---- なぜ記紀はこの神を無視したのか? ----
神話では、イザナミがお産をするとき、ホトをヤケドして重症を負います。
それは、カグツチという「火の神」が生まれたためでした。
この神は、のちに火山とマグマを司る神様として、愛宕神社に祀られます。
ところが、この神様は、記紀からは全く無視されています。
なぜでしょうか?
私には、記紀が意図的に日本国の自然秩序を混乱させようとしている、としか思えないのですが・・・・。
ウエツフミでは、この神様について詳しく書かれていますので、正確に再現してみます。
カグツチの由緒
ガグツチの本名は、
天津座高津座置清御魂瑞之火産巣日の命
あまつくらたかつくらおききよみたまみづのほむすび
別名は、
ヒノヤキハヤオ、またはヒノカカヒコ
その妻は、
ヒノヤキハヤメ、ヒノカガヒメ、またはホノカガヒメ
⇒記紀では様々な異なる漢字が充てられて、大混乱していますので(意図的に?)、ここでは豊国文字に最も近い、カタカナを正式表記としています。
なお、この夫婦神は、天の北にある「火星(とむつつ)」を司る神だとしています。
⇒火星が現在のように生物が住めなくなったのは、火山と何らかの関係があるのかもしれません。つまりカグツチが滅ぼされた?
さらに、ウエツフミでは炎のことを「カカ」と呼んでおり、現在でも「かがり火」という言葉に残っています。
ツチは文字通り土。
だからカグツチは「カカツチ」から来ており、その名はまさに「炎の土=マグマ」を意味しています。
この神が生まれてイザナミが病気になったあと、たて続けにその兄弟たちが生まれます。
つまり、カグツチは長男であったということです。
◆金山彦と金山姫・・・・鉱山と冶金を司る神
オオケツ国(徳島県)の阿波の鳴海(板野郡オホケ山)に祀られる
◆埴安彦(別名:埴山彦)と埴安姫・・・・土器と陶芸を司る神
白日(筑前筑後)の小門(早良郡小門浦)に祀られる
⇒崇神天皇に反乱を起こした武埴安彦と吾田媛夫婦とは、この神の子孫か?
◆ミズハノオとミズハノメ・・・・地下水と治水を司る神
◆トヨウケヒメまたはオオケツヒメ・・・・農作物を司る神様
本名をワクムスビトヨタマツヒコ(ヒメ)、別名を豊岡姫、宇迦之御魂神(ウカノミタマ)
そして、この5人兄弟が揃うと、自然災害の無い豊かな暮らしが実現出来るよう配慮されているのです。
カグツチの慙死
火傷で亡くなったイザナミを見た夫のイザナギは怒り狂って、天之尾羽張という剣で、カグツチを切り殺してしまいます。その死体は三段に分かれました。
記紀は、ここで終るのですが、ウエツフミでは蘇生術が行われてカグツチは見事に生き返るのです。
<ウエツフミの記述>
イザナギ・イザナギが天上界にこのことを報告すると、八百万の神々は、さっそくフトマニで占います。
すると「神避りき 然り 由無し」つまり、大凶と出ます。
そこで蘇生術を行うことが宣言され、その方法が伝授されます。
【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=1&sno=5
カグツチの蘇生
イザナギとイザナミが、黄泉国から帰ってきてカグツチを見ると
そのしたたる血が、天に上って「天之安の河原にある五百箇石村」となりました。
また飛び散った血が、山の草木を染めていました。(噴火で木が枯れたことの例えか?)
そこで、さっそく天上界から教わった蘇生術を行うと、カグツチは元気に生き返りました。
ここに、イザナギとイザナミはカグツチに宣告します。
「汝は、天上界で神となって、木や水などの恵みをもたらして、人民の幸福を守れ。」
するとカグツチは喜んで、タケミカヅチ(タケフツ)やトヨフツなど多くの子孫を産みました。
さらに大山津見と大山媛の夫婦も喜んで、そのアタマを撫でたので、山の神々が生まれました。
【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=1&sno=7
火山の神に就任
そして、最後に天照大神が生まれ、太陽神として天上界を統治することとなります。
このとき、イザナギ・イザナミは、カグツチとホノヤキハヤメ夫婦神にこう命令します。
「汝らは、人民を助けるため、地上界の山野に火を封じ込めて、草木で山野を満たせ。」
そこで二人は、山野に向かい立ち、
「火千よ 火百よ 火萬よ 斎てよ 愛でよ 宣りよ 宣りよ なになに 垂るる火ハ 天の香具の山の火なり」
「お前たちは、封印されて、絶対に出てくるな!」と、唱えます。
【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=2&sno=4
このおまじないの言葉から、「天の香具山」とは、火が垂れた状態の山、すなわちマグマが噴出した火山であったことが分かります。
だから、大分県別府市にある「火男火売神社」には、鶴見岳の噴火を鎮めるためにカグツチが山頂に祀られているのです。
もともと、鶴見岳が「天の香具山」と呼ばれていたという説とも、つながってきます。
⇒古田武彦氏が「万葉集」の舒明天皇の歌を分析し、「香具山から海やカモメが見えるのはおかしい」として、鶴見岳であると結論付けた。
【参考】http://bud.beppu-u.ac.jp/xoops/modules/xoonips/download.php/bs01817.pdf?file_id=181
さらに、ウエツフミのこの記述からも、火山の無い関西に、天の香具山が存在する可能性はゼロということになります。
⇒しいていえば、神武天皇が遷都した際に、故郷の山の名前を付けた可能性もあります。
ところで、「火男火売神社」に関するwikipediaの説明なかに、重要な記述があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%94%B7%E7%81%AB%E5%A3%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE
キリシタン大名に改宗した大友宗麟は、この神社を焼き払ったというのです。なぜ?
このことは、最後につながってきますので覚えておいてください。
この「火山を鎮めるための神社」がのちに「愛宕神社」に発展するのですが、いまではカグツチの由来とともに忘れ去られようとしています。
例えば、火産霊命(ほむすびのみこと)と名前を変えられて「防火の神様」になっていたりしますが、上記のとおり、「ホムスビの命」がカグツチの正式名称であり、あえて漢字を当てるなら「火結霊命」のほうが近いような気がします。
ここにも、外国人勢力による作為を感じます。
考察---なぜ記紀はこの神を削除したのか?
さてさて、それでは冒頭の疑問に戻ってきます。
はたして、カグツチは忘れられようとしているのでしょうか?
それとも、故意に消されたのでしょうか?
まず、記紀におけるカグツチの扱いを見てみましょう。
◆カグツチは死んだ。(蘇生されたという事実は抹消)
◆火山を治める神は存在しない。(カグツチが就任したという事実も抹消)
◆さらに、ミズハノオとミズハノメ(前出)が、洪水を治める神に就任したという事実も抹消
もう滅茶苦茶で目を背けたくなります。
記紀の作者は、日本国の安泰を真剣に考えていたのでしょうか?
さらに、『祝詞』の「鎮火の祭」におけるカグツチの扱いを見ても
◆カグツチに「まな弟子(おとご)」という当て字を使って末弟であるとした。
⇒ウエツフミの解釈からは「真名男子」であり、長男のことである。
◆イザナミは「心悪しき子を産み置きて来ぬ」と、カグツチを生んだことを後悔しており、
◆さらに「4神を産んだ」ので「これらの神で鎮火しなさい」と言わせた。
⇒(上述のとおり)この5神は兄弟なのに、兄弟同士を対立させるという構図になっています。
つまり、「火と水が争え!」と、唱えさせられている訳ですが、これは藤原氏の仕業?
以上から、「火の神」と「水の神」は、明らかに意図的に削除され、「無力化」されていることが分かります。
ウエツフミでは、「これらの神々の怒りが自然災害をもたらす」と説いていますが、その重要な神たちを、あえて亡き者にしようとした意図は何だったのでしょうか?
噴火や洪水などの大災害で日本国が滅ぶことを、暗に願っているとしか思えません。
ヒントは、大友宗麟の謎の行動です。
しかも彼はキリシタン大名でした。
宇佐神宮を焼き討ちにしたり、1600人のサンカを殺害したり、地元民からはまさに「キチガイ大名」と非難されていました。
その異常な行動をみると、どうやら普通のクリスチャンではなかったようです。
⇒あえていうなら「無神論者」です。その証拠はそのうちに・・・・。
そして、それと全く同じことをやったのが、明治政府です。
明治政府は、薩摩と長州の連合政権でしたよね。
そして、島津家の家紋は丸に十文字ですよね。
つまり「グノーシス派」や「ケルト十字架(ネオナチのシンボル)」と同じマークを使っていたということであり、これを45度傾けると、「統一教会」やナチスドイツの「ハーケンクロイツ」とも重なります。
⇒右側の赤色の勢力が長州藩とつながっていたのではないかと考えますが、現在調査中。
⇒ちなみに、豊後岡藩の中川氏も、世代によっては似たような家紋を使っています。(抱き茗荷が正式)
もう一度思い出してください。カグツチは火山を治めるための神様です。
それでは、火山活動を活発にする神様は居るのでしょうか?
居るのです。
それが「火炎崇拝」です。
世界的に見ると、「火炎崇拝」を行う勢力は少なくありません。
例えば、ユダヤ教のヤハウェ(八幡神ともされる)はしばしば火に例えられますし、
ゾロアスター教は、別名「拝火教」とも呼ばれ、聖なる火が大地を焼き尽くして浄化すると教えています。
つまり、この世の中は「善神」と「悪神」との戦いであり、あえて「悪神」の役目を買って出る勢力も実在しているということです。
それでは、「悪神は不要か?」と聞かれれば、一概にそうとは言えません。
この神が居なければ人類は堕落して何も考えなくなってしまうからです。
「災害は忘れた頃にやって来る」
寺田寅彦の名言ですが、それは人類の使命と進化について暗示しています。
<結び>
以上、証拠の少ない独自解釈の世界に突入してしまいましたが、いずれにせよ『古事記』や『日本書紀』のなかには、よく分からない世界勢力の意向が大きく反映されているということです。
そして、『ウエツフミ』だけが、もともと日本の地に発祥した本当の神話を正確に伝えているということが、ご理解いただけたでしょうか?
最後に、最近の火山活動の活発化や大洪水の発生などの自然災害の脅威に対しては、それをコントロールする神様たち、例えばカグツチやミズハノオが居ることを、もう一度思い出してください。
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