崇神天皇は日本人ではない!その異常な言動を暴露!

みなさんは、第10代・崇神天皇(ミマキイリヒコ)という人物を、どこまでご存知ですか?

 

ちなみに、「タタリ神天皇」ではありませんよ、

「スジン天皇」と読んでください。

 

記紀をじっくり読み込むと、これまで表沙汰にされて来なかった、驚愕の事実が浮上してきます。

 

今回は、ご批判を覚悟のうえで、その異常な言動を、あえて大胆告白します!


生きた人間が生き埋めにされた!皇子の葬儀

そのとおり、「生贄の儀式」が行われていたのです。

 

皇子の倭彦命の葬儀では、

「近習者を集めて、生きたまま陵のまわりに埋め立てた。何日も死なず、昼も夜も泣き叫んだ。ついに死んで腐った死体は、犬やカラスがついばんだ」

と「日本書紀 垂仁28年」に書かれています。

 

兄弟の垂仁天皇は、この泣き叫ぶ声を聞いて、ついに我慢できなくなり、「殉死禁止令」を出しました。

(すごくフツウですよね、この人)

これ以降は「埴輪」が、殉死者の代役を務めることとなります。

これを助言したのが、野見宿禰だと言われていますが、いずれにせよ秦の始皇帝の兵馬俑とも関係がありそうです。

つまり、日本の伝統儀式ではないということ。

 

崇神天皇本人の葬儀はどうだったのか?については書かれていませんが、多分、ご想像の通りです。

なぜ、こんな残酷なことを始めたのか?全くもって不可解ですが、実は卑弥呼もこの「殉死」を行っているのです。

「徇葬者の奴婢は百余人」だったと魏志倭人伝に書かれています。

つまり、二人とも「日向王朝」とは全く関係の無い人物だということになります。

なぜなら、ウエツフミによると、神武天皇の時代までは、このような野蛮な風習は全く存在しなかったからです。

 


疫病で人口が半分にまで激減、その驚愕の理由とは?

即位してから5年、疫病が大流行し、人口が半分以下に激減しました。

翌年には、百姓たちが流浪し、あるいは反乱を起こす者まで出てきます。

(つまり、まだ年貢を徴収していたということ?)

そして、その理由が、なんと「大物主の意思(タタリ)である!」というのです。

 


そして採られた対策が、天照大神の解任?

これを聞いた崇神天皇は、なんと天照大神と倭大国魂(大国主とされる)を、宮中から追い出して、その代わりに大物主と入れ替えて、これをオオタタネコに祀らせます。

災いをもたらしたタタリ神を祀るということは、つまり「悪魔崇拝者」であるということ!

出ました、陰謀論者たちが喜びそうな、あのイルミナティの一派だったのかもしれませんよ。

 


さらに、人民に新たな税金(調役)を課す。

ここまで国力が疲弊しているのに、この人は新たな税金を考案します。

しかも、わざわざ人口を調査したというのですから、まるで鬼ですよねえ。

 

そして、「男性は狩猟をして動物の肉や皮を納めるように!女性は布や糸などの手工業品を納めるように!」と命令します。

穀物以外に、新たな追加税制ですよ。

しかも、弥生人が忌み嫌っていた「四つ足」を差し出せというのですから、いったい何人なのでしょうか、この人?

 

それでは、このときの崇神天皇の大演説をお聞きください。

「チンは、初めて皇位を継いで、国家を運営することになったが、光が届かない所も多くあり、私の人徳でも防ぐことができなかったため、陰陽道が狂い始め、寒さ暑さの秩序が乱れて、疫病が大流行し、百姓が被害を被った。しかし、いまはその罪を払い、過ちを反省して、厚く(大物主)神を祀っている。」

(あれあれ、自分の政治責任はどこかに飛んじゃってますよ。しかも天照大神の罪みたいなコト言ってますが・・・)

 

「(だから)今後は、文句を言うヤツは許さん、反抗したら兵隊を送ってぶっ殺す!だから役人は腐敗するな、人民は逃げ隠れするな!ちゃんと仕事しろよ。帰化人たちも沢山移住してきて、外国からも評価されている。今後はさらに、人民を奴隷化して、誰が領主様なのか?税金を納めないとどういうことになるのか?思い知らせてやる!」

(ついにホンネが出てきましたが、まるで現在のどこかの首相みたいなことを言っていますよ)

 

つまりこの人、日本伝統の天皇ではなく、西洋発祥の「絶対王政」の創始者なんじゃないでしょうか?

だから「ハツクニシラス スメラミコト」と呼ばれたのです。

 


その正体は、ヒモほど細い「小オロチ」だった!

妻である倭迹々日百襲?命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)と、一夜を共にしたときのこと。

 

モモソ姫 「いつも夜しか来てくれないのネ。本当のお顔が見とうございます。今日は朝まで居てネ」

崇神 「ヨッシャ分かった。オレ様のイケ面に驚くなよ」

----そして朝になってみると----

モモソ姫 「アレー!まるでパンツのゴムのように細くて短いオロチだこと」

と、大笑いしました。

すると崇神は、たちまち人型にシェイプ・シフトして、

「くそー、オレ様に恥をかかせたな。復讐してやる」といい、

モモソ姫はハシであそこを突いて死んでしまいました。

だから、ここを箸墓(ハシハカ)といいます。

 

ウソのような本当の話で、以上の逸話はそのまま「日本書紀」に書かれています。

この記述を素直に読むと、「短小包茎だった崇神天皇を、モモソ姫が馬鹿にした」とも取れますが、そんなスキャンダラスな事件が、国の正史に取り上げられること自体がいかにも不自然です。

 

つまり、日本書紀の編集者である藤原不比等も、崇神天皇を嫌っていたという証拠であり、さすがに物部氏の書いた「古事記」にはこの記述はありませんが・・・・。

 

このモモソ姫、実は神武天皇の正室であるイスケヨリ姫であり、日向族が滅ぼされたあとに人質として連れてこられたという説もありますが、まさにそのようにしか思えません。

 

もっと重要なことは、陰謀論者がまたまた大喜びしそうですが、崇神天皇がシェイプ・シフトする「レプティリアン=爬虫類型宇宙人」だったということです。

 


そして、大酒飲みで暴力的だった

なんと三輪神社で大酒を飲んだという記録もあり、このときに酔っ払って帰らなかったので、役人たちが歌に託して「朝になったら帰りましょうね」と忠告しますが、本人は「門が開かないんだから、しょうがないでしょ、ウイー」と返し、そのまま飲み続けたといいます。

まるで、スサノオに退治されたヤマタのオロチのようですが、本人は小オロチなんだから、当然と言えば当然ですよね。

 

そして、その性格が暴力的であったことも冒頭に書かれています。

「その本性はサカしく、幼い頃から雄略(勇ましい戦闘)を好んだが、オトナになってから謹んで、天つ神と国つ神をタタリ神としてあがめた」と、まるでいいところがありません。

母親は物部氏の女だとありますから、その子孫とされる織田信長とも共通する凶暴性が持ち味だったようです。

 

そして、その戦略突撃部隊が「四道将軍」と呼ばれた人たちです。

記録こそ一切残されていませんが、何人の人たちが殺されたのか、想像するに余りあります。

 


さらに、出雲大社のご神宝を略奪

あるとき突然「出雲大社にあるご神宝」が見たいと言い出し、これを盗ませます。

そのお宝とは「武日照命が天から持ち帰った」あるいは「出雲梟帥が佩ける太刀」としか書かれていませんが、私の知る限り天上界からやって来た太刀とは「天叢雲剣」ひとつしかありません。

そうです、スサノオがヤマタのオロチの体内から取り出したアレです。

その行方が書かれていませんが、多分このときから三種の神器は「草薙の剣」に差し替えられています。

詳しくは、こちら

 


いたるところに表れる「儒教思想」

この方の言動を分析してみると、その根本にあるのは中国の儒教の思想です。

例えば、

王権神授説・・・・王が人民を治める権限を神から授かること

人民を司牧・・・・馬鹿な人民を奴隷のように扱うこと

群臣の忠貞・・・・下のものは上のものに絶対服従すること、その姿勢を「忠」といい、その上下関係がブレないことを「貞」という

 

つまり、神⇒王⇒民の序列をはっきりさせるということであり、逆に言えばこれに従わないものは暴力で強制的に従わせるという意味でもあります。

これは、日本の神道には全く見られない考え方であり、日本の天皇は、人民を代表して神の教えを聞く立場、つまり神のもとに人民と天皇は平等であるという立場を取っています。

 

この天皇から突然、中国の思想を語り始めたということは、どういうことでしょうか?

この頃、中国と日本が頻繁に交流していたという記録はありませんから、つまり中国の思想を学ぶ方法がありませんから、崇神天皇自身が、大陸からやってきたと見るほうが自然なのではないでしょうか?

 

そして、崇神天皇が大陸からやってきたとすれば、日本古来の神代文字が否定されて、漢字とその簡略形である「ひらがな」に統一された理由も明確になってきます。

つまり、中国を統一した秦の始皇帝の子孫たちが、日本にまで勢力を伸ばしてきて、「中華思想」に染めようとした、ということではないでしょうか?

「統一する」とは、「異なるものを排除する」ことに、ほかならないからです。

 


結論----その正体とは?

以上のことを裏付ける記述が、ウェブで検索するといろいろと出てきます。

例えば・・・・

 

◆崇神天皇は、徐福の子孫、あるいは徐福本人である。

◆新羅に渡った、始皇帝の残党である。

◆秦氏が大陸から呼び寄せた雇われ天皇である。

◆騎馬民族であるツングース族の出身である。

 

そして、ここからは私の推論ですが、

のちに推古天皇が「(崇神天皇の時代に)四夷化して朝と成す(4つの外敵が化けて朝廷となった)」と嘆いていますが、この四夷とは、即ち「四道将軍」のことであり、

1.騎馬民族出身の崇神天皇

2.徐福の子孫である物部氏

3.海洋民族の海部氏/安曇氏こと、百済王の子孫である藤原氏

4.秦氏の子孫である岡山の吉備津彦

 

即ち「失われた10氏族」のうちの4氏族が日本に集結したということのようです。

これら帰化人たちが連合して樹立した政権を、「ヤマト連合王権」と呼んでいるのです。

 

崇神天皇本人の亡骸が発掘されない限り、本当のことは闇の中ですが、たったひとつだけ確実に言えることがあります。

 

それは、「崇神天皇は日本人ではない!ましてや歴代天皇のキャラとは全く異なる」ということです。

 

その証拠は、あなたの心に聞いてみてください。

多分、この天皇の異常な言動に、拒絶反応を示しているハズです。

 


コメント: 2 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    赤星憲一 (木曜日, 24 12月 2015 14:38)

    この記事から、延々と70数代続いたウガヤフキアエズ王朝の平等共同全民主義の血脈が現在の日本人にあるし、
    一部帰化人血脈により、中国の奴隷王朝の差別選民主義も現在の日本人にある。

  • #2

    吉田耕司 (金曜日, 25 12月 2015 14:51)

    斬新なご意見ですが、私が少し勉強したものとは違います。崇神天皇は饒速日命ではないでしょうか。神武天皇に逆らい、戦いを挑んで敗れた長髄彦を殺害して、神武天皇を迎え入れた王です。神を崇めるという名前は疫病や天災を鎮めるために各地にスサノオ系の神様、つまり出雲の神を祀らせた天皇ですが、神武天皇と同時代に生きた人と思われます。