『ウエツフミ』には、弥生人の日常生活が細かく記述されていた!

私は常々、この『ウエツフミ』に記述されているウガヤフキアエズ王朝とは、弥生時代後期の人たちである・・・・と書いています。

このことは、生活様式に関する記述からも明らかになってきました。

『ウエツフミ』には、弥生人たちの日常生活が「訓り決(こりきめ)」 =神様からの生活指導というカタチで、細かく書かれているからです。


私は文化人類学者や考古学者ではないので詳しくは分りませんが、そのエッセンスだけをご紹介しますので、専門家の方はぜひ分析をお願いします。

 


住居は、いわゆる竪穴式ではない!

出展 : 弥生ミュージアム
出展 : 弥生ミュージアム

まず、冒頭のイラストをご覧ください。これがウエツフミに書かれた住居の様式に最も近いようです。

【弥生ミュージアム】 http://www.yoshinogari.jp/ym/episode04/house.html


その特徴は・・・・

◆丸太ではなく、製材した角材から作られている。

◆それらを紐で結び合わせて構造物とする。

◆埴土(はにつち)を塗ったと、木綿を張ったが存在し、栲襖(たくふすま)という間仕切りもあった。

◆屋根には風除けの鰹木(かちおぎ)があり、茅草(ちがや)で葺いた屋根には飛散防止のため千木(ちぎ)が載せられた。

※ちなみに、ウガヤフキアエズという名前も「鵜茅(うがや)という植物で屋根を葺いている最中に、まだ葺き終わらないうちに生まれた(皇子)」・・・・という意味。

◆土で作られた「へっつい(夏目漱石の『坊ちゃん』にも登場する)」という名前の(かまど)が置かれていた。

この点、床に穴を掘って炉とする竪穴式住居とは大きく異なる。

◆さらに、屋外には厠と竈と牛馬の小屋などが置かれていた。

M11-12


どうですか?

まるで現在の神社建築にそっくりですね。

 

その日常生活の様子は、下記の写真のようなイメージでしょうか?

※ウエツフミによると、床と梯子があったので、この写真のように地面に直接座っていた訳ではない。
※ウエツフミによると、床と梯子があったので、この写真のように地面に直接座っていた訳ではない。

衣服は麻などで作った貫頭衣だが、ディテールにまでこだわっていた!

Webから拾ってきた弥生時代の衣装の写真
Webから拾ってきた弥生時代の衣装の写真

一般人の服装は(ウエツフミによると)、

◆木の皮から取り出した繊維(麻のようなイメージ)で作った布を深く被り、

◆襟と袖には木綿(もめん)の補強ライニングが施されていました。

◆また、一尺の木綿を4つに折って帯を作り、これを二本つなぎあわせて一枚にし、男は一尺七寸、女は二尺余りと決められていました。

◆その帯をたらす長さも、男は一垂二尺、女は一垂二尺三寸と書かれています。

◆さらに、絹でつくった襷(たすき)などもありました。

M12-17


また、加羅支那国(現在の北朝鮮)から使者がやってきたときのコメントから、下記のことも分かっています。

◆当時は、毛皮をコートのように羽織ることが流行していた(たぶん冬の寒い時期に)

◆しかし、朝鮮半島では毛皮も木綿も手に入らないので、みんな木の皮をそのまま着ていた。

(だから、援助して欲しい・・・・云々。)

>>>詳しくは、こちら




ヘアースタイルは神話などでよく見るお馴染みのアレだった!

まず、男性のヘアースタイルですが、

◆真ん中で分けて

◆口ヒゲとほほヒゲを生やし

◆二つの毛先で輪を作り、これで耳を隠す

◆なお、人の毛は臭いので草木の油で洗うと芳ばしい

◆左右に櫛を差す

 

という風に説明されていますが、まるで神話に登場する神様たちのヘアースタイル=「角髪(ミズラ)」そのものではありませんか。

ちなみに、真ん中の写真は聖徳太子の幼少期です。

 

さらに、女性ですが・・・・

◆全髪を結い束ねて、背中に垂らせ (そう、現在のポニーテールですね)

◆先端には花を飾って油をつける

◆左右の耳の掻き上げた上のさか巻き毛に、乙櫛とおが玉櫛(ママ)を差して、片方には季節の草花を差せ

 

さらに男女の帽子についても記述があり・・・・

◆男性は、楮布の矢篦なり袋なし髻根毛栲紐の元取に着けて(翻訳不能のため原文のママ)、冠(かんむり)にする

◆女性は、木綿を編んで頭に乗せる

と、書かれています。

M12-18

 

どうですか?

弥生人たちがすごくオシャレだったことがご理解いただけたと思います。

 

さらに、男女の下着についても細かい記述があり、現代の褌(ふんどし)のようなものが、すでにあったようです。

M12-19

弥生時代の女性と思われる埴輪----男女とも前に帯をたらしているのが特徴、木綿の帽子もこんな感じ?
弥生時代の女性と思われる埴輪----男女とも前に帯をたらしているのが特徴、木綿の帽子もこんな感じ?

それでは、何を食べていたのでしょうか?

『ウエツフミ』では、食べ物(特に健康食品)については、膨大な記述を残しています。

残念ながら、ここには書ききれないほど多いので、また後日、章を改めることにします。

 

◆「日本人は仏教が伝来するはるか以前から菜食主義だった!」



最後に、「ウエツフミ偽書説」に対する反論

最後に「ウエツフミ」を偽書だと決め付けている偉い学者の先生方に質問です。

もしもこの「ウエツフミ」が、鎌倉時代や江戸時代に創作されたものだとするなら、

これらの細かい記述は一千年以上ものあいだどうやって伝わってきたのでしょうか?

人々の記憶のなかにあるものを再現したにしては、表現が細かすぎませんか?

何世代ものあいだ語り継がれたにしては、表現が正確すぎませんか?

しかも、何のためにこんな細かいノウハウを再現する必要があったのでしょうか?


そうですよね、答えはただひとつです。

この「ウエツフミ」は、弥生時代から現在まで約二千年間、文字で存在し続けてきたのです。


コメント: 0 (ディスカッションは終了しました。)
    まだコメントはありません。