この写真は高槻市にある「今城塚古墳」に埋葬された大王を復元したものです。
【出展】http://guide.travel.co.jp/article/3542/
6世紀前半の継体天皇ではないか?と言われていますが、私はもっと古いものであろうと考えています。
ズバリ、これは弥生時代の服装です。
なぜなら、「ウエツフミ」には、服装や髪型や装飾品について、細かい決まりがあり、弥生時代の人たちは、このルールを守って生活していたからです。
例えば、写真でも分かる様に、当時の人たちは腰帯の端を前に垂らすのが決まりでしたが、この垂らすスソの長さまで男女別にキッチリと決められていたのです。
その他、詳しくはこちらから。
ところで、関西の古墳から出土する石棺には「阿蘇ピンク石」が多く使われていました。
なぜわざわざ遠い九州から、重たい石を運んでくる必要があったのでしょうか?
「ウエツフミ」は、この疑問にも的確に答えてくれています。
それは、「蘇生の術」に必要だったからです。
死期が近づくと、まず「奥津喪家(おくつやくへ)」という、あの世に旅立つための特別な建屋が建てられました。(産屋とは正反対の目的で・・・・)
そこに移された、あの世とこの世を彷徨う魂は、
禮衣(いやけし)という白装束を着せられて、
速吸の門から汲んできた海水を温めて、(必ず佐賀関の海水でなければならない)
これを満たした「舟形石棺」に寝かされました。
そうです、船の形をした、あの浅いバスタブのような、細長い石棺です。
この舟形石棺の材料が、「阿蘇ピンク石」でなければならない!」と考えられていたのです。
そうでなければ、ある効果が出なかったのです。
そして、ここで「息呼ぶせの呪(いよぶせのまじ)」、つまり死者復活の儀式が行われました。
このときに使われた呪文が、有名な「十種神宝」です。
そうです、ニギハヤヒが伝えた秘宝だとされていますが、実は呪文だったのです。
下記に、その呪文の全文を掲載しておきますので、みなさんもぜひ声に出して読んでみてください。
ウエツフミでは、「よろずマガコトにも使える」と書かれています。
おくつかか へつかか
つるぎかか いきかか
たりかか しなずかか
ちもりかか かもりかか
むしひれ はちひれ
へみひれ けものひれ ものひれ
ひひ ふふ みみ よよ いい
むむ なな やや ここ とと
もも ちち よよ
ふるべ ふるべ
ゆらべ ゆらべ
【出典】『ウエツフミ』宗像本第36綴第7章
http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=36&sno=7
そして、この蘇生術のお陰で生き返った天皇も多く居ました。
だから、天皇の寿命が200歳とか300歳とか信じられないほど長生きできたのです。
以上から、「阿蘇ピンク石」を取り寄せた大王とは、九州王朝の出身者、またはその子孫であった可能性が高いということです。
つまり、神武東征により、天皇家の本拠地は関西に移されましたが、その祭儀様式や文化伝統は、依然として九州発祥のものが重宝されていたということでしょうか?
赤星憲一 (火曜日, 29 12月 2015 17:55)
不老不死、又は不老長寿にホモサピエンスと言われる人類が今なお憧れる。
我が豊後大野市大野町には、竜宮を祭る神社がある。
その地は片島と呼ばれ、うえつ神社がある。上津神社。あげつ神社とも。
北園、中道にも、浦島太郎を祭る神社がある。
玉手箱を開けた途端に年を取る。
末筆ながら、皆さま、よいお年をお迎えください。
takumi (金曜日, 22 1月 2016 23:47)
いつも興味深い記事を楽しく読ませていただいております。
阿蘇ピンク石とは、馬門石のことかと思いますが、熊本の宇土市にしか見られない石(土)です。
宇土(うと)=まさしく宇宙の土であり、高い波動を放つ石として認識しております。
ちなみに、宇土市は、中央構造線の西の端に位置することからも、ゼロ磁場としての波動の高さは納得いくところです。
天皇の棺で有名な馬門石(阿蘇ピンク石)ですが、骨壷としても、理にかなっていて、熊本の地元で製作されていると聞きました。
太古のロマンがひしひしと感じられる素晴らしい石だと思います。