「ウエツフミ」には、日本語の起源が詳細に書かれています。
では、なぜ「古事記」「日本書紀」は、この部分を無視したのでしょうか?
しかもなぜ、わが国の正史を記述するのに「漢字」が採用されたのでしょうか?
そこには、悲しい歴史を想像せざるを得ません。
まず、「日本語」がどうやって誕生したのかを共有しておいてください。
「話し言葉」の起源
まず「話し言葉」の起源については、
大宜都神(スサノオに切り殺されて五穀を生んだあの神様です)の時代に、天照大神が萬言息吹比古の命と萬言息吹比売の命に、こう指示しました。
「私の孫が治める日本国は、言葉が大変難しくて聞き取りにくいので、汝らは天降りして、この高天之原の言葉を、日本人にそのまま移して教えよ!」
そこで、この二神は奈良県の「哮の御岳」に降臨して、全国にその話し言葉を伝えました。
http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=3&sno=13
「豊国文字」の起源
また、「豊国文字」の発明については、第2代・ウガヤフキアエズ天皇の時代に、下記の記述があります。
<旧字体の完成>
◆まず、天津八心思金の命が、「五声」を描きます。
これは自然から生じた人民の言葉の基本でした。
http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=19&sno=2
http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=10&sno=7
◆これに、五十言建の命(または五十猛の命)が、思金命の5つの声音「あ~お」から、天地の自然にある言葉の全てを、形のあるものは「形画」とし、無いものは「仮画」として、「五十字画」を造りました。
http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=10&sno=8
◆さらに、積羽八重言代主の命が、この「五十声音」に言霊を写して、その意味を文章に表しました。
http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=10&sno=9
<新字体の登場>
ところが、これを書くにはかなり時間がかかったのです。
そこで、言代兄田太の命と言代弟田太の命の2人が、「この文字を書きやすくしたい」ということで、書き直そうとしましたが失敗します。
そこで、神様に伺いを立てることになり、大分の速吸門(佐賀関)の向津島(無垢島か?)の「国の御柱石」の脇に繋がれていた小船に乗って、11日にも及ぶ神楽を奉納すると、天津神が現れて、「汝らはなかなかマメであるな。五十声音はそのまま並べよ。そうすれば書きやすい。また、清濁音と添え文字を作って足せ。」と、ご指示がありました。
そこで、兄弟神は、
◆あ~わの澄み文字50文字
◆が行~ば行の濁り文字20文字
◆添え字として「↑ヤ」と「○ワ」の2文字
合計72文字を完成させたのです。
カタカナの起源
これが、現在のカタカナの原型です。
そういえば、見れば見るほど現在のカタカナにそっくりですよねえ。
では、なぜこの「カタカナ」が正式な国の文字とはならずに、中国語である「漢字」と、その簡略形である「ひらがな」が採用されたのでしょうか?
それを考えれば、誰が滅ぼされて、誰が政権を握ったのか?が見えてくるハズです。
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