今回は、神武天皇の家族のお話しをしたいと思います。
というのも、『古事記』『日本書紀』を中心とする通説では、間違った情報が意図的に拡散されているからです。
ポイントは、下記の3点です。
(1)神武天皇の父君や伯父さん・叔母さんたちは抹消され、または他人と差し替えられています。
そもそもウガヤ王朝74代の歴史が抹消されている訳ですから、初代ウガヤ天皇~第71代ウガヤ天皇に至るまで、中間の70人が無視されているのは、当然といえば当然ですよね。
(2)神武天皇の正室や兄弟たち、そしてその子孫たち、つまりわが国の古代史を語るうえで欠かせない重要人物たちも巧妙に捏造されています。
つまり、大分から発祥した日向族が二度と復活しないように、日本人の記憶から消し去ろうとする強い意図が感じられます。
(3)とりわけ、記紀の記述と比較してみることにより、犯人が誰なのか?おおよその察しがつく部分が目立ちます。例えば・・・・
◆物部氏による「大物主」系統への差し替え
◆藤原氏による「海神」系統への差し替え
それでは、『ウエツフミ』に書かれた、正しい家系図を見てゆきましょう。
本当の父君
神武天皇の本当の父君は、下記の方であり、(初代)ウガヤフキアエズの命ではありません。
この方の時代に、九州を中心に観測史上最悪の大地震、日本全土を襲う大飢饉が発生し、これが理由で、この方が「神武東征」を決断します。
◆第71代・ウガヤフキアエズの命
【即位時の正式名称】 天照国照彦百異日臼の命
アマテルクニテルヒコ モモカヒウスの命
この、第71代を生んだ矢野姫(神武天皇の祖母)が難産であり、夢枕にニギハヤヒが立って生まれた子なので、神武天皇の父親は、観念上ニギハヤヒの子供ともいえます。
※正確には、ニギハヤヒが「自分を斑鳩山に祀れば、この子の守り神となろう」と言った。
だから、一部の出雲神道のあいだでは、「ニギハヤヒが東征してきた」と、伝えていますが、日向族にとってニギハヤヒはそんなに強い影響力を持っていた神様ではなく、矢野姫の難産のときに初めて「この神様は誰?」ということになった次第です。
<物部氏による捏造>
崇神天皇を始祖とする「物部神道」のあいだでは、神武東征に突然参戦してきたウマシマジを、ニギハヤヒとみなして、ニギハヤヒが参戦したかのように伝わっていますが、ウエツフミでは、この神は(神様なのですから)直接争いには参加していませんし、一連の神武東征の事件には一切登場しません。
※ただし、ウマシマジは本物の子孫だったようで、のちに秋津根の建(奈良県知事)に就任。この人物に物部氏の祖先を被せてきたか、最初から物部氏のスパイだったということ?
つまり、物部一族が、ニギハヤヒという神様を介在してここに割り込んできたということです。
<藤原氏による捏造>
さらに、神武東征から突然参戦して、なぜか宇佐に遠回りして、地元のウサツヒメと結婚する天児屋命(アメノコヤネ)ですが、藤原氏の祖先とされるこの人物、ウエツフミには一度も登場しません。
それどころか、神武東征には本物の中臣氏の子孫・中臣道之臣人の命(陸軍の作戦参謀)が大活躍していますから、天児屋命なる人物が介入する余地はありません。
皇軍が宇佐に迂回したというのも捏造です。そもそも皇族たちは食料増産指導のため全国に散っていたのであり、神武天皇も兵庫県から早馬で駆けつけています。
つまり、藤原一族が、ここから割り込んできたということです。
第71代の兄弟たち、つまり神武天皇の伯父さん叔母さんたちは、
◆高見香具山の命 別名・高倉下(タカクラジ)の命
のちの天香山命(後代になってから呼び名を変えられた?)、神武天皇に布都御魂という剣を渡したことで有名ですが、ニギハヤヒの子孫ではなく神武天皇の伯父さんです。
ナガスネヒコとの戦いでも大活躍して、のちに日下根の建(和歌山県知事)となります。
そもそも第71代が存在しないとしている記紀では、この方の存在が宙に浮いてしまいますので、「詳細不詳の人物」とされているのです。
◆宇摩志麻治(ウマシウチ)の命 別名・大久米の命
のちの道臣命、神武東征時は事実上の陸軍総大将であり、この人の知恵があったからこそ勝利できたともいえます。のちに常陸の国を開拓したことで有名ですが、神武天皇が滅ぼされたあと左遷されたものと思われます。
なお、ニギハヤヒの子孫とされるウマシマジとは全くの別人であり、名前がよく似ているうえ(意図的に)混乱する漢字が宛てられているので注意!
兄の高倉下の命と同じく、「詳細不詳」とされていますが、神武天皇の伯父さんです。
◆八百玉櫛姫
◆玉島姫(のちに亘理姫)・・・・・「陸奥の国の覇精高の上・亘理彦の夫人となった」とありますので、ナガスネヒコ一族のもとに嫁いだようです。ウエツフミはナガスネヒコのルーツを「亘理の覇精高の上であったが、追い払われて奈良に辿り着いた」と伝えています。
◆宮姫
母君
◆玉依姫・・・・・海神系の出身とあるだけで、ウエツフミにはほとんど記述がありません。
ちなみに、初代・ウガヤフキアエズの命の正室・玉依姫(豊玉姫の姪)とは同名ですが、全くの別人です。
そもそも時代が数百年違います。
ウエツフミには、玉依姫と名の付く人物が、少なくともあと数人いますので、初代・玉依姫にちなんで、その名をもらったのではないでしょうか?
兄弟たち
◆長男・・・・・五瀬(イツセ)の命、ナガスネヒコに討たれたため、その仇討ちとして神武東征が始まります。
つまり、意図的な侵略ではなかったということです。
現在も亡くなった地、和歌山の竈山神社に祀られています。
なお、記紀では頭に「彦」がついて「彦五瀬」などという呼び名に変えられていますが、彦は男性のこと、姫は女性のことであり、正式には「第72代 彦 五瀬の命」です。
◆次男・・・・稲氷(イナヒ)の命、ナガスネヒコとの戦いで、ナガスネヒコと同盟を結んだ新羅軍の船団を沈めますが、本人も戦死した海軍の総大将です。
記紀では「海に飛び込んで自殺した」と全く不自然な伝わり方をしていますが、間違いです。
自分が新羅軍船団を逃がしてしまったことに責任を感じて、海に飛び込んでサイモチの神(シャチの姿)となって追いかけたのです。
◆三男・・・・ヒダカサヌ(神武天皇)、第73代・ウガヤフキアエズの命
◆四男・・・・三毛野入野(ミケヌイリヌ)の命、兄の稲氷の命とともに新羅軍との戦いで戦死。この両名が祀られた神社が紀伊半島のどこかにあるハズですが、現在では不明となっています。
ただし、「ここを新宮という」とありますので、現在の新宮市?
つまり、新羅軍を滅ぼした大英雄たちなので、逆に新羅勢力からは恨まれているということです。
このように、神武天皇の兄弟たちは全員戦死していますので、三男のヒダカサヌが皇位を継承した訳です。
また、長男の五瀬の命は亡くなったあと、第72代に名誉即位しています。
一部の学説で、「当時は末子相続であった」と伝えられていますが、全くの間違いです。
皇后
ここが完全に捏造されています。
記紀では、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)となっていますが、ウエツフミには全く登場しない人物です。
しかも「大物主の女」ということですから、物部氏一族が別人と入れ替えたことは明白です。
後代になってから、奈良の豪族(志城氏?)の娘を皇室に結びつけたようで、崇神系列がここに割り込んできたということです。
本当の皇后様は下記の方であり、その後の歴史から完全に抹消されています。
◆イスケヨリ姫
神武天皇の正室となったのは「イスケヨリ姫」という方であり、「セヤタタラ姫」の娘です。
原文は豊国文字表記なので、変な漢字の宛て字はやめますが、イスケ村のヨリ姫という意味です。
大分県の「臼杵のイスケの村に住んで居た」とあります。
伯父さんの大久米の命の計らいで二人は出会います。
最初、神武天皇は「自分の好みで嫁を選んでは、皇祖神の教えに反する」と躊躇するのですが、大久米の命に「この人こそ神のみ心である」と説得されて、渋々と出合ったところ、あまりの美人であり、その御心も神のような女性だったため一目惚れしてしまいます。
お互いに歌を交わしながら交際し、めでたく婚礼の儀となります。
義理の母
そして、その母親である「セヤタタラ姫」ですが、記紀では「勢夜多々良姫命」であり、ウエツフミも認める「絶大な霊能力を持った巫女」だったようです。
◆セヤタタラ姫
もともとは由緒正しい皇族(第70代・大国小和田の命の娘)であり、絶世の美人でしたが、山の神の子を孕んでしまい、皇室にも迎え入れられなかったため「恥ずかしい」と、生涯独身を貫き、山に篭ってこの神の子=イスケヨリ姫を育てました。
この山こそ祖母山であり、山の神とは「大蛇」のことであり、いまでも「穴守神社」に大蛇の洞窟と骨が伝わっています。
そして、地元では「花御本」という名前で、宇田姫神社に祀られています。
さらに、この物語は「姥岳伝説」となり「平家物語」の「緒環」にも登場しています。
http://www.coara.or.jp/~shuya/saburou/saburo-frame.htm
<山の神とは?>
この「山の神」とは、「大山祇神(おおやまつみのかみ)」または「大山咋神(おおやまくいのかみ)=山王様」であろうと思われます。
◆大山祇神(おおやまつみのかみ)
この大蛇の姿をした山の神が「大山祇神」だとすれば、セヤタタラ姫とは三島神社の由緒にも登場する「玉櫛媛(たまくしひめ)」や「溝咋姫(みぞくいひめ)」と名を変えられた「勢夜陀多良比売」と完全に一致します。
その後、物部氏により書き換えられてしまったため「大物主」の妻ではありません。
なお、溝咋姫神・三島溝杭姫・三嶋溝咋姫・溝咋玉櫛媛・活玉依姫・勢夜陀多良比売などの多くの別名があるのは、物部氏による粉飾の結果だと思われます。
混乱している方も多いと思いますので、ひとことで説明すれば、「三島神社のご祀神は、大山祇神とセヤタタラ姫の夫婦」であり、その娘のイスケヨリ姫が神武天皇に嫁いだということです。
◆大山咋神(おおやまくいのかみ)
また、この山の神が「大山咋神(おおやまくいのかみ)=山王様」のことであるならば、「真名野長者伝説」ともつながってきます。つまり、真名野長者は単なる大金持ちではなく、山王様の保護を受けた由緒正しい皇族であったという可能性が高くなります。
そして、神武東征で大和にやってきた「セヤタタラ姫」と「イスケヨリ姫」の母娘は、神武天皇が滅ぼされたあと、その滅ぼした人物(たぶん崇神天皇)の人質となります。
だから三輪山で巫女として活躍するのです。
もしかしたら崇神天皇のことを「小蛇」だと批判して、ホトを突いて殺された倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)とは、この人質となった「イスケヨリ姫」のことかもしれません。
そうなると「箸墓伝説」とも繋がってきます。つまり箸墓古墳に埋葬されている倭迹迹日百襲姫命とは、「卑弥呼」のことであるという説です。
さてさて、以上の推測を全てつなげると、
◆「卑弥呼」とは「セヤタタラ姫」のことであり、
◆「壹與」とは「イスケヨリ姫」のことである。
という結論になります。
つまり、神武天皇を失って一時的に綏靖天皇が立てられた「豊の国こと邪馬台国」は、残された母娘が女帝として君臨した。・・・・という解釈が生まれますが、証拠に乏しいので、今は仮説ということにしておきます。
向妻・アビラヌ姫とその子供たち
◆アビラヌ姫・・・・・阿蘇の熊襲、阿多氏の娘とあるので、阿多隼人との政略結婚と思われます。
このアビラヌ姫が生んだ子供が、タギシミミであり、イスケヨリ姫に夜這いをかけたうえ、反乱を起こして異母兄弟に討たれたことで有名です。・・・・「タギシミミの反乱」
また本人が希望して陸奥の国の菊多山で薬師になったとありますので、ここでナガスネヒコ一族と合流した可能性もあります。(熊襲とアラハバキ族は同属だという説があるので)
詳しくは、こちら。
◆その弟がキスミミですが、ほとんど記録がありません。
正室・イスケヨリ姫の子供たち
◆カムヌナガワミミ・・・・のちに綏靖天皇と呼ばれますが、ウエツフミでは第74代・ウガヤフキアエズの命です。
臼杵川の上流の渟名川(ヌナガワ)から材木が流れ着いたので、その材木で産屋を建てたことに由来する名前です。
どういう訳か、「竹内文書」からは、この方が抹消されているのですが、ここにも物部氏の陰謀が見え隠れします。
◆ヒコヤイミミ・・・・初代・橿原宮の宮主となり、鳥見山に住みました。
物部一族が物部神道の祖だと主張しているのは、この方のことかもしれません。
◆カムヤイミミ・・・・本人の希望で、阿蘇山で薬師になりました。これが阿蘇神社と阿蘇氏の祖先と考えられます。
以上のように、タギシミミ、キスミミと合わせて合計5人の子供が生まれました。
まとめ
さてさて、神武天皇の複雑な家族構成をご理解いただけましたか?
ところが、誠に残念なことに「ウエツフミ」の記述は、ここでパッタリと途絶えます。
多分、日向族とウガヤフキアエズ王朝はここで滅ぼされたようなのですが、その犯人はもうお分かりですよねえ?
千家午庫 (火曜日, 06 10月 2015 16:32)
古代史をいろいろ探索しています。古史古伝は偽書とし、そのせいで何が何やら辻褄が合わない日本史を作り上げている日本は面白い国です。ある種権威筋から外れている専門家や素人(とてもそうわ思えないが)が様々に研究されて世に問うている。怪しい面も多少はあるが、古代の周辺国や中国(歴代王朝)の文書に倭国、日本と記録されているのに認めようともしない。日本の文書は破棄できても他国のものまではできない。本気になって日本史を研究されているのだろうかが疑わしい。天皇家に関わる大事かも知れないが、天皇家の万世一系も大化の改新前後からでいいのではないか?それでも世界壱なのだから。それ以前はよく創作される神話としてはどうなのかとつくづく思います。仮に天皇家に伝わっている誰も知らない事実があるのならば、公開されてもいいのではないだろうか。せめて、古墳は公開して研究された方がいいように思える。天皇家より古い家が数家あるそうですが、これも不思議です。いや、現実にはあっても不思議ではないのですね。だどればたくさんありそうですね。高貴な世界はいまだに秘密の世界なのですね。上記はなかなか興味深く読ませてもらっています。古史の研究はしていませんので、全くの素人の大雑把な感想ばかりで申し訳ありません。