古代の知恵に学ぶ現代の危機
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現在コロナウィルス報道の陰に隠れて、あまり話題になっていませんが、アフリカ東部ではバッタが大発生しているようなのです。
⇒【報道記事】2020.2.25付
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/022400121/
なぜだか分かりませんが、このバッタという昆虫、ある日突然に大発生して、人間の食料となる農作物のみならず、周辺の木や草を一瞬にして食べ尽くしてしまいます。
つまり、人類を絶滅させるほどの危険性を持っている“悪魔の使い”なのです。
それはわが国においても例外ではありませんでした。
私が研究する古代史の世界でも、少なくとも過去2回、このバッタに襲われて、文明が崩壊しかけています。
ひとつは、大分県に山王神が降臨して、仏教の大切さを初めて説いたときのこと。
それは仁徳天皇の時代の西暦319年だといいますから、古墳時代の末期にあたります。
山王神は「今後7年間は凶作が続くだろう」と警告を発し、その使いとして猿の大群を村里に下ろします。
このままではコンカイという害虫が大発生し、田畑を食い荒らし、牛馬もすべて絶滅するというのです。
実際に、仁徳天皇が高い山から国を見渡すと、どの家にも煙が昇っていなかったといいますから、深刻な食糧危機が襲っていたことが推察されます。
⇒詳しくは、こちら。
もうひとつは、これからご紹介する出雲国が滅亡の危機に瀕したときのことです。
『古事記』『日本書紀』が省略してしまったこの大惨事を、『ウエツフミ』だけが克明に伝えています。
それでは、一体何が起こって、なぜそうなって、どうやって対処したのか?
貴重な祖先たちの記録を一緒に見てゆきましょう。
神話の体裁をとって分かりやすく語られていますが、そこには現代にも通じる“古代の知恵”が満載されているからです。
バッタの大発生に関するウエツフミの記述
バッタが大発生した経緯
その頃、出雲国の大王であった大国主は、隣国・越の国との戦いの真っ最中でした。
⇒その経緯は前回紹介したので、まだ読んでいない方は、こちらから。
その最前線の駐屯地にいたアジスキタカヒコネ(大国主とスセリ姫の間に出来た子供で別名を一言主)のもとに、諸国の豪族たちが集まってきて、こう訴えます。
「田畑の農作業を助けてくれる貴重な牛や馬たちですが、もしも年老いて死んだときには、その皮は敷物などにしますが、その肉を食して、(主食である)穀物や野菜を補う食料にしてもよろしいでしょうか?」
この奥歯に物のはさまったような、まどろっこしい言い方には理由がありました。
実は、肉食は天照大御神の時代から厳しく禁じられていたのです。
⇒詳しくは、こちら。
その戒律を、あえて「破ってもよいか?」と嘆願に来た訳ですから、よほど食料が不足していたものと考えられます。
アジスキタカヒコネは、自分では判断できずに、父の大国主に経緯を説明して裁量を仰ぎます。
大国主は、ひとこと『うべ(諾)』と答えます。
つまり肉食が正式に認可されたということになります。
ところが、大変なことが起こります。
天上界に居た【大年の神】が、この異変に気付いたのです。
⇒『ウエツフミ』によると大年の神とは、スサノオがオオヤマツミの孫娘であるオオイチ姫に産ませた子供で、毎年農作物を実らせるのがその役目。
また【御年の命】【若年の命】など5人の子供たちは「竈と調理を司る神様」だと説明されている。
その孫の【オオヤマクイ】は、酒造りの神様ではあるが、日吉神(山王神)とは異なる。
ある日、大年の神は、御子である御年の命と若年の命(上記のとおり神々の調理番)に、こう告げます。
「スメラ御子の統治する国(日本国)の、朝の神饌(神様に捧げられた食事)と夕の神饌がともに、大変ひどくて、まずいぞ!」
そこで二神は、顔を真っ赤にして怒りをあらわにし、こう報告しました。
「これは大国主の仕業でございます。
農民にケモノの肉を食べさせて、その農民が作った農作物なので、大変穢れており、穂が弱っております。」
と告げると、その田や畑に唾をはきました。
ここに大年の神も大激怒し、大声でこう宣告しました。
「大国主は本当に穢れた奴じゃ!
神の食事を作る農民たち(オオミタカラと呼ばれた)にケモノの肉を食わすとは何事じゃ!
かくなるうえは、穀物を一粒も与えまいぞ。」
と叫びながら、草の穂を蹴散らかすと、バッタの姿に変わり、その田んぼに紫色の雲のような大群となって襲いかかりました。
水田も畑もことごとくバッタに食い荒らされて、枯れ果ててしまいました。
大国主は、この様子を見て「怪しい!」と直感し、さっそくアジスキタカヒコネとコトシロヌシのニ神に命じて、「フトマニ」の占いを行わせます。
⇒このあとフトマニの方法が詳しく書かれているが、省略するので興味のある方は下記の原文参照。
【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=7&sno=18
すると、
「これは天津神の怒りである。それは農民にケモノの腐った肉を食わせた罪である。それを止めさせたいなら、大年の神に奏上せよ。」
というご託宣が下ります。
大国主の反応と対応策
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大国主は大変に驚いて、ただちに下記の3つの対策を実行します。
(1)自ら「千座の置戸」を背負った。
⇒「チクラのオキド」とは、当時の刑罰の一種で、おそらく戸板のようなものを担がせて見せしめとしたもの。
大国主は自ら罪人であることを認め、反省していることを公言して、神に許しを請うた。スサノオもこれを背負って国外に追放されたことは記紀にもある。
(ちなみに私の考える「千座の置戸」のイメージは写真の石像そのもの、八女市岩戸山古墳出土)
もしもこれが事実ならば、大国主は誠に立派な人物だったと言わざるを得ません。
なぜなら、現在流に例えるならば、天皇陛下が手錠をしたままの姿で記者会見に臨むのと同じことになるからです。
(2)イナサの浜で禊(みそぎ)をして、一族郎党一千人とともに全員一斉に「天津祝詞の太宣りの眞言」を奏上した。
一千人が一斉にノリトを上げる様子は、さぞかし壮大だったことでしょう。
これは、「声を合わせて岩を動かした」とする言霊伝承にも通じます。
(3)豪華なお供えを捧げ、80人の少女を中心に盛大なお神楽を奉納した。
このあたりは、ものすごく詳しく書かれていますので、興味のある方は下記の原文を参照してください。
⇒http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=7&sno=19
(4)さらに、アジスキタカヒコネとコトシロヌシのニ神は天上界に昇って、大年の神と御年の命と若年の命の三柱の大神の御前で、「祷言の太宣り」と「罪科和しの祓いの太宣り」を奏上します。
ここにやっと神々のご機嫌も回復して、大国主の罪も許されることとなりました。
大年の神の教え
すると大年の神から、こんな「神訓り(神様からの命令)」が出されます。
「そもそも牛や馬は人民の農業の助けをする動物である。
だからしっかりと育てて、死んだ際には、その皮を剝ぎ、七瀬の水に晒して、生きている牛と馬の道具(馬具)とせよ。
またこれらの動物の肉は、大変に穢れているものであるから、骨と肉とは地中に深く埋めて、人間と同じように埋葬せよ。
田んぼの作物に付く羽虫(羽根のある昆虫)は、私の神意である。
だから今日からは農作物を食べさせないように、その口を塞ぐことにしよう。
また、これを追い払うには、
麻の木と天の押草(不明?)を利用せよ。カラス扇であおげ。
また、田んぼの水口(みなくち)に、ひとつ成りのオガタマの木の実(おそらく陰嚢の象徴)と、男根のカタチをしたものを太くたくましく作ってお供えし、豊年歌を歌って、鼓を打ち、ほら貝を吹いて、笛を吹き、
その田んぼの畔(あぜ)ごとに巡り、(バッタを)大野に追い払って、
その四隅に柴の木に実るハジカミ・クルミ・クララ根(不明?)を叩き潰して水に溶いたものをまき散らせ。
このようにすれば、田んぼの草はことごとく元に戻って、豊作になるであろう。」
いかがですか?
いやあ驚きですよね。
現在でも日本各地に残されている、男根を祀るあのお祭りの起源は、「バッタ払いのおまじない」ということだったのですね。
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現代社会への応用
さてさて、以上の記述からは多くの事実が分かります。
ここにメモしておきますので、参考にしてください。
(1)この細かい描写は、人ひとりの力で創作できるものではない。
特に、当時の祭儀の方法や、衣装やお化粧にいたるまで、その描写の細かさは、人間の想像力をはるかに超えており、すべてがノンフィクション、つまり事実であると思われる。
(2)「菜食主義」は、仏教が渡来するはるか以前から、わが国固有の生活習慣であり、「肉食」はおそらく外国人が持ち込んだ「外来文化」であることは、明治政府の「肉食解禁」を見るまでもなく明らかである。
神道では「穢れ」を最も嫌うが、何が穢れにあたるか?の基準はあいまいで、おそらくこのような伝承や説話が法律に変わるものとして広く普及していたのではないか。
これに対して、仏教では「殺生禁止」という戒律が最も重要で、結果的に肉食できない状況が付随的に生じたものであり、日本固有の「穢れ」の思想とは全く異なる。
(3)古代、「わが国には馬が居なかった」という幻想は間違いである。
大陸から騎馬民族が持ち込んだ外来種はあるかもしれないが、農業用の固有種は太古から存在した。
その起源について、『ウエツフミ』には、天照大御神が発明したとする記述も存在する。
⇒【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=3&sno=6
(4)農業とは、ある意味害虫や害獣との戦いの歴史である。
古代からバッタやイナゴに頭を悩ませていた農民は、様々な駆除方法を考案していたことが、この記述から分かる。
特に、自然の植物に由来する農薬類似の散布剤については、研究に値する。
(5)およそ歴史上、文明や政権が崩壊するときには、必ずといっていいほど「食糧危機」がその原動力となる。その前兆として起きるのが天候不順である。ここに噴火や洪水などの自然災害が加わって、さらに事態を悪化させる。
最後に、ウエツフミの別の章では「全ての災害は神々の怒りである」と説明されています。
ということは、今回の「コロナウィルス騒動」に加えて、ほぼ同時に起こった「バッタの大発生」には、何か大きなメッセージが込められているのではないでしょうか?
特に、農業の分野では2018年4月の「種子法廃止」、それに続き2020年3月の「種苗法の一部改正」など、「種は誰のものか?」という命題をめぐってあわただしい動きが続いています。
農林水産省の説明では、あくまでも「外国人によるパクリを排除するため」だとしていますが、そこに民間企業が参入しなければならない理由が、私には全く理解できません。
まるで「外圧」と「国益」をごった煮にした、妙な味のするスープを飲まされているような気分で、法学部出身の私でさえそうなのですから、一般の人にはチンプンカンプンでしょうね。
案の定、これに納得しない地方自治体は、相次いで条例の制定による「おらが村だけの保護」を目指し始めています。
一体全体、お国はどこへ行こうとしているのか?
もしかして、大年の神のお怒りをかうような事態になっていないのか?
「バッタは私の神意である」という大年の神の言葉を、もう一度肝に命じて、この国難に対処して欲しいものです。
ここでお国の舵取りを間違えれば、「クラスター感染」ならぬ「クラスター自治」、つまりお国の崩壊をも招きかねないからです。
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