熊本の菊池氏は、西郷隆盛なども輩出した名門ですが、平安時代以前の記録は存在しないと言われていました。
『ウエツフミ』には、この菊池氏の祖先と思われる「ククチ」という姓を持つ豪族が、菊池郡から益城郡にかけて、存在していたこという記述があります。
⇒『ウエツフミ』には、「キクチ」ではなく、全て「ククチ」または「ククツ」と豊国文字で表記されており、漢字はあとから宛てられたものです。
ところが、この『ウエツフミ』に書かれた菊池氏の起源が、全く世間から認知されていないようなので、この原稿を発表させていただきます。
菊池氏・菊地氏の子孫の方、および研究家の皆さんは、ぜひ参考にしてください。
大国主による平定
速日別の国(熊本県)の菊池の高みに平地があり(まるで熊本空港を連想させる記述です)、
ここに「うじる時守頭」という、まつらわぬ勢力があったので、
大国主により平定されています。
このとき、オオナムジとスクナムジ(このために降臨)も参戦し、大軍が送り込まれていますので、かなり大きな勢力であったと思われます。
なお、この勢力と菊池氏を結びつける記述はありませんが、ニニギの命が降臨する前にも、菊池の地に、大きな勢力が存在していたことを裏付ける証拠です。
出典 『ウエツフミ』宗像本第6章第16綴 M16-6
http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=6&sno=16
菊池氏の祖先に関する記述
ときはくだり、第52代ウガヤフキアエズの命の治世に、久々智五月稚武の命(くくちさつきわかたけのみこと)という人の「恋愛物語」が書かれています。
この命がお供一人を連れて、速日の益城を訪れたときのこと、
川橋を渡るときに、川で洗濯をしている美人がいたので、「どこの家の娘か?」とナンパします。
少女にはとても上品なイケメンに見えたのか?一目惚れしたのに、恥ずかしがって答えません。
そこで歌にしてやりとりします。
<久々智五月稚武の命の歌>
意訳すると
『衣振る、すすぐ衣にいい香り。今夜は宿貸せ、尋ねた私に』
という、大変ストレートで、ハッキリ言えばヘタクソな歌でした。
<少女の返歌>
『畏こくぞ、田鶴がやってくるような荒野に、生える千々草、刈っていただけますか?』
という、こちらのほうは大変よくできた歌でした。
自宅を訪ねると、この娘は「益城稚女の命」という名前で、益城の地方長官・稚益城之男の命の娘であり、しかも(天の岩戸をこじ開けた)タジカラの命の子孫であることが分りました。二人は、さっそく結ばれます。
ところが、この少女、タジカラの命の血を引いているせいか、大変な力持ちで、米の七斗俵を片手で持ち上げたり、太刀で勝負させても誰にも負けないので、みんなを驚かせます。
第52代ウガヤフキアエズの命もさっそく会ってみると、みんなの言うとおりだったので、アメノウズメにちなんで、「クニノウズメ」という名前を賜ります。
M34-10
http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=34&sno=10
この記述から、紀元前数世紀の弥生時代に「ククチ」という姓を持つ一族が、ウガヤフキアエズ王朝の重臣として、代々繁栄していたことが分ります。
しかも、母方はアメノタジカラオの末裔であるというのですから、いくさに強いのは、当然といえば当然でした。
だから二千年経ったのちに、菊池氏に西郷隆盛という傑物が登場して、明治天皇に寵愛されたことも、祖先から続く因縁だったのです。
このことを、ぜひ全国の菊池さんにも教えてあげてください。
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