田中勝也氏が公開されている『宗像本』のテキストをもとに、私が現代語に訳したものです。
当方、素人のため誤記や解釈違いがあると思いますので、ぜひ「お問合せ」からご指摘ください。
「神代」については、ほぼ『古事記』『日本書紀』と内容が一致しています。
むしろ先に書かれたウエツフミの底本を参考に、あとから記紀が作られたのではないかと、私は解釈していますが、ここでは「神代」については省略させていただきました。
>>>「上記」の神代を解説しているサイトはこちら。
また神々の敬称についても省略させていただきます。
(高千穂に天孫降臨したニニギだったが、しばらく二上の大宮で過ごしていると・・・・)
ここに、イザナギ、イザナミ、天照大神、アメノオシホミミ、タマヨリヒメは、一緒になって、
天津御子であるニニギに、こうお告げになりました。
これ豊道之原の中津国(地球の中心にある国という意味、即ち日本国)は、天津諸々の神たちが造り固めました。
しかし、造り終わっていないところもあるので、汝は、国の国々、島の島々の未完の土地を求めて、造り固めなさい!
また、人民たちに便利が良いようにしなさい。
汝は、大須佐田、小須佐田を極めて開いて作りなさい。(※意味不明だが、田んぼのことか?)
また、人草のような人民たちを、撫でるように可愛がりなさい。 」
と、イミスキとイミクワを遣わして、言依り(※イタコのように憑依して代言させること)させ賜いました。
ここに、ニニギに大須佐田と小須佐田(※意味不明)を極めようと、
臣下の神たちに言依り(※前出)させて、
「臼杵の平地、大分の平地を開いて水田を固め、
また直入(※現在の竹田市)の荒野、阿蘇の荒野を開いて畑を固め、
ニニギとその妃たち、御子たち、 八百の(※数多い)臣たちとともに、
豊種津物(※豊かな農作物)を作り出して食を安定させよ。
また、その種で、東の端から西の端まで、賄わせるのだ。」
と、おっしゃいました。
ここに、ニニギは国巡りをしようと、オモイカネ、コヤネ、フトダマの3人の命たちに、国廻りの道筋を指示しました。
(※オモイカネは岩戸開きにも登場する知恵の神だが、主にフトマニによる占いを担当。アメノコヤネはヤタの鏡を預かる右大臣で中臣氏=藤原氏の祖先。フトダマは剣を預かる左大臣で忌部氏/斉部氏の祖先。)
ここに三柱の神たちはともに会議を開いて、 多くの神々も同行させることに決めました。
(以下、同行する神々の名前と役割、その装束など・・・このときに同行した主な神々のリストはこちら)
ここに、ニニギは国廻りの装束を着て、「二上の大宮」(ふたのぼりのおおみや※高千穂にあった大宮殿)を出発されるときに、サルタビコとウズメが直前に立って固め、清めながら、お守りしました。
(※この二人は天孫降臨のときにも道案内をしているが、その後どこに行くにも同行している)
同行した神々(※省略)と一緒に、笛や太鼓を打ち鳴らしながら大分の国に到着しましたが、その一行の装束があまりにも美しかったので、大分の人々はみんな、畏み喜んで祝詞を歌いながらお迎えしました。