日本には、季節ごとに行なわれる「年中行事」と「お節句」というものがあります。
特に「お正月」や「桃の節句」、「菖蒲の節句」などは、現在でも各地で盛んにお祝いされる「定番」となっています。
これらの年中行事の起源について、どの文献を見ても「中国から伝来したものである」と、まことしやかに語られていますが、はたしてそうなのでしょうか?
実は、『ウエツフミ』には、これらの年中行事が定められた経緯が記されています。
なんと、第三代・ウガヤフキアエズの命の時代だといいますから、弥生時代の前期、推定、紀元前・数世紀の頃であり、いまから約3000年ほど前のことでしょうか?
当時の天皇が、人民に対して「これらの行事を祝うこと!」と、通達を出しているのです。
M17-10
まず、その内容を一覧表にしてみましたので、じっくりとご覧ください。
これを見て、日本人なら誰でもピンと来るハズですが、季節を彩る花や木と、穀物などの収穫物がうまく組み合わされており、毎月ごとに“自然と神の恵みに感謝する”行事としては、まさに「日本人的」なメニューとなっていませんか?
そして、各月の呼び名ですが「なるほどなるほど」と、その意味が納得できるようなネーミングであったことが分ります。
これが、誰かの創作であったり、中国からの輸入であるとは、とても思えないのですが・・・・?
私も、以前に仕事で、「年中行事」の起源についていろいろと調べてみたことがありました。
結論は、「もともとあった日本古来の行事のうえから、中国の行事が乗っかってきた!」
ということです。
例えば、「菖蒲の節句」のうえから「端午の節句」が被せられて、いつのまにか中国の屈原を祝う祭りとなって、鍾馗様を飾るように変えられています。
また、7月7日はもともと「かえでの節句」であったものが、中国発祥の「七夕」という行事が輸入され、織女と牽牛の伝説を祝う祭りとなりました。
さらに、1月15日に行なわれる「成人の日」ですが、これは菅原道真が中国の制度を学んで「元服の儀」を輸入したものだという記録が残っています。
⇒ちなみに、菅原道真は宮中の行事をすべて中国式のものに改めようとして藤原氏から睨まれています。だから大宰府に左遷されたのですが、逆に「国風文化の創始者」として神様になってしまっているあたりも奇奇怪怪です。
つまり、誰かが意図的に日本伝統のお節句を塗り替えて、中国起源のものに差し替えているのです。
これは、日本民族の存立基盤を揺るがせるための意図的な陰謀で、私は「思想テロ」と呼んでいますが、その犯人が誰なのか?まだ正確に特定できていません。
しかし、『ウエツフミ』のこれらの記述は、日本の伝統行事とお節句の起源が、弥生時代から存在していたことを証明しています。
だから、私たち日本人は、自分たちの民族と祖先にもっと誇りを持つべきなのです。
赤星憲一 (水曜日, 08 7月 2015 22:37)
1月1日の四方拝。今上天皇の祭事です。
増編年大友史料(竹田私立図書館蔵)によると、豊後大野市内の某神社では6月6日に神官の行事として四方拝の呪文と記述がある。