原型ではないか?

また、青森県・東北町の「日本中央」の石碑も重要。

【参考】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E3%81%AE%E7%A2%91

 

(4)関東の房総半島~茨城説

文献には残っていませんが、千葉県館山が古代の中心都市であったという伝承もあり、大友皇子は壬申の乱に敗れてここで最期を迎えた痕跡も残っています。

 

また、茨城県の「鹿島神宮」のご祀神・タケミカヅチは、(記紀が伝えるように)日向族ではなく、日高見国の国王だった可能性もあります。

つまり、日向国のニニギと日高見国のタケミカヅチ・フツヌシの連合軍が、オオクニヌシの治める後期出雲国を滅ぼしたということになります。

 

その後、藤原氏が奈良の「春日大社」にタケミカヅチを勧請して、いわば吸収合併してしまったのでしょうね。

「鹿に乗って鹿島から奈良にやってきた」という伝承は、そのことを物語っています。

 

同じく、千葉県の「香取神社」のご祀神・フツヌシも、もともとは物部氏系であったものが、香取氏の滅亡とともに、藤原氏に吸収合併された可能性大です。

⇒ちなみに香取氏の家紋は「トンボ(香取蜻蛉)」だったという説もあり、現在は「三つ巴」に変更されていることから、ますます藤原氏の犯行が濃厚となってきます。

⇒先日テレビ番組で、“中国のヤオトン(窯洞)には武官の屋敷が残っており、その門前には「三つ巴紋」の入った太鼓が目印として置かれた”と説明されていました。つまり「三つ巴紋」とは、中国人武官の象徴であり、だから八幡神もこれを掲げているのではないでしょうか?

 


まとめ

以上、日高見国のあった場所については、諸説が乱立しており、まだ通説の合意には至っていません。

 

いまや“幻の神様”となってしまった、カムロギ・カムロミ、ニギハヤヒ、瀬織津姫などは、全て「日高見国」の先祖神だったのかもしれません。

 

そう考えると、日本国の古代史はそうそう単純な力関係で形成されてきたものではないことが分かってきます。

 

その昔、聖徳太子が日本国の成り立ちをひとつにまとめ上げようとして挫折した『先代旧事本紀』。

⇒私の過去記事は、こちら

 

その背後には、いろんな神様たちと、それを信仰する複数の民族が居たのではないでしょうか?

 


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コメント: 2
  • #1

    琥珀 (火曜日, 16 11月 2021 18:55)

    こんばんは。はじめまして。

    日高見国につきましては、私は筑波山がカギを握っていると考えています。
    筑波山にはイザナギ様とイザナミ様が祀られていますが、こちらを最初に創られて降臨なされたという、淡路島とは別のもう一つの国生み神話があるのです。
    それで、着目すべきは大宮氷川三社(大宮氷川神社・中山神社・氷川女體神社)で、配置がオリオン座の三ツ星ベルトになっているのですが…
    オリオン座の南にはウサギ座があり、ちょうど南の浦和には、瀬織津姫様が御祭神とされ、ウサギの石像等がたくさんある調神社(つきのみや)があるのです。
    一方で、秩父にはおおいぬ座のシリウスに該当しそうな犬神信仰の三峯神社があり、諏訪神社が北斗七星の配置になってたりもします。

    すると、配置的に筑波山=牡牛座の昴(プレアデス)であるということになるのですが、昴は別名を羽子板星と言いまして、羽子板の発祥の地がまさに筑波山であり、さらには千葉県や茨城県の一部では方言で昴のことを「九曜」というのですが、まさに平将門公や千葉一族が信仰していたものが九曜紋なのですね。
    一般的には九曜=日月火水木金土+ラーフとケートゥとされますが、本当はそうではなかった可能性があるのです。

    問題は、氷川三社のベルトの配置の向きがおかしいことですが、氷川女體神社が大宮氷川神社と並んで武蔵国一宮を名乗っている等、本来の姿からぼかされているのではないか?ということです。
    実際に、「姉宮」と呼ばれる島根氷川神社等、怪しい神社も存在しています。

    他にも、鷲宮神社(牡牛座の角?)等もありますが、割愛させていただきます。

    ご参考になれば幸いです。

  • #2

    みこ (土曜日, 18 2月 2023 14:07)

    なるほどですねー、私も日本の歴史を少しですが勉強しておりますが、とても複雑でよくわかりませんが、しかし、日高見国の神様は出雲から出たクナト、アラハバキと思われます、(東日流外三郡誌)より、もしかするとアラハバキが、瀬織津姫なのかもしれませんねー、これからも勉強してまいりましょう。